子ども時代の虐待のトラウマは生涯消えない ― 2025/01/15 09:13
タイトルに書いたことは、私の実感に過ぎない。
が、被害経験からの回復とか、
トラウマの克服とか、
そういう字面を見ると、反発する私がいる。
回復なんかしないだろうと思う。
なぜなら、子ども時代の被虐待経験は、
その子どもが人として人格形成をされるプロセスに
織り込まれているからだ。
折に触れて悲しみがよみがえり、
辛い気持ちが再現される。
10歳だった私が経験したことは、
74歳の今になっても、時折、疼痛として私を苛む。
このまま、ちょっと悲しいまま、死んでいくのだろうと思う。
もちろん、適切なケアを受けなかったからだ、という見方もあるだろう。
子ども時代の被虐待経験は、
時を置かずに、ケアを受ければ、深い傷となって残ることはなかったかもしれない。
応急処置が適切に行われれば、傷の回復は望める気もする。
そういう意味では、子ども時代にひどい扱いを受けたとしても、
すかさずその子どもをケアし、温かく見守る体制があれば、
その子どもは助かったかもしれない。
大人への信頼を速やかに回復したかもしれない。
世の中への信頼感も育てることができたかもしれない。
が、私の世代の多くは、
そのような環境にはいなかった。
ひどい扱いを受けたとしても、
外から見える甚だしい虐待でもなければ、
誰もが無関心だった時代だ。
親子や家族、というもの以外に子どもを支えるシステムがなかった。
家庭という地獄から助け出されても、
またもや家庭に帰されるのが当たり前だった時代だ。
だから、そのことの認識が発達してきた現在の状況は、
多少は改善されているのかもしれない。
まぁ、悲劇はまだまだ起こっているだろうと思うけれど。
私のような世代は、トラウマをかかえて年老いている。
悲しみや怒りをかかえて、老いても呻吟している。
自分を虐待した親たちは、その自覚もなく、
安らかに自己満足の最期を迎えたりしているだろうし、
外面からは、結構、恵まれた人であるかのように見られているかもしれない。私などもそうだ。
声を上げなければ、誰も知らない。
が、声を上げても、ただの愚痴だろう。
なにしろ、外見では、それなりに成長して老いてきたのだから。
声を上げることもしない、あるいはできない、
ただただ恨みをかかえて老いてきた人たちは、
扱いにくい老人になっているのかもしれない。
自分をいやな目に遭わせた者が何者かもわからず、
湧き上がる不快な感情をコントロールできず、
自分を虐待した親に似た人になって、
不機嫌に生きているのかもしれない。
親たちは、子どもに鬱屈をぶつけて自分の気分を解消しようとしたが、
それが問題行動だとは思いもしなかっただろう。
「子どものため」というのは、自分の不善な行動のエクスキューズだ。
理不尽な行為だということは薄々わかっていても、
目の前の手のかかる者に感情をぶつけないと自分の鬱憤が晴らせないとき、
あるいは、手がかかる、というそのこと自体に、自分の鬱屈した感情を増幅させて、
虐待を始めるのだ。
私の父の場合、最初、
私に対して、因縁をつけるところから始まる。
私が何かをした、というようなタイミングではなく、
黙って本を読んでいても、一人遊びをしている時であっても、
父は、暇つぶしに私を扱うのだ。
からかったり、説教を始めたり、小言を言ったりして、私を自分の方に向かせることから始まる。
私には不当としか思えないような言いがかりで、
私の欠点を指摘したり、言動の些末な不完全な部分を盛んに言い立てるなどして、
私が怒りを表明するまでやめない。
私は父のその言動の身勝手さに怒りを覚える。
(通りすがりの酔っ払いがからんできたのなら、相手をせずに逃げるところだが、一つ屋根の下にいる素面の父親だ。子どもの私に逃げる才覚はなかった。)
私は難癖をつけてきた父に、怒りをもって反論する。
「口答えするのか」と父は激高し、やがて激しい言い合いになり、最後は父は私を叩く。
言ってわからないやつは叩いてわからせる、という言い分だ。
そこで、初めて、母が言う。
「親に何を言われてもええやんか、もっと大人になりなさい」と。
そして、私と父の性格が似ているから、と、
すべてを私の責任だとなじり、黙って耐えない私を責め立てる。
私が悔しさで泣いて泣いて、それでも、父の理不尽、母の理不尽な意見(親なのだから何を言ってもいいのだ、子どもの私に大人になりなさい、と叱りつける理不尽)に抗弁する。
結局、父からの暴力の痛みと恐怖、
母からの精神的な攻撃への絶望と無力感によって、
私が抗弁をやめ、そして、父の攻撃がやむ。
私は憤死しそうなほど、悔しい思いをかかえて、泣きながら眠るのが常だった。
10歳ほどの子どもだ。
どこにも、私の味方がいない、この世で最も弱い生き物だった頃だ。
大人二人から、力づくで黙らされていた。
世間で報道される虐待事件は、他人事とは思えない。
殺されていった子どもたちは、あの頃の私だと思う。
父との諍いを最初からすべて見ていた母は、ただの一度も間に入らなかった。
父の身体的暴力が激化すると、
私を言葉で叱りつけて黙らせる役割を担った。
多くの夫たちがDVのターゲットに妻を選ぶ。
が、私の父親は私を選んだ。
私が中学3年生まで、母の父親が同居していたので、とても母には手が出せなかっただろう。
彼が鬱屈を晴らす相手は私しかいなかったのだ。
しかも、母は、父が私を褒めたりかわいがったりするのを喜ばない。
母の顔色をうかがう父にとって、
私への攻撃は母の機嫌を取るのにも都合のよい手段だった。
同じ頃のことで覚えている出来事がある。
母が、仕事から帰った父に、
私がいかに言うことをきかない子どもであるかを愚痴った。
すると、父はいきなり私を叩いた。
母は、
「たたかんと、言うてきかせてほしいのに」と父に言った。
母の理想の夫の姿は、
たぶん、妻の言うことを受けて、娘に理路整然とことわりを教える、そのような、
つまり、
戦後のアメリカのホームドラマ、『パパは何でも知っている』の父親のような姿だったのだろう。
勘違いもいいところだ。
武骨な田舎育ちで、太平洋戦争で死んだものとされていたのに、
南方から復員してきた、承認欲求の強い大正生まれの男が、ソフィスティケートされたアメリカの白人中産階級のエリート男と同じふるまいができるわけがない。
私が慰撫されなかったのは、
彼らのやりたい放題の下で、自分の気持ちを封殺されてしまったことだ。
そのくやしさだ。
ただの一度も慰撫されず、悲しみやくやしさを抱えたまま、私は人格形成され、社会化されてきた。
だから、もう、ここからは脱出できない。
あの連中をよみがえらせて、手をついて謝らせることができれば、
涙ながらに詫びを言わせれば、私も少しは心和むかもしれない。
が、連中はもうこの世にいない。
私の親だけではなく、多くのあの時代の親たちは、子どもの心をズタズタにしながら、
自分はいい親だった、と思いながら死んでいった者が多いのかもしれない。
私の世代の人たちが、鬱屈しているのはわかるね。
性格が悪い。
多くが似たような目に遭っているから。
しかし、何でもそうだが、同じ目に遭っていない人も結構いるから、
同世代でも理解されない、というのもいつものことだ。
特に、日頃から付き合いのある、比較的良い教育を受けた人たちは、
自分の現状に満足していたりするから、
ますます、そうではない者の屈折が理解できない人が多い。
理解しようとしても共感ができない。
そうすると、こちらは、慰撫されるどころか、
さらに孤立感を深め、心の傷は疼き続ける。
それも、いつものことだ。
が、被害経験からの回復とか、
トラウマの克服とか、
そういう字面を見ると、反発する私がいる。
回復なんかしないだろうと思う。
なぜなら、子ども時代の被虐待経験は、
その子どもが人として人格形成をされるプロセスに
織り込まれているからだ。
折に触れて悲しみがよみがえり、
辛い気持ちが再現される。
10歳だった私が経験したことは、
74歳の今になっても、時折、疼痛として私を苛む。
このまま、ちょっと悲しいまま、死んでいくのだろうと思う。
もちろん、適切なケアを受けなかったからだ、という見方もあるだろう。
子ども時代の被虐待経験は、
時を置かずに、ケアを受ければ、深い傷となって残ることはなかったかもしれない。
応急処置が適切に行われれば、傷の回復は望める気もする。
そういう意味では、子ども時代にひどい扱いを受けたとしても、
すかさずその子どもをケアし、温かく見守る体制があれば、
その子どもは助かったかもしれない。
大人への信頼を速やかに回復したかもしれない。
世の中への信頼感も育てることができたかもしれない。
が、私の世代の多くは、
そのような環境にはいなかった。
ひどい扱いを受けたとしても、
外から見える甚だしい虐待でもなければ、
誰もが無関心だった時代だ。
親子や家族、というもの以外に子どもを支えるシステムがなかった。
家庭という地獄から助け出されても、
またもや家庭に帰されるのが当たり前だった時代だ。
だから、そのことの認識が発達してきた現在の状況は、
多少は改善されているのかもしれない。
まぁ、悲劇はまだまだ起こっているだろうと思うけれど。
私のような世代は、トラウマをかかえて年老いている。
悲しみや怒りをかかえて、老いても呻吟している。
自分を虐待した親たちは、その自覚もなく、
安らかに自己満足の最期を迎えたりしているだろうし、
外面からは、結構、恵まれた人であるかのように見られているかもしれない。私などもそうだ。
声を上げなければ、誰も知らない。
が、声を上げても、ただの愚痴だろう。
なにしろ、外見では、それなりに成長して老いてきたのだから。
声を上げることもしない、あるいはできない、
ただただ恨みをかかえて老いてきた人たちは、
扱いにくい老人になっているのかもしれない。
自分をいやな目に遭わせた者が何者かもわからず、
湧き上がる不快な感情をコントロールできず、
自分を虐待した親に似た人になって、
不機嫌に生きているのかもしれない。
親たちは、子どもに鬱屈をぶつけて自分の気分を解消しようとしたが、
それが問題行動だとは思いもしなかっただろう。
「子どものため」というのは、自分の不善な行動のエクスキューズだ。
理不尽な行為だということは薄々わかっていても、
目の前の手のかかる者に感情をぶつけないと自分の鬱憤が晴らせないとき、
あるいは、手がかかる、というそのこと自体に、自分の鬱屈した感情を増幅させて、
虐待を始めるのだ。
私の父の場合、最初、
私に対して、因縁をつけるところから始まる。
私が何かをした、というようなタイミングではなく、
黙って本を読んでいても、一人遊びをしている時であっても、
父は、暇つぶしに私を扱うのだ。
からかったり、説教を始めたり、小言を言ったりして、私を自分の方に向かせることから始まる。
私には不当としか思えないような言いがかりで、
私の欠点を指摘したり、言動の些末な不完全な部分を盛んに言い立てるなどして、
私が怒りを表明するまでやめない。
私は父のその言動の身勝手さに怒りを覚える。
(通りすがりの酔っ払いがからんできたのなら、相手をせずに逃げるところだが、一つ屋根の下にいる素面の父親だ。子どもの私に逃げる才覚はなかった。)
私は難癖をつけてきた父に、怒りをもって反論する。
「口答えするのか」と父は激高し、やがて激しい言い合いになり、最後は父は私を叩く。
言ってわからないやつは叩いてわからせる、という言い分だ。
そこで、初めて、母が言う。
「親に何を言われてもええやんか、もっと大人になりなさい」と。
そして、私と父の性格が似ているから、と、
すべてを私の責任だとなじり、黙って耐えない私を責め立てる。
私が悔しさで泣いて泣いて、それでも、父の理不尽、母の理不尽な意見(親なのだから何を言ってもいいのだ、子どもの私に大人になりなさい、と叱りつける理不尽)に抗弁する。
結局、父からの暴力の痛みと恐怖、
母からの精神的な攻撃への絶望と無力感によって、
私が抗弁をやめ、そして、父の攻撃がやむ。
私は憤死しそうなほど、悔しい思いをかかえて、泣きながら眠るのが常だった。
10歳ほどの子どもだ。
どこにも、私の味方がいない、この世で最も弱い生き物だった頃だ。
大人二人から、力づくで黙らされていた。
世間で報道される虐待事件は、他人事とは思えない。
殺されていった子どもたちは、あの頃の私だと思う。
父との諍いを最初からすべて見ていた母は、ただの一度も間に入らなかった。
父の身体的暴力が激化すると、
私を言葉で叱りつけて黙らせる役割を担った。
多くの夫たちがDVのターゲットに妻を選ぶ。
が、私の父親は私を選んだ。
私が中学3年生まで、母の父親が同居していたので、とても母には手が出せなかっただろう。
彼が鬱屈を晴らす相手は私しかいなかったのだ。
しかも、母は、父が私を褒めたりかわいがったりするのを喜ばない。
母の顔色をうかがう父にとって、
私への攻撃は母の機嫌を取るのにも都合のよい手段だった。
同じ頃のことで覚えている出来事がある。
母が、仕事から帰った父に、
私がいかに言うことをきかない子どもであるかを愚痴った。
すると、父はいきなり私を叩いた。
母は、
「たたかんと、言うてきかせてほしいのに」と父に言った。
母の理想の夫の姿は、
たぶん、妻の言うことを受けて、娘に理路整然とことわりを教える、そのような、
つまり、
戦後のアメリカのホームドラマ、『パパは何でも知っている』の父親のような姿だったのだろう。
勘違いもいいところだ。
武骨な田舎育ちで、太平洋戦争で死んだものとされていたのに、
南方から復員してきた、承認欲求の強い大正生まれの男が、ソフィスティケートされたアメリカの白人中産階級のエリート男と同じふるまいができるわけがない。
私が慰撫されなかったのは、
彼らのやりたい放題の下で、自分の気持ちを封殺されてしまったことだ。
そのくやしさだ。
ただの一度も慰撫されず、悲しみやくやしさを抱えたまま、私は人格形成され、社会化されてきた。
だから、もう、ここからは脱出できない。
あの連中をよみがえらせて、手をついて謝らせることができれば、
涙ながらに詫びを言わせれば、私も少しは心和むかもしれない。
が、連中はもうこの世にいない。
私の親だけではなく、多くのあの時代の親たちは、子どもの心をズタズタにしながら、
自分はいい親だった、と思いながら死んでいった者が多いのかもしれない。
私の世代の人たちが、鬱屈しているのはわかるね。
性格が悪い。
多くが似たような目に遭っているから。
しかし、何でもそうだが、同じ目に遭っていない人も結構いるから、
同世代でも理解されない、というのもいつものことだ。
特に、日頃から付き合いのある、比較的良い教育を受けた人たちは、
自分の現状に満足していたりするから、
ますます、そうではない者の屈折が理解できない人が多い。
理解しようとしても共感ができない。
そうすると、こちらは、慰撫されるどころか、
さらに孤立感を深め、心の傷は疼き続ける。
それも、いつものことだ。
どこから見てもおばあちゃん! ― 2020/09/11 11:23
ある媒体からインタビューを受けた。
取材の後、写真を撮る、とのこと。
出てきた写真を見ると、ほぼ間違いなくがっかりするから、
期待はしていなかったけど(笑)、
たいがいなばーさんぶりだわ。
少し前、久しぶりに会った友人が、素敵な帽子をかぶっていた。
日よけで買ったセールの帽子らしいのだが、色合いがとても私好み.
いわゆる日よけ用の麦わらとは違って、なかなかのおしゃれ具合。
で、思わず、別れ際に、写真を撮っとこうと提案して、
写真を撮った。
まぁ、その友達が帽子をかぶっている姿もあまり見ないし、
この時期に、ものすごくソーシャルディスタンスを取ったとはいえ、
生で会えるのも、なんか記念みたいで。
で、その写真をすぐにLineで送ったら、
「しっかり、ばあちゃんや」と、本人が言っていた。
60歳を超えたら、みな、間違いなく、おばあさんだ。
なんとなく、若く保っていた人も、どこかで老ける。
私も60歳の時は、「嘘でしょ~!とても60には見えない!」と言われたりしたけど、
病気もしたし、気がついたら、どこからどう見ても、おばあさんになった。
大概、大病をすると老けるけどね。
私の母が、80歳の頃、敬老の日のキャンペーンで街頭で何かを貰ったらしく、それを見せながら、
「やっぱり、わかるんやろか?」と言ったことがあった。
若い頃から、若く見える、美しいと言われ続けてきた母でも、
80歳になれば、堂々たる老人だ。
自分で鏡を見ていても、あんまりわからないのかもしれない。
とにかく、女性には、「お若く見えます」というおべんちゃらがあるが、
もうそういうの、「やめようぜ」という感じ。
テレビの、「この人、何歳に見えますか?」というCMは嫌いなものの一つだ。
確かに、健康な人は若々しい。
健康を保つのが一番とは思う。
しかし、そのインタビューの写真、覚悟していたけど、
覚悟以上に、ばあさんだった(笑)
先日、押し入れを整理していて、若いときの写真が出てきたけど、
あら、私って、かわいいやん! という感じ。
そんなに丈夫でもなかったけど、
やっぱり、生き物としての若さがあふれている。
もはや凋落の季節。
うまく枯れたいものだが、
もうちょっとだけ、欲望がある。
思考の鍛錬だけはもう少し続けたい、という欲望。
取材の後、写真を撮る、とのこと。
出てきた写真を見ると、ほぼ間違いなくがっかりするから、
期待はしていなかったけど(笑)、
たいがいなばーさんぶりだわ。
少し前、久しぶりに会った友人が、素敵な帽子をかぶっていた。
日よけで買ったセールの帽子らしいのだが、色合いがとても私好み.
いわゆる日よけ用の麦わらとは違って、なかなかのおしゃれ具合。
で、思わず、別れ際に、写真を撮っとこうと提案して、
写真を撮った。
まぁ、その友達が帽子をかぶっている姿もあまり見ないし、
この時期に、ものすごくソーシャルディスタンスを取ったとはいえ、
生で会えるのも、なんか記念みたいで。
で、その写真をすぐにLineで送ったら、
「しっかり、ばあちゃんや」と、本人が言っていた。
60歳を超えたら、みな、間違いなく、おばあさんだ。
なんとなく、若く保っていた人も、どこかで老ける。
私も60歳の時は、「嘘でしょ~!とても60には見えない!」と言われたりしたけど、
病気もしたし、気がついたら、どこからどう見ても、おばあさんになった。
大概、大病をすると老けるけどね。
私の母が、80歳の頃、敬老の日のキャンペーンで街頭で何かを貰ったらしく、それを見せながら、
「やっぱり、わかるんやろか?」と言ったことがあった。
若い頃から、若く見える、美しいと言われ続けてきた母でも、
80歳になれば、堂々たる老人だ。
自分で鏡を見ていても、あんまりわからないのかもしれない。
とにかく、女性には、「お若く見えます」というおべんちゃらがあるが、
もうそういうの、「やめようぜ」という感じ。
テレビの、「この人、何歳に見えますか?」というCMは嫌いなものの一つだ。
確かに、健康な人は若々しい。
健康を保つのが一番とは思う。
しかし、そのインタビューの写真、覚悟していたけど、
覚悟以上に、ばあさんだった(笑)
先日、押し入れを整理していて、若いときの写真が出てきたけど、
あら、私って、かわいいやん! という感じ。
そんなに丈夫でもなかったけど、
やっぱり、生き物としての若さがあふれている。
もはや凋落の季節。
うまく枯れたいものだが、
もうちょっとだけ、欲望がある。
思考の鍛錬だけはもう少し続けたい、という欲望。
体が弱め? ― 2020/08/28 19:46
昨日、また、眼科へ。
再発した。
実は、先日の成績つけから3回目。
しかも、ここ何年か、何度もやっている。
再発性角膜びらん、というものらしい。
これ、厄介らしい。
完治しないみたい。
一病息災、でいこうと思っていたが、
一病ですまないではないか。
こういう人間だから、
首相の病気の再発で、辞職、というのはやむを得ないと思う。
責める気にはなれない。
この首相は嫌いだったが、こうなると、気の毒でもある。
健康上の問題というのは、あんまり経験のない人にはわからないだろうなと思う。
毎夜、枕元に鎮痛剤と水を置いて床に就く、という日々など、
私だって、若いときは想像もしなかった。
一昨日は、遠出で会議に出掛けたが、
朝から不調で、
会議の開始から、気が遠くなりそうになっていた。
半月以上、重症ではないが熱中症をおこしているのではないかと思うような不調が続いていたので、
いよいよ熱中症だと気づいたが、
この会議では、昨年、急病で欠席していて、
補佐役の先生に進行を代行してもらったので、
また、そうなるわけにはいかない。
必死で、ペットボトルで首筋やこめかみを冷やした。
30分ほどすると、ようやくおさまり、なんとか元気を取り戻したが、
あのとき、急に具合が悪くなったら、やっぱり、大騒ぎになるから、
がんばりたかった。
倒れるなら会議の後、と悲壮になっていたが、なんとか無事に乗り切れた。
そして、昨日は角膜びらんの痛み。
いろいろな人を見ていると、みんな元気だなぁと羨ましくなる。
そろそろ、もうあかんのか、と思ったり、
もうちょっとがんばれるのか、と思ったり、、、。
体が資本。
若いときに言われていたことが、今、実感となっている。
再発した。
実は、先日の成績つけから3回目。
しかも、ここ何年か、何度もやっている。
再発性角膜びらん、というものらしい。
これ、厄介らしい。
完治しないみたい。
一病息災、でいこうと思っていたが、
一病ですまないではないか。
こういう人間だから、
首相の病気の再発で、辞職、というのはやむを得ないと思う。
責める気にはなれない。
この首相は嫌いだったが、こうなると、気の毒でもある。
健康上の問題というのは、あんまり経験のない人にはわからないだろうなと思う。
毎夜、枕元に鎮痛剤と水を置いて床に就く、という日々など、
私だって、若いときは想像もしなかった。
一昨日は、遠出で会議に出掛けたが、
朝から不調で、
会議の開始から、気が遠くなりそうになっていた。
半月以上、重症ではないが熱中症をおこしているのではないかと思うような不調が続いていたので、
いよいよ熱中症だと気づいたが、
この会議では、昨年、急病で欠席していて、
補佐役の先生に進行を代行してもらったので、
また、そうなるわけにはいかない。
必死で、ペットボトルで首筋やこめかみを冷やした。
30分ほどすると、ようやくおさまり、なんとか元気を取り戻したが、
あのとき、急に具合が悪くなったら、やっぱり、大騒ぎになるから、
がんばりたかった。
倒れるなら会議の後、と悲壮になっていたが、なんとか無事に乗り切れた。
そして、昨日は角膜びらんの痛み。
いろいろな人を見ていると、みんな元気だなぁと羨ましくなる。
そろそろ、もうあかんのか、と思ったり、
もうちょっとがんばれるのか、と思ったり、、、。
体が資本。
若いときに言われていたことが、今、実感となっている。
軟弱ですみません ― 2020/08/09 09:50
この社会は、比較的タフな人が上層部にいる。
もちろん、出自や資産が岩盤のように背景にあって、
その人を支えている場合もあれば、
心身がタフな人もいるだろう。
そういう人が自分を標準尺度にして世の中を測れば、
虚弱な人は、早々に立ち去るしか道はない。
生き延びる馬力はありませんでした、さようなら、という感じになる。
今の世の中は、少しは豊かになっているので、
(いや、コロナの今のパニック状態は、また別の話として)
弱い人への配慮も、人権意識の皆無の時代に比べれば、進んできた。
まぁ、日本は、欧米の文化度と比較すれば、
まだまだ後進国だけれども。
弱い人が駆逐されていくのを止められないくらい、
まだ、多くの人が自分も追い詰められている。
比較的弱い他者を追い詰めて、自分の生き場所を確保しようと、必死になっているのが今の日本社会だ。
社会の貧しさだ。
そこで、生き延びるには、自身も自分本位になるしかない。
弱い人に合わせている余裕はない。
そういう社会でひっそり生きていると、
そして、大した働きもできないで、あんまり世の中の役に立ちそうもないと感じると、
「軟弱な人間ですみません」と言うしかなくなる。
ひっそりと静かに息をしていますので、
見逃してください、という感じかな。
あかん、体調が悪いと、やけに気弱になる。
目の方はだいぶん、回復して、
なんとか、成績づけも終えた。
まだ、以前のように、目を酷使するのは避けたいけどね。
もちろん、出自や資産が岩盤のように背景にあって、
その人を支えている場合もあれば、
心身がタフな人もいるだろう。
そういう人が自分を標準尺度にして世の中を測れば、
虚弱な人は、早々に立ち去るしか道はない。
生き延びる馬力はありませんでした、さようなら、という感じになる。
今の世の中は、少しは豊かになっているので、
(いや、コロナの今のパニック状態は、また別の話として)
弱い人への配慮も、人権意識の皆無の時代に比べれば、進んできた。
まぁ、日本は、欧米の文化度と比較すれば、
まだまだ後進国だけれども。
弱い人が駆逐されていくのを止められないくらい、
まだ、多くの人が自分も追い詰められている。
比較的弱い他者を追い詰めて、自分の生き場所を確保しようと、必死になっているのが今の日本社会だ。
社会の貧しさだ。
そこで、生き延びるには、自身も自分本位になるしかない。
弱い人に合わせている余裕はない。
そういう社会でひっそり生きていると、
そして、大した働きもできないで、あんまり世の中の役に立ちそうもないと感じると、
「軟弱な人間ですみません」と言うしかなくなる。
ひっそりと静かに息をしていますので、
見逃してください、という感じかな。
あかん、体調が悪いと、やけに気弱になる。
目の方はだいぶん、回復して、
なんとか、成績づけも終えた。
まだ、以前のように、目を酷使するのは避けたいけどね。
角膜びらん ― 2020/08/04 08:58
とうとう来ちゃった!
だいぶんましになったけど、
発症した日は、両目の激痛で目が開けられないほど。
全身症状だった。
タクシーで駆けつけた眼科で、診察時に、
麻酔を点眼されて、劇的に痛みが止まった。
その間に診察と検査。
帰りも、全身の弱りを耐えながら家にたどり着いて、ロキソニンを飲んで寝た。
今日で、一週間。
ようやく、落ち着いてきたが、まだ成績付けが済んでいない。
スマホはまだましだが、パソコンは眩しくてしかたがない。
輝度を下げても、まぶしい。
いつ、一息つけるのだ。
だいぶんましになったけど、
発症した日は、両目の激痛で目が開けられないほど。
全身症状だった。
タクシーで駆けつけた眼科で、診察時に、
麻酔を点眼されて、劇的に痛みが止まった。
その間に診察と検査。
帰りも、全身の弱りを耐えながら家にたどり着いて、ロキソニンを飲んで寝た。
今日で、一週間。
ようやく、落ち着いてきたが、まだ成績付けが済んでいない。
スマホはまだましだが、パソコンは眩しくてしかたがない。
輝度を下げても、まぶしい。
いつ、一息つけるのだ。
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