息子の気持ち ― 2024/07/04 21:21
この世でわからないものの一つは、今日のタイトルのこれ。
息子が幼い頃、自分に似ていると思って、
不幸な子ども時代にしてやってはいけないと心を砕いたが、
どうも、それは不要な心配だったようだ。
娘は、妹という立場でもあり、私よりもドライな性格だと思っていたが、
むしろ、大人になると、娘の方が共感能力が高くて、私の気持ちに寄り添ってくれるようになった。
もちろん、それぞれ個性があるから、
私のわからない部分をたくさん持っているだろうとは思う。
しかし、息子の心の内はほんとうにわからない。
繊細かと思えば、ものすごく図太いし、
こだわりの強いところと雑なところが同居している。
まあ、誰でもそうなのだろうけど、ただ、彼の雑さのレベルは理解不能で、こだわりの強さも理解不能なレベルなのだ。
ただ、わかるのは、
息子は男性として社会化されてきているからか、見事なほど、
母親には想像力も共感も働かないらしい、ということだ。
今も思い出すことがある。
息子と娘は4歳半、年齢が離れているので、
子育て時代は結構、長かった。
息子が何でも自分でやれるようになる頃に、娘が生まれているので、
今度は娘に手をとられていた。
そして、それらもようやく一段落した頃、
私は高熱を出した。
子どもの手が離れてようやく楽になる頃に、母親は病気をする、というのは、その頃よく言われていたことだけど、
ほんとに、その通りに、42~3度の高熱を出した。
夫は、毎晩、遅く帰って来る。
近所の子どもたちが母子家庭と間違えるほど、夫は家にはいない。
私はいつものように、夕食を作っていた。
が、気分が悪いことこの上ない。
立っているのも無理なほどしんどいのに、
なすのひき肉はさみ揚げとタレを作っていた。
自分が病気であることに気づかず、予定した通りのメニューを作っていたのだ。
猛烈に、気分が悪かった。
頭が痛く、吐きそうで、立っているのもつらかった。
ようやく、夕食の支度を終えて、火の始末をしたあと、
息子に適当に自分たちで食べるように言って、
私は、布団を敷いて横になった。
娘は幼かったから、向こうの部屋で遊んでいたのだろう。
息子に、「支度はできているから、妹の分も取り分けて食べておくように」と、食べ方の指示をして寝ていた。
が、尋常ではない気分の悪さである。
息子が私の枕元にやって来て、どのように食べるのかを何度か聞きに来ていて、私は苦しい息の下から指示を与えていたのだったと記憶している。
いつもと同じように世話の焼ける感じの息子に、
「ママはしんどいから、もう、死んじゃうかもしれないの」と言って、大変な状況にあることをわからせようとした。
それほど、これまでに覚えのないほど気分が悪かった。
やがて、息子は妹の世話をしながら、食事をしてくれていたのか、しばらく顔を見せなかった。
が、しばらくしてまた枕元にやって来た。
目に涙をためて、目のふちが真っ赤になっている。
ああ、死んじゃうなんて言ってしまって、悲しませてしまった、と思った。
すると、彼は泣きべそをかきながら、こう言った。
「ママが死んだら、誰が僕らのご飯をつくるの?」と。
その言葉を聞いた時の落胆は、今も忘れられない。
自分が何と答えたかは忘れたが、ほんとうに落胆した。
思えば、夫がそもそも、私をそういうふうに扱っていたのだから、それが私の家族内での位置だったのだ。
だから、息子が薄情というより、そういう者として、私はいたのだ。
少し成長すると、娘は私の胸の内を心配してくれるようになったが、
息子はよくわからないままだ。
まだ、娘が生まれる前、
夫の実家に行ったとき、夫の親族たちが団欒で集う中、私一人がぽつんと離れているのを見て、目の周りを真っ赤にして、
息子が、
「ママもこっちに来て座って」と言ってくれた、その時の私の位置には同情してくれていたから、別に薄情ではないのだろう。
が、成長するにつれて、
私の立場など意に介さなくなった感じで、
成長するにつれて、私を慮ってくれるようになっていく娘とは逆だった。
今も、娘は、私の立場に心を寄せてくれている。
息子は、私が永遠に生きると思っているかのように無関心だ。
これがジェンダーなのか、個性なのか、全くわからない。
ただ、男として社会化された息子は、男を優位に扱う社会の空気の中で、確実にその位置に居座っている。
まあ、女性に関わって、女性に迷惑をかけるよりも、
一人で、独立独歩で生きているから、まだましな生き方をしているとも言えるけれども、、、。
ただ、母親が細かな用事を自分のために行うことについては、特段、遠慮はしない。
それも、女性とつがいになって女性に迷惑をかけ続けている男たちを、たくさん見ているので、私という「女」が家事に類する細かな用事で動き回ることは当たり前に見えているようだ。
私は家事なんて、死ぬほど嫌いで、それは息子と全く同じなのだけど、息子は「男」というだけで許されている、それがこの社会だ。
この社会で優位に置かれた者は、その優位な位置から立ち退かない。
ただでさえ、生きるのは困難なのだから、その場所で闘うばかりだ。
息子が幼い頃、自分に似ていると思って、
不幸な子ども時代にしてやってはいけないと心を砕いたが、
どうも、それは不要な心配だったようだ。
娘は、妹という立場でもあり、私よりもドライな性格だと思っていたが、
むしろ、大人になると、娘の方が共感能力が高くて、私の気持ちに寄り添ってくれるようになった。
もちろん、それぞれ個性があるから、
私のわからない部分をたくさん持っているだろうとは思う。
しかし、息子の心の内はほんとうにわからない。
繊細かと思えば、ものすごく図太いし、
こだわりの強いところと雑なところが同居している。
まあ、誰でもそうなのだろうけど、ただ、彼の雑さのレベルは理解不能で、こだわりの強さも理解不能なレベルなのだ。
ただ、わかるのは、
息子は男性として社会化されてきているからか、見事なほど、
母親には想像力も共感も働かないらしい、ということだ。
今も思い出すことがある。
息子と娘は4歳半、年齢が離れているので、
子育て時代は結構、長かった。
息子が何でも自分でやれるようになる頃に、娘が生まれているので、
今度は娘に手をとられていた。
そして、それらもようやく一段落した頃、
私は高熱を出した。
子どもの手が離れてようやく楽になる頃に、母親は病気をする、というのは、その頃よく言われていたことだけど、
ほんとに、その通りに、42~3度の高熱を出した。
夫は、毎晩、遅く帰って来る。
近所の子どもたちが母子家庭と間違えるほど、夫は家にはいない。
私はいつものように、夕食を作っていた。
が、気分が悪いことこの上ない。
立っているのも無理なほどしんどいのに、
なすのひき肉はさみ揚げとタレを作っていた。
自分が病気であることに気づかず、予定した通りのメニューを作っていたのだ。
猛烈に、気分が悪かった。
頭が痛く、吐きそうで、立っているのもつらかった。
ようやく、夕食の支度を終えて、火の始末をしたあと、
息子に適当に自分たちで食べるように言って、
私は、布団を敷いて横になった。
娘は幼かったから、向こうの部屋で遊んでいたのだろう。
息子に、「支度はできているから、妹の分も取り分けて食べておくように」と、食べ方の指示をして寝ていた。
が、尋常ではない気分の悪さである。
息子が私の枕元にやって来て、どのように食べるのかを何度か聞きに来ていて、私は苦しい息の下から指示を与えていたのだったと記憶している。
いつもと同じように世話の焼ける感じの息子に、
「ママはしんどいから、もう、死んじゃうかもしれないの」と言って、大変な状況にあることをわからせようとした。
それほど、これまでに覚えのないほど気分が悪かった。
やがて、息子は妹の世話をしながら、食事をしてくれていたのか、しばらく顔を見せなかった。
が、しばらくしてまた枕元にやって来た。
目に涙をためて、目のふちが真っ赤になっている。
ああ、死んじゃうなんて言ってしまって、悲しませてしまった、と思った。
すると、彼は泣きべそをかきながら、こう言った。
「ママが死んだら、誰が僕らのご飯をつくるの?」と。
その言葉を聞いた時の落胆は、今も忘れられない。
自分が何と答えたかは忘れたが、ほんとうに落胆した。
思えば、夫がそもそも、私をそういうふうに扱っていたのだから、それが私の家族内での位置だったのだ。
だから、息子が薄情というより、そういう者として、私はいたのだ。
少し成長すると、娘は私の胸の内を心配してくれるようになったが、
息子はよくわからないままだ。
まだ、娘が生まれる前、
夫の実家に行ったとき、夫の親族たちが団欒で集う中、私一人がぽつんと離れているのを見て、目の周りを真っ赤にして、
息子が、
「ママもこっちに来て座って」と言ってくれた、その時の私の位置には同情してくれていたから、別に薄情ではないのだろう。
が、成長するにつれて、
私の立場など意に介さなくなった感じで、
成長するにつれて、私を慮ってくれるようになっていく娘とは逆だった。
今も、娘は、私の立場に心を寄せてくれている。
息子は、私が永遠に生きると思っているかのように無関心だ。
これがジェンダーなのか、個性なのか、全くわからない。
ただ、男として社会化された息子は、男を優位に扱う社会の空気の中で、確実にその位置に居座っている。
まあ、女性に関わって、女性に迷惑をかけるよりも、
一人で、独立独歩で生きているから、まだましな生き方をしているとも言えるけれども、、、。
ただ、母親が細かな用事を自分のために行うことについては、特段、遠慮はしない。
それも、女性とつがいになって女性に迷惑をかけ続けている男たちを、たくさん見ているので、私という「女」が家事に類する細かな用事で動き回ることは当たり前に見えているようだ。
私は家事なんて、死ぬほど嫌いで、それは息子と全く同じなのだけど、息子は「男」というだけで許されている、それがこの社会だ。
この社会で優位に置かれた者は、その優位な位置から立ち退かない。
ただでさえ、生きるのは困難なのだから、その場所で闘うばかりだ。
気になる・・・ ― 2024/07/12 08:10
テレビをよく見る。
NHKの朝ドラ、私の周りでも人気が高い、『虎に翼』。
私も毎朝、楽しみに観ている。
しかし、戦後すぐのシーンで、
私が期待していた女性が出てこなかった。
戦後の憲法制定時に、GHQにはベアテ・シロタ・ゴードンさんという女性がいて、憲法24条の草案を書いたことが有名だ。
90年頃に、本人がようやく名乗りを上げて、当時の記憶を語ったことで、私が仕事をしていた業界では、超有名人となった。
が、ドラマでは描かれていなかった。
まあ、どういう文脈で、どういう業界で、何がフォーカスされるのかはいろいろだから、
私がよく知っている事象が一般的だとは限らない。
だから、まあ、いいとしよう。
しかし、その他の細かなことで、
なんだか、もやもやと気になることが多い。
昔のことと言っても、時代が近いと、自分の知識や記憶として格納されている情報も結構あるから、「ん?」とびっくりするような、「間違い」と思えることも出て来る。
細かなことでも気になり出すことがある。
例えば、途中から登場したイケメン(たぶん、主人公が再婚する相手かと推測される)がいるのだが、
この人の髪型が気になって仕方がない。
戦後間もない頃でしょ?
なんで、こんな前髪の長い、令和の今どきの若い男みたいな頭をしているのか、、、。
法曹界で働く当時のエリートだ。
これでいいの?
気になる、この人が登場するたびに、「作り物」というのが意識に立ち上って、ドラマの流れに入れない。
やっぱり、当時の堅気の男性は七三だろう。
あ~、違和感、、、。
それと、戦後間もない頃の日本人が、やたらハグし合うのも、気になるポイント。
こういう習慣はなかったよ。
いくら感極まっても、ハグはしない。
気になると、あれこれ、いちゃもんつけたくなる。
一度、他の朝ドラの時、戦前の小学生が男女混合の教室で勉強をしている風景が気になって、
NHKに問い合わせのメールを送った。
これには、
「男女別学が原則だったが、人数が合わずに混合にしているクラスもあった」という説明を受けて、
それは聞いたことがあるかも、と納得した。
今回も聞いてみようかな。
せめて、あの髪型、、、
それとも、もうちょっと調べてみようか、、、。
いやいや、あれはあり得ないぞ、、、。
NHKの朝ドラ、私の周りでも人気が高い、『虎に翼』。
私も毎朝、楽しみに観ている。
しかし、戦後すぐのシーンで、
私が期待していた女性が出てこなかった。
戦後の憲法制定時に、GHQにはベアテ・シロタ・ゴードンさんという女性がいて、憲法24条の草案を書いたことが有名だ。
90年頃に、本人がようやく名乗りを上げて、当時の記憶を語ったことで、私が仕事をしていた業界では、超有名人となった。
が、ドラマでは描かれていなかった。
まあ、どういう文脈で、どういう業界で、何がフォーカスされるのかはいろいろだから、
私がよく知っている事象が一般的だとは限らない。
だから、まあ、いいとしよう。
しかし、その他の細かなことで、
なんだか、もやもやと気になることが多い。
昔のことと言っても、時代が近いと、自分の知識や記憶として格納されている情報も結構あるから、「ん?」とびっくりするような、「間違い」と思えることも出て来る。
細かなことでも気になり出すことがある。
例えば、途中から登場したイケメン(たぶん、主人公が再婚する相手かと推測される)がいるのだが、
この人の髪型が気になって仕方がない。
戦後間もない頃でしょ?
なんで、こんな前髪の長い、令和の今どきの若い男みたいな頭をしているのか、、、。
法曹界で働く当時のエリートだ。
これでいいの?
気になる、この人が登場するたびに、「作り物」というのが意識に立ち上って、ドラマの流れに入れない。
やっぱり、当時の堅気の男性は七三だろう。
あ~、違和感、、、。
それと、戦後間もない頃の日本人が、やたらハグし合うのも、気になるポイント。
こういう習慣はなかったよ。
いくら感極まっても、ハグはしない。
気になると、あれこれ、いちゃもんつけたくなる。
一度、他の朝ドラの時、戦前の小学生が男女混合の教室で勉強をしている風景が気になって、
NHKに問い合わせのメールを送った。
これには、
「男女別学が原則だったが、人数が合わずに混合にしているクラスもあった」という説明を受けて、
それは聞いたことがあるかも、と納得した。
今回も聞いてみようかな。
せめて、あの髪型、、、
それとも、もうちょっと調べてみようか、、、。
いやいや、あれはあり得ないぞ、、、。
消費行動は親譲り? ― 2024/07/15 08:48
別に遺伝するわけではないだろうけど、
親の生活習慣は確実に受け継いでいる。
私の場合、特に母からだと思う。
母は、自分の母親が、お金があればあるだけ使う人だったので、
父親が家計の管理をしていた、と言っていた。
その母は、毎日、家計簿をつけていたが、
「ただ、つけているだけで、それで節約する、とかいうことはない」と自分で笑っていた。
市販の婦人雑誌が新年号に必ず付録につける家計簿があって、
それを使って、几帳面な文字を書きつけて、且つ、その日の日記をわずかなスペースに書き込むことが、ある意味、趣味のようだった。
ノートに文字を書く、ということは、私も子ども時代、この上ない喜びだったから、母も、その趣味をささやかに楽しんでいただろう。
私の記憶から想像するに、書く、という行為自体が母も私も楽しかった気がする。
だから、母の家計簿は、節約、倹約という実践には結びつかない。
あればあるだけ、お金を使うのは、実は私の母もそうだった。
父が亡くなった後、父はかなりの貯金は残していたはずだし、株も持っていたが、母は、定期預金も株券もすべて普通預金に変えたと言っていた。
それは、いつでもすぐに好きなように使える現金を持った、ということだ。
私の家の近くに引っ越してきてからは、ATMに慣れていないせいで、私や息子に預金の引き出しを頼んでいた。
息子が母に頼まれて預金の引き出しに行くので、
つい先日、頼まれて100万円をおろしたばかりの私が息子に尋ねると、「50万円、頼まれた」と言う。
母の預金の引き出しは、
こうして、私と息子と交互に、短い期間に、50万、100万単位で繰り返されていた。
こんなことをしていたら、あっという間になくなるのは当たり前だ。
いったい、何のためにそれだけのお金を使うのか、さっぱりわからないが、私に一切、自分の保有するお金、つまり父の遺産について言わないので、残金がどれほどあるのかも見当もつかなかった。
ただ、湯水のようにお金を使っていたのは確かだ。
「お金を持って死ぬわけにはいかへんし、残してもしようがないし」と母は笑っていた。
私に遺す気は、はなからなかった。
父の遺産については、母自身が、小学生の私に、私自身には権利がない、と思い込ませてきた。
まだ母に愛されたいと願っていた小学生の私の目の前で、父に、「相続の制度はおかしい」といきり立っていた。
当時、まだ、遺産相続は、配偶者が3分の1,子が3分の2だった時だ。
「なんの貢献もしていないM吉が、私より多い3分の2ももらうのはおかしい」と盛んに怒っていた。
当時は、一人っ子は少なかったので、そういう配分に定められていたのだろうが、私は一人っ子だったので、私が母の2倍の額を、相続することになってしまう。
子どもだった私は、母の怒りを鎮めたくて、
「M吉は要らないから。全部、お母さんのものだから」と一生懸命、母をなだめていた記憶がある。
まあ、そういう母だから、父が亡くなった後、「ちょっとだけ」と言いながら、300万円をくれた。
300万円が「ちょっとだけ」なら、元はどれくらいだったのか、さっぱりわからない。
が、そのあとの母のお金の使い方は、父の生前でもかなり激しかったが、それにもましてすごかった。
自分の財布にたくさんのお金が入っていて、好きなように使える、という感じだった。後顧の憂いなく、使い放題だった。
買い物に付き合ったとき、目に留まった4万円以上するバッグを躊躇なく買った。
自販機のジュースを買う程度の決断の速さだ。
そして、次の日だかに、「持ってみたけど、私には派手やわ」と、私にくれた。
まあ、これは、私が思わぬ得をした話だけど、
母は、退屈しのぎに買い物をし、憂さ晴らしに買い物をし、楽しみがないのだから、と買い物をした。
他人に対しても贈り物は盛んだ。
住んでいた家を売って、私の近くに引っ越してきたのだが、
売却を仲介した不動産業者に、既定の仲介手数料の別に多額のお礼を渡したらしい。
母が、最後に仲介業者に会いに行くときに同行したのだが、
「苦労してもろたさかい、手数料の別に、ちょっとお金を渡してん」と言っていた。
苦労、と言っても、普通の骨折りのレベルだとは思う。
仕事のうちだろう。
あんまり気にしないで、「ああ、そう」と、母らしいと思いながら一緒に行った。
住み慣れた街のご近所に挨拶に回るついでに、不動産会社にもあいさつに立ち寄っただけなのだが、
社員総立ちで、奥から責任者が出てきて、全員から最敬礼で挨拶された。
そう言えば、その少し前に、担当の社員から、
「お母さまが、手数料の別にお金をくださったのですが、娘さまは承知されているのでしょうか」と、不安そうに言われた。
母は、完全にご隠居様で、当時、私がそれなりに肩書のある職にいたので、相手は、法的なことなど私に説明することが多く、母は理性的な判断ができないと思われていたふしがある。
が、私は、別に気にも留めず、
「まあ、母のお金ですから、母がしたいようにしていますので」と、さりげなく答えた。
後で、いったい、どれくらい渡したのだろう、とは思った。
あの相手の業者の反応を思い起こすと、結構な額だったのだろうと、考えられる。
母は、そうして、お金を使って、憂さ晴らしをし、人に丁寧に扱われ、自分の気分や位置を守り続けた。
亡くなる少し前、介護で私を頼りにするようになって、
「貯金はちょっとしかないけど、全部、M吉にあげたい」と、恩着せがましく言ってきて、その言い方がいやだった。
言われなくても、相続人は私だ。
自分の収入を持たなかった女性が、
こうして、「遺産」というものを唯一の武器に、自分を守り続けるありさまが、なんとも哀れで悲しかった。
父の稼ぎぶりから考えると、確かに「ちょっと」の金額だった。
母の死後、これだけしか残っていないのか、とがっかりしたが、まあ、母が、楽しむのは、お金を使う時だけだったのだから、仕方がない。
私も退職した直後、自分の貯金を、わずか1年で、1000万使ってしまって青くなったことがあるから、母の浪費癖は、確実に受け継いだようだ。
友人に、お金の使い方がすごい、とよく言われたが、
当時は、さっぱりわからなかった。
今ならわかる。
もともと、母ほどお金を持ってはいないが、
それでも、自分の手の届く金額だと、結構、躊躇せずに買い物をしてしまう。
若くて、お金のない所帯を切り盛りしていた頃から、
近所の奥さんに、「お金を平気で使うね」とは言われていた。
が、お手本が母しかいなかったから、その意味がよくわからなかった。
今、こうして、年金額の低い、無職のおばあさんになって、
ようやく、これはまずいぞ、と思っている。
それでも、「買いたい」病はなかなか治らない。
消費行動は、親に似る、と思った次第。
朝っぱらから、妙に残念な懐古談になってしまった。
親の生活習慣は確実に受け継いでいる。
私の場合、特に母からだと思う。
母は、自分の母親が、お金があればあるだけ使う人だったので、
父親が家計の管理をしていた、と言っていた。
その母は、毎日、家計簿をつけていたが、
「ただ、つけているだけで、それで節約する、とかいうことはない」と自分で笑っていた。
市販の婦人雑誌が新年号に必ず付録につける家計簿があって、
それを使って、几帳面な文字を書きつけて、且つ、その日の日記をわずかなスペースに書き込むことが、ある意味、趣味のようだった。
ノートに文字を書く、ということは、私も子ども時代、この上ない喜びだったから、母も、その趣味をささやかに楽しんでいただろう。
私の記憶から想像するに、書く、という行為自体が母も私も楽しかった気がする。
だから、母の家計簿は、節約、倹約という実践には結びつかない。
あればあるだけ、お金を使うのは、実は私の母もそうだった。
父が亡くなった後、父はかなりの貯金は残していたはずだし、株も持っていたが、母は、定期預金も株券もすべて普通預金に変えたと言っていた。
それは、いつでもすぐに好きなように使える現金を持った、ということだ。
私の家の近くに引っ越してきてからは、ATMに慣れていないせいで、私や息子に預金の引き出しを頼んでいた。
息子が母に頼まれて預金の引き出しに行くので、
つい先日、頼まれて100万円をおろしたばかりの私が息子に尋ねると、「50万円、頼まれた」と言う。
母の預金の引き出しは、
こうして、私と息子と交互に、短い期間に、50万、100万単位で繰り返されていた。
こんなことをしていたら、あっという間になくなるのは当たり前だ。
いったい、何のためにそれだけのお金を使うのか、さっぱりわからないが、私に一切、自分の保有するお金、つまり父の遺産について言わないので、残金がどれほどあるのかも見当もつかなかった。
ただ、湯水のようにお金を使っていたのは確かだ。
「お金を持って死ぬわけにはいかへんし、残してもしようがないし」と母は笑っていた。
私に遺す気は、はなからなかった。
父の遺産については、母自身が、小学生の私に、私自身には権利がない、と思い込ませてきた。
まだ母に愛されたいと願っていた小学生の私の目の前で、父に、「相続の制度はおかしい」といきり立っていた。
当時、まだ、遺産相続は、配偶者が3分の1,子が3分の2だった時だ。
「なんの貢献もしていないM吉が、私より多い3分の2ももらうのはおかしい」と盛んに怒っていた。
当時は、一人っ子は少なかったので、そういう配分に定められていたのだろうが、私は一人っ子だったので、私が母の2倍の額を、相続することになってしまう。
子どもだった私は、母の怒りを鎮めたくて、
「M吉は要らないから。全部、お母さんのものだから」と一生懸命、母をなだめていた記憶がある。
まあ、そういう母だから、父が亡くなった後、「ちょっとだけ」と言いながら、300万円をくれた。
300万円が「ちょっとだけ」なら、元はどれくらいだったのか、さっぱりわからない。
が、そのあとの母のお金の使い方は、父の生前でもかなり激しかったが、それにもましてすごかった。
自分の財布にたくさんのお金が入っていて、好きなように使える、という感じだった。後顧の憂いなく、使い放題だった。
買い物に付き合ったとき、目に留まった4万円以上するバッグを躊躇なく買った。
自販機のジュースを買う程度の決断の速さだ。
そして、次の日だかに、「持ってみたけど、私には派手やわ」と、私にくれた。
まあ、これは、私が思わぬ得をした話だけど、
母は、退屈しのぎに買い物をし、憂さ晴らしに買い物をし、楽しみがないのだから、と買い物をした。
他人に対しても贈り物は盛んだ。
住んでいた家を売って、私の近くに引っ越してきたのだが、
売却を仲介した不動産業者に、既定の仲介手数料の別に多額のお礼を渡したらしい。
母が、最後に仲介業者に会いに行くときに同行したのだが、
「苦労してもろたさかい、手数料の別に、ちょっとお金を渡してん」と言っていた。
苦労、と言っても、普通の骨折りのレベルだとは思う。
仕事のうちだろう。
あんまり気にしないで、「ああ、そう」と、母らしいと思いながら一緒に行った。
住み慣れた街のご近所に挨拶に回るついでに、不動産会社にもあいさつに立ち寄っただけなのだが、
社員総立ちで、奥から責任者が出てきて、全員から最敬礼で挨拶された。
そう言えば、その少し前に、担当の社員から、
「お母さまが、手数料の別にお金をくださったのですが、娘さまは承知されているのでしょうか」と、不安そうに言われた。
母は、完全にご隠居様で、当時、私がそれなりに肩書のある職にいたので、相手は、法的なことなど私に説明することが多く、母は理性的な判断ができないと思われていたふしがある。
が、私は、別に気にも留めず、
「まあ、母のお金ですから、母がしたいようにしていますので」と、さりげなく答えた。
後で、いったい、どれくらい渡したのだろう、とは思った。
あの相手の業者の反応を思い起こすと、結構な額だったのだろうと、考えられる。
母は、そうして、お金を使って、憂さ晴らしをし、人に丁寧に扱われ、自分の気分や位置を守り続けた。
亡くなる少し前、介護で私を頼りにするようになって、
「貯金はちょっとしかないけど、全部、M吉にあげたい」と、恩着せがましく言ってきて、その言い方がいやだった。
言われなくても、相続人は私だ。
自分の収入を持たなかった女性が、
こうして、「遺産」というものを唯一の武器に、自分を守り続けるありさまが、なんとも哀れで悲しかった。
父の稼ぎぶりから考えると、確かに「ちょっと」の金額だった。
母の死後、これだけしか残っていないのか、とがっかりしたが、まあ、母が、楽しむのは、お金を使う時だけだったのだから、仕方がない。
私も退職した直後、自分の貯金を、わずか1年で、1000万使ってしまって青くなったことがあるから、母の浪費癖は、確実に受け継いだようだ。
友人に、お金の使い方がすごい、とよく言われたが、
当時は、さっぱりわからなかった。
今ならわかる。
もともと、母ほどお金を持ってはいないが、
それでも、自分の手の届く金額だと、結構、躊躇せずに買い物をしてしまう。
若くて、お金のない所帯を切り盛りしていた頃から、
近所の奥さんに、「お金を平気で使うね」とは言われていた。
が、お手本が母しかいなかったから、その意味がよくわからなかった。
今、こうして、年金額の低い、無職のおばあさんになって、
ようやく、これはまずいぞ、と思っている。
それでも、「買いたい」病はなかなか治らない。
消費行動は、親に似る、と思った次第。
朝っぱらから、妙に残念な懐古談になってしまった。
中高年の女性の生き方 ― 2024/07/15 14:42
なんとなくテレビを流していたら、
60歳代の女性が、古民家暮らしを始めた、という内容の番組が始まった。
お、これは、参考になるかな、と見始めたが、
結局、夫という名の相棒がいて、
一緒にいろいろやっている。
なんだ、番でいるんじゃねぇか、、、。
一人暮らしの女ではない。
近くを散歩していても、自分と同年代の人がよく散歩をしているが、
番で歩いている人がおおい。
※あ、番は、「つがい」と読みます。(私、悪意持ってる?)
いろいろあったんだろうが、
年をとって、リタイアして、
結局、ゆるい速度で家の周辺を歩けるのは、
長年、「夫婦」というかたちで生きて来た二人になっている、ということか。
まあ、私にはわからない。
男は私の人生の邪魔ばっかりして、
私に困難を強いたやつらだから、
いいなぁとは、金輪際思わない。
ただ、連れだってそぞろ歩きができる人がいることは
よいことのような気がする。
孤独ではない。
孤独死というのは、一人で死ぬことではない。
孤独が原因で死ぬことだから。
60歳代の女性が、古民家暮らしを始めた、という内容の番組が始まった。
お、これは、参考になるかな、と見始めたが、
結局、夫という名の相棒がいて、
一緒にいろいろやっている。
なんだ、番でいるんじゃねぇか、、、。
一人暮らしの女ではない。
近くを散歩していても、自分と同年代の人がよく散歩をしているが、
番で歩いている人がおおい。
※あ、番は、「つがい」と読みます。(私、悪意持ってる?)
いろいろあったんだろうが、
年をとって、リタイアして、
結局、ゆるい速度で家の周辺を歩けるのは、
長年、「夫婦」というかたちで生きて来た二人になっている、ということか。
まあ、私にはわからない。
男は私の人生の邪魔ばっかりして、
私に困難を強いたやつらだから、
いいなぁとは、金輪際思わない。
ただ、連れだってそぞろ歩きができる人がいることは
よいことのような気がする。
孤独ではない。
孤独死というのは、一人で死ぬことではない。
孤独が原因で死ぬことだから。
テレビを見ていて ― 2024/07/16 09:22
テレビを見ることが増えた。
外に出る用事が減ったし、暑い時は外に出たくないしね。
で、トランプ元大統領銃撃事件。
いろいろ思うが、
共和党は過去にいろいろ不善をなしてきた高齢のトランプ、民主党は高齢による衰えを心配されているバイデン。
人材がいないのだなぁ、どっちも。
民主主義というものは時間がかかる。
自分とは反対の主張も、同等に尊重する思想だ。
自分にとって都合の悪い意見も圧殺しない。
意見が対立する中で、理論的に倫理的に議論を重ねた末に、
結論を導き出そうとする。
そういう悠長なプロセスに我慢できない、依存体質の人たちは、
「強いリーダー」を求め、導いてほしがる。
トランプのような男が支持されるのだ。
トランプもバイデンも、私より年上だ。
この老人男性二人が、大国の主導権をめぐって争うわけだ。
やっぱり、思想闘争となるはずだ。
が、そうなると、
自己チューで他人頼みのアメリカの大衆が、
数を増せば、
同じように自己チューで、弱者には目を向けようともしない、
強い男をアピールできるトランプに分があることになる。
トランプ支持の人は、思想を持たない。
得か損か、で判断する。
いや、損得がかれらの思想の根源なのか、、、。
なんか、世も末という感じがする。
政治が経済を軸にしか動かないのは、確かなようだ。
「きれい事」では政治はまわらない。
そのことは、みんなわかっているはずだ。
が、それでも、民主主義を守りたいと、まだ望みを捨てないでいる、理想主義的な人より、
なりふり構わず、露骨に己が利益を優先するタイプの人たちが、
優勢になってきたのが現代なのか、、、。
世も末だわ、、、
が、日本でもそういう人が増えている。
ヘイト・スピーチをする人たちの心性って、上に述べたトランプ支持の人と似ているように思う。
そういう人が増えている悲しさがある。
外に出る用事が減ったし、暑い時は外に出たくないしね。
で、トランプ元大統領銃撃事件。
いろいろ思うが、
共和党は過去にいろいろ不善をなしてきた高齢のトランプ、民主党は高齢による衰えを心配されているバイデン。
人材がいないのだなぁ、どっちも。
民主主義というものは時間がかかる。
自分とは反対の主張も、同等に尊重する思想だ。
自分にとって都合の悪い意見も圧殺しない。
意見が対立する中で、理論的に倫理的に議論を重ねた末に、
結論を導き出そうとする。
そういう悠長なプロセスに我慢できない、依存体質の人たちは、
「強いリーダー」を求め、導いてほしがる。
トランプのような男が支持されるのだ。
トランプもバイデンも、私より年上だ。
この老人男性二人が、大国の主導権をめぐって争うわけだ。
やっぱり、思想闘争となるはずだ。
が、そうなると、
自己チューで他人頼みのアメリカの大衆が、
数を増せば、
同じように自己チューで、弱者には目を向けようともしない、
強い男をアピールできるトランプに分があることになる。
トランプ支持の人は、思想を持たない。
得か損か、で判断する。
いや、損得がかれらの思想の根源なのか、、、。
なんか、世も末という感じがする。
政治が経済を軸にしか動かないのは、確かなようだ。
「きれい事」では政治はまわらない。
そのことは、みんなわかっているはずだ。
が、それでも、民主主義を守りたいと、まだ望みを捨てないでいる、理想主義的な人より、
なりふり構わず、露骨に己が利益を優先するタイプの人たちが、
優勢になってきたのが現代なのか、、、。
世も末だわ、、、
が、日本でもそういう人が増えている。
ヘイト・スピーチをする人たちの心性って、上に述べたトランプ支持の人と似ているように思う。
そういう人が増えている悲しさがある。
最近のコメント