息子の気持ち ― 2024/07/04 21:21
この世でわからないものの一つは、今日のタイトルのこれ。
息子が幼い頃、自分に似ていると思って、
不幸な子ども時代にしてやってはいけないと心を砕いたが、
どうも、それは不要な心配だったようだ。
娘は、妹という立場でもあり、私よりもドライな性格だと思っていたが、
むしろ、大人になると、娘の方が共感能力が高くて、私の気持ちに寄り添ってくれるようになった。
もちろん、それぞれ個性があるから、
私のわからない部分をたくさん持っているだろうとは思う。
しかし、息子の心の内はほんとうにわからない。
繊細かと思えば、ものすごく図太いし、
こだわりの強いところと雑なところが同居している。
まあ、誰でもそうなのだろうけど、ただ、彼の雑さのレベルは理解不能で、こだわりの強さも理解不能なレベルなのだ。
ただ、わかるのは、
息子は男性として社会化されてきているからか、見事なほど、
母親には想像力も共感も働かないらしい、ということだ。
今も思い出すことがある。
息子と娘は4歳半、年齢が離れているので、
子育て時代は結構、長かった。
息子が何でも自分でやれるようになる頃に、娘が生まれているので、
今度は娘に手をとられていた。
そして、それらもようやく一段落した頃、
私は高熱を出した。
子どもの手が離れてようやく楽になる頃に、母親は病気をする、というのは、その頃よく言われていたことだけど、
ほんとに、その通りに、42~3度の高熱を出した。
夫は、毎晩、遅く帰って来る。
近所の子どもたちが母子家庭と間違えるほど、夫は家にはいない。
私はいつものように、夕食を作っていた。
が、気分が悪いことこの上ない。
立っているのも無理なほどしんどいのに、
なすのひき肉はさみ揚げとタレを作っていた。
自分が病気であることに気づかず、予定した通りのメニューを作っていたのだ。
猛烈に、気分が悪かった。
頭が痛く、吐きそうで、立っているのもつらかった。
ようやく、夕食の支度を終えて、火の始末をしたあと、
息子に適当に自分たちで食べるように言って、
私は、布団を敷いて横になった。
娘は幼かったから、向こうの部屋で遊んでいたのだろう。
息子に、「支度はできているから、妹の分も取り分けて食べておくように」と、食べ方の指示をして寝ていた。
が、尋常ではない気分の悪さである。
息子が私の枕元にやって来て、どのように食べるのかを何度か聞きに来ていて、私は苦しい息の下から指示を与えていたのだったと記憶している。
いつもと同じように世話の焼ける感じの息子に、
「ママはしんどいから、もう、死んじゃうかもしれないの」と言って、大変な状況にあることをわからせようとした。
それほど、これまでに覚えのないほど気分が悪かった。
やがて、息子は妹の世話をしながら、食事をしてくれていたのか、しばらく顔を見せなかった。
が、しばらくしてまた枕元にやって来た。
目に涙をためて、目のふちが真っ赤になっている。
ああ、死んじゃうなんて言ってしまって、悲しませてしまった、と思った。
すると、彼は泣きべそをかきながら、こう言った。
「ママが死んだら、誰が僕らのご飯をつくるの?」と。
その言葉を聞いた時の落胆は、今も忘れられない。
自分が何と答えたかは忘れたが、ほんとうに落胆した。
思えば、夫がそもそも、私をそういうふうに扱っていたのだから、それが私の家族内での位置だったのだ。
だから、息子が薄情というより、そういう者として、私はいたのだ。
少し成長すると、娘は私の胸の内を心配してくれるようになったが、
息子はよくわからないままだ。
まだ、娘が生まれる前、
夫の実家に行ったとき、夫の親族たちが団欒で集う中、私一人がぽつんと離れているのを見て、目の周りを真っ赤にして、
息子が、
「ママもこっちに来て座って」と言ってくれた、その時の私の位置には同情してくれていたから、別に薄情ではないのだろう。
が、成長するにつれて、
私の立場など意に介さなくなった感じで、
成長するにつれて、私を慮ってくれるようになっていく娘とは逆だった。
今も、娘は、私の立場に心を寄せてくれている。
息子は、私が永遠に生きると思っているかのように無関心だ。
これがジェンダーなのか、個性なのか、全くわからない。
ただ、男として社会化された息子は、男を優位に扱う社会の空気の中で、確実にその位置に居座っている。
まあ、女性に関わって、女性に迷惑をかけるよりも、
一人で、独立独歩で生きているから、まだましな生き方をしているとも言えるけれども、、、。
ただ、母親が細かな用事を自分のために行うことについては、特段、遠慮はしない。
それも、女性とつがいになって女性に迷惑をかけ続けている男たちを、たくさん見ているので、私という「女」が家事に類する細かな用事で動き回ることは当たり前に見えているようだ。
私は家事なんて、死ぬほど嫌いで、それは息子と全く同じなのだけど、息子は「男」というだけで許されている、それがこの社会だ。
この社会で優位に置かれた者は、その優位な位置から立ち退かない。
ただでさえ、生きるのは困難なのだから、その場所で闘うばかりだ。
息子が幼い頃、自分に似ていると思って、
不幸な子ども時代にしてやってはいけないと心を砕いたが、
どうも、それは不要な心配だったようだ。
娘は、妹という立場でもあり、私よりもドライな性格だと思っていたが、
むしろ、大人になると、娘の方が共感能力が高くて、私の気持ちに寄り添ってくれるようになった。
もちろん、それぞれ個性があるから、
私のわからない部分をたくさん持っているだろうとは思う。
しかし、息子の心の内はほんとうにわからない。
繊細かと思えば、ものすごく図太いし、
こだわりの強いところと雑なところが同居している。
まあ、誰でもそうなのだろうけど、ただ、彼の雑さのレベルは理解不能で、こだわりの強さも理解不能なレベルなのだ。
ただ、わかるのは、
息子は男性として社会化されてきているからか、見事なほど、
母親には想像力も共感も働かないらしい、ということだ。
今も思い出すことがある。
息子と娘は4歳半、年齢が離れているので、
子育て時代は結構、長かった。
息子が何でも自分でやれるようになる頃に、娘が生まれているので、
今度は娘に手をとられていた。
そして、それらもようやく一段落した頃、
私は高熱を出した。
子どもの手が離れてようやく楽になる頃に、母親は病気をする、というのは、その頃よく言われていたことだけど、
ほんとに、その通りに、42~3度の高熱を出した。
夫は、毎晩、遅く帰って来る。
近所の子どもたちが母子家庭と間違えるほど、夫は家にはいない。
私はいつものように、夕食を作っていた。
が、気分が悪いことこの上ない。
立っているのも無理なほどしんどいのに、
なすのひき肉はさみ揚げとタレを作っていた。
自分が病気であることに気づかず、予定した通りのメニューを作っていたのだ。
猛烈に、気分が悪かった。
頭が痛く、吐きそうで、立っているのもつらかった。
ようやく、夕食の支度を終えて、火の始末をしたあと、
息子に適当に自分たちで食べるように言って、
私は、布団を敷いて横になった。
娘は幼かったから、向こうの部屋で遊んでいたのだろう。
息子に、「支度はできているから、妹の分も取り分けて食べておくように」と、食べ方の指示をして寝ていた。
が、尋常ではない気分の悪さである。
息子が私の枕元にやって来て、どのように食べるのかを何度か聞きに来ていて、私は苦しい息の下から指示を与えていたのだったと記憶している。
いつもと同じように世話の焼ける感じの息子に、
「ママはしんどいから、もう、死んじゃうかもしれないの」と言って、大変な状況にあることをわからせようとした。
それほど、これまでに覚えのないほど気分が悪かった。
やがて、息子は妹の世話をしながら、食事をしてくれていたのか、しばらく顔を見せなかった。
が、しばらくしてまた枕元にやって来た。
目に涙をためて、目のふちが真っ赤になっている。
ああ、死んじゃうなんて言ってしまって、悲しませてしまった、と思った。
すると、彼は泣きべそをかきながら、こう言った。
「ママが死んだら、誰が僕らのご飯をつくるの?」と。
その言葉を聞いた時の落胆は、今も忘れられない。
自分が何と答えたかは忘れたが、ほんとうに落胆した。
思えば、夫がそもそも、私をそういうふうに扱っていたのだから、それが私の家族内での位置だったのだ。
だから、息子が薄情というより、そういう者として、私はいたのだ。
少し成長すると、娘は私の胸の内を心配してくれるようになったが、
息子はよくわからないままだ。
まだ、娘が生まれる前、
夫の実家に行ったとき、夫の親族たちが団欒で集う中、私一人がぽつんと離れているのを見て、目の周りを真っ赤にして、
息子が、
「ママもこっちに来て座って」と言ってくれた、その時の私の位置には同情してくれていたから、別に薄情ではないのだろう。
が、成長するにつれて、
私の立場など意に介さなくなった感じで、
成長するにつれて、私を慮ってくれるようになっていく娘とは逆だった。
今も、娘は、私の立場に心を寄せてくれている。
息子は、私が永遠に生きると思っているかのように無関心だ。
これがジェンダーなのか、個性なのか、全くわからない。
ただ、男として社会化された息子は、男を優位に扱う社会の空気の中で、確実にその位置に居座っている。
まあ、女性に関わって、女性に迷惑をかけるよりも、
一人で、独立独歩で生きているから、まだましな生き方をしているとも言えるけれども、、、。
ただ、母親が細かな用事を自分のために行うことについては、特段、遠慮はしない。
それも、女性とつがいになって女性に迷惑をかけ続けている男たちを、たくさん見ているので、私という「女」が家事に類する細かな用事で動き回ることは当たり前に見えているようだ。
私は家事なんて、死ぬほど嫌いで、それは息子と全く同じなのだけど、息子は「男」というだけで許されている、それがこの社会だ。
この社会で優位に置かれた者は、その優位な位置から立ち退かない。
ただでさえ、生きるのは困難なのだから、その場所で闘うばかりだ。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。