寄ってたかって、、、 ― 2020/09/03 14:11
私は見たことがないのだが、
『半沢直樹』というドラマ(これがタイトルだっけ?)が人気があるそうだ。
組織の悪い奴らと闘うらしい、と想像している。
見る気がしないのは、
ドラマって、悪役がはっきりしていて、わかりやすい物が多いので、
「いいよねぇ~、そんなに悪い奴がはっきりわかるのなら、闘うべき相手がよく見えていいじゃないか」という、
私の拗ねた悲哀が増すような感じがするから。
よけい、気分が暗くなるような気がするから。
私の心をずたずたにした過去の出来事は、
(いや、心だけでなく、からだもズタボロになった)
そんなわかりやすい悪人はいない。
寄ってたかって嬲り殺された気分だ。
しかし、この「寄ってたかって」というのは、一人ずつは大罪を犯しているわけではないし、本人にも罪悪感はない。
私は、経験上、これほどたちの悪いものはないのではないかと思っている。
扇動した人はいるだろうが、それだって、「扇動」した意識はないだろう。
ひそかに誰かが、ある人についてネガティブなことをささやく、そして、それが現状に何か不足を感じている集団にじわりと広がる。
それが既定事実となり、ターゲットになった人が容赦なく攻撃を受ける。
集団の力動のこわさだ。
敵を定めるのは難しい。
以前、友人のFが、組織の中で、「小突き回された」と表現した。
私は、何が起こったかを見ている。
「小突き回した」一人は代表責任者で、Fの処遇について役員たちに相談したのだ。
Fは事務上の統括責任者だったが、小さい組織で、一人で回しているような状況だった。
Fは、お盆休みを取りたいということを言い、それについて就業規則にないのでどうしようかという相談をして来た。
すべて、メールでのやりとりだ。
役員たちは、
「有休を取る権利があるのは、当然でしょ」
「そんなことも、今まで放置してたのですか」
と、なかなか手厳しいメールを返してきた。
まるで、F自身に責任があるというように読めてしまう口調だ。
組織の代表責任者も、批判めいたメールをFに送っていた。
この組織は、NPOの経験のなかった人たちが立ち上げたものだ。
立ち上げから書類仕事一切合切を引き受けて、日々の事務も一人で回していたFは、たった一人有給の被雇用者だった。
滅私奉公というような働き方で、心身の疲労が目立っていた。
が、現場にいない役員たちは、無責任で口だけは偉そうだ。
それで、就業規則の不備を、あたかもFの責任のような口ぶりで偉そうなメールを書いてくる。
役員は、私も同様、設立の概要が決まってから請われて就任した者ばかりだから、設立当初の経緯は知らない。
代表責任者も、自分の責任とされるのは不本意だったせいか、Fを批判するようなメールを出したのだ。
Fの困惑に同情し、就業規則を読み直した。
すると、就業規則には、その責任者は、規則に定めていない事項について、代表者に判断を仰ぎ、実行すること、とあった。
なんだ、それだけの手続きだ。
Fはよほど、疲労困憊して、このことにも気づかなかったのか、
あるいは代表責任者に、お盆休みについてメールを出したとき、そのメール文を代表責任者が誤読したのか、、、。
もしくは、代表責任者が、一人で判断するのが負担で、他の役員に打診したのか。
とにかく、役員たちは、口々に批判めいたメールを送ってきたのだ。
まずい雰囲気になっていると思って、
「代表者に具申し、許可を得ればそれでよいと思います」と、
一言、私の方からメールを送ったら、それで止まった。
Fはあらためて、お盆休みを取りたいと代表責任者に申し出、代表責任者は許可を出した。
ただ、それだけのことだった。
役員たちもどうかとは思う。
プライベートタイムのおしゃべりとは違うのだから、ビジネスライクにやればいいのに、なぜか、ワイワイとうるさい。
その出来事を、Fは私と直に話をしたとき、「みなに小突き回された」と表現した。
わからなくはない。
Fにすれば、そうとしか言えない状況だったのだろう。
が、誰もFを小突いた意識はない。
書類上の不備を指摘しただけなのだ、、、。
私も一度、この組織で、全体の雰囲気がやばい方向に行きそうだったので、異なる意見を役員メールで投げたら、
やはり役員たちから、説教くさいメールが次から次に送られて来た。
もううんざりして、「わかりました」と、一言だけ、返事をしたことがある。
たった一言、「わかりました」だったので、
後で直接会った役員の一人が、
「あのメールで怒ってる?」と聞いてきた。
「まぁ、いやだったけど」と答えたら、
「深夜のメールはよくないね。つい、自分の意見に酔って演説口調になってしまう」と言った。
こういう会話が後でついてくると、一時の不快さはとりあえず解消される。
しかし、Fは、説教好きな役員たちからどんどん距離を置き、離れて行った。
こうなると、修復は難しい。
一人ずつのメールは、そんなにひどくないかもしれない。
まぁ、いささか手厳しい感じではあったが、
受け取った方が丈夫な時なら、立ち直れたかも。
が、心身ともに弱っているときにメールで諫められ、
しかも、複数の役員たちから矢継ぎ早に諫めるメールが送られてきたら、
小突き回された、としか思えなかったのだろう。
寄ってたかって、というのは罪悪感が薄いから、
やられた方のダメージは大きいが、
やった方は、無傷だったりする。
私にとって、痛手がまだ尾を引いているので、
まだこだわっていることだ。
どこかで、きちんと課題として出さなければと思っている。
なぜなら、明らかな「悪」はわかりやすいが、
加害者のいない被害は、ほんとうにわかりにくく、
リベンジするにも、どこで誰に向かえばいいのか。
回復の機会さえ得にくいのだ。
『半沢直樹』というドラマ(これがタイトルだっけ?)が人気があるそうだ。
組織の悪い奴らと闘うらしい、と想像している。
見る気がしないのは、
ドラマって、悪役がはっきりしていて、わかりやすい物が多いので、
「いいよねぇ~、そんなに悪い奴がはっきりわかるのなら、闘うべき相手がよく見えていいじゃないか」という、
私の拗ねた悲哀が増すような感じがするから。
よけい、気分が暗くなるような気がするから。
私の心をずたずたにした過去の出来事は、
(いや、心だけでなく、からだもズタボロになった)
そんなわかりやすい悪人はいない。
寄ってたかって嬲り殺された気分だ。
しかし、この「寄ってたかって」というのは、一人ずつは大罪を犯しているわけではないし、本人にも罪悪感はない。
私は、経験上、これほどたちの悪いものはないのではないかと思っている。
扇動した人はいるだろうが、それだって、「扇動」した意識はないだろう。
ひそかに誰かが、ある人についてネガティブなことをささやく、そして、それが現状に何か不足を感じている集団にじわりと広がる。
それが既定事実となり、ターゲットになった人が容赦なく攻撃を受ける。
集団の力動のこわさだ。
敵を定めるのは難しい。
以前、友人のFが、組織の中で、「小突き回された」と表現した。
私は、何が起こったかを見ている。
「小突き回した」一人は代表責任者で、Fの処遇について役員たちに相談したのだ。
Fは事務上の統括責任者だったが、小さい組織で、一人で回しているような状況だった。
Fは、お盆休みを取りたいということを言い、それについて就業規則にないのでどうしようかという相談をして来た。
すべて、メールでのやりとりだ。
役員たちは、
「有休を取る権利があるのは、当然でしょ」
「そんなことも、今まで放置してたのですか」
と、なかなか手厳しいメールを返してきた。
まるで、F自身に責任があるというように読めてしまう口調だ。
組織の代表責任者も、批判めいたメールをFに送っていた。
この組織は、NPOの経験のなかった人たちが立ち上げたものだ。
立ち上げから書類仕事一切合切を引き受けて、日々の事務も一人で回していたFは、たった一人有給の被雇用者だった。
滅私奉公というような働き方で、心身の疲労が目立っていた。
が、現場にいない役員たちは、無責任で口だけは偉そうだ。
それで、就業規則の不備を、あたかもFの責任のような口ぶりで偉そうなメールを書いてくる。
役員は、私も同様、設立の概要が決まってから請われて就任した者ばかりだから、設立当初の経緯は知らない。
代表責任者も、自分の責任とされるのは不本意だったせいか、Fを批判するようなメールを出したのだ。
Fの困惑に同情し、就業規則を読み直した。
すると、就業規則には、その責任者は、規則に定めていない事項について、代表者に判断を仰ぎ、実行すること、とあった。
なんだ、それだけの手続きだ。
Fはよほど、疲労困憊して、このことにも気づかなかったのか、
あるいは代表責任者に、お盆休みについてメールを出したとき、そのメール文を代表責任者が誤読したのか、、、。
もしくは、代表責任者が、一人で判断するのが負担で、他の役員に打診したのか。
とにかく、役員たちは、口々に批判めいたメールを送ってきたのだ。
まずい雰囲気になっていると思って、
「代表者に具申し、許可を得ればそれでよいと思います」と、
一言、私の方からメールを送ったら、それで止まった。
Fはあらためて、お盆休みを取りたいと代表責任者に申し出、代表責任者は許可を出した。
ただ、それだけのことだった。
役員たちもどうかとは思う。
プライベートタイムのおしゃべりとは違うのだから、ビジネスライクにやればいいのに、なぜか、ワイワイとうるさい。
その出来事を、Fは私と直に話をしたとき、「みなに小突き回された」と表現した。
わからなくはない。
Fにすれば、そうとしか言えない状況だったのだろう。
が、誰もFを小突いた意識はない。
書類上の不備を指摘しただけなのだ、、、。
私も一度、この組織で、全体の雰囲気がやばい方向に行きそうだったので、異なる意見を役員メールで投げたら、
やはり役員たちから、説教くさいメールが次から次に送られて来た。
もううんざりして、「わかりました」と、一言だけ、返事をしたことがある。
たった一言、「わかりました」だったので、
後で直接会った役員の一人が、
「あのメールで怒ってる?」と聞いてきた。
「まぁ、いやだったけど」と答えたら、
「深夜のメールはよくないね。つい、自分の意見に酔って演説口調になってしまう」と言った。
こういう会話が後でついてくると、一時の不快さはとりあえず解消される。
しかし、Fは、説教好きな役員たちからどんどん距離を置き、離れて行った。
こうなると、修復は難しい。
一人ずつのメールは、そんなにひどくないかもしれない。
まぁ、いささか手厳しい感じではあったが、
受け取った方が丈夫な時なら、立ち直れたかも。
が、心身ともに弱っているときにメールで諫められ、
しかも、複数の役員たちから矢継ぎ早に諫めるメールが送られてきたら、
小突き回された、としか思えなかったのだろう。
寄ってたかって、というのは罪悪感が薄いから、
やられた方のダメージは大きいが、
やった方は、無傷だったりする。
私にとって、痛手がまだ尾を引いているので、
まだこだわっていることだ。
どこかで、きちんと課題として出さなければと思っている。
なぜなら、明らかな「悪」はわかりやすいが、
加害者のいない被害は、ほんとうにわかりにくく、
リベンジするにも、どこで誰に向かえばいいのか。
回復の機会さえ得にくいのだ。
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