賑やかな不幸と秘められた不幸 ― 2024/06/29 11:00
単なるイメージ、感想だけど。
女性たちが、いろいろ鬱屈していたのは事実と思う。
それをどれほど、意識化していたかはわからない。
人によって、それを違う方面で発散していた人もいるだろうし、
なけなしの財布の中身のように自分の不幸感にしがみついていた人もいるだろう。
家族のいた人は、不満たらたら、周りに垂れ流していた人も多いのではないかと思う。
だから、不機嫌をあたりにまき散らし、
そのとばっちりを受けていた子どもたちは災難だった。
一方、家族を持たない人もいた。
私の同世代で、早くに亡くなった人たちは、
多くは、家族を持たず、自分で口に糊する生活を送っていた。
朝、起きてひとり、夜、寝るときも一人、
八つ当たりしようにも誰もいない。
不機嫌は内向して、鬱屈していたのかもしれない。
「孤独」というものは、良いものではない。
人の気配は、生活に必要なものだ。
私などは、マンションの管理人室が休みで、清掃の人もいない日曜日や祝日は、世界に自分は一人ぼっちになってしまった感じがする。
苦しくて、生きているのもつらくなる。
が、今は、月曜になると、管理人さんの業務が再開され、清掃の人も動いているのがわかる。
ベランダで洗濯物を干していると、清掃の人がマンションの裏庭を掃いていたりする。
そして、ようやく、生き延びた自分を実感する。
生きるためには、何かしらの他人が必要なのは、
人間が、ネットワークする生き物だからだろう。
共通の言語を持って、個体間の情報を送り合うことが可能なのは、
それが生存のメカニズムの一環だからだろう。
単独で生きる生物は、おそらく、送り合うシグナルを持たない。
それなしで、生き延びられる生体システムなのだろう。
だから、ネットワークは、人間の生体システムの一つで、
あった方が好ましい、とかそのようなレベルの問題ではないような気がする。
生き延びるには必要不可欠なのだろうと思う。
それが、今、人為的に失われつつあるのだ。
私が窒息しそうなのはそのせいだろう。
何とかしよう、と思いながら、
ネットワークゆえの副産物であるしがらみのしんどさも味わって来ているから、何も次の手立てができない。
話を戻す。
一人ぼっちの人は、己の不幸を自分の中にため込む。
吐き出す相手がいない。
もちろん、何らかの解消法は探している。
で、実践している。
しかし、その不幸感は、発散されずに、じわじわと自分自身を侵食している気がする。
そして、限界にきたとき、生命力も失う。
「孤独死」というものはそういうものではないかと思う。
、
女性たちが、いろいろ鬱屈していたのは事実と思う。
それをどれほど、意識化していたかはわからない。
人によって、それを違う方面で発散していた人もいるだろうし、
なけなしの財布の中身のように自分の不幸感にしがみついていた人もいるだろう。
家族のいた人は、不満たらたら、周りに垂れ流していた人も多いのではないかと思う。
だから、不機嫌をあたりにまき散らし、
そのとばっちりを受けていた子どもたちは災難だった。
一方、家族を持たない人もいた。
私の同世代で、早くに亡くなった人たちは、
多くは、家族を持たず、自分で口に糊する生活を送っていた。
朝、起きてひとり、夜、寝るときも一人、
八つ当たりしようにも誰もいない。
不機嫌は内向して、鬱屈していたのかもしれない。
「孤独」というものは、良いものではない。
人の気配は、生活に必要なものだ。
私などは、マンションの管理人室が休みで、清掃の人もいない日曜日や祝日は、世界に自分は一人ぼっちになってしまった感じがする。
苦しくて、生きているのもつらくなる。
が、今は、月曜になると、管理人さんの業務が再開され、清掃の人も動いているのがわかる。
ベランダで洗濯物を干していると、清掃の人がマンションの裏庭を掃いていたりする。
そして、ようやく、生き延びた自分を実感する。
生きるためには、何かしらの他人が必要なのは、
人間が、ネットワークする生き物だからだろう。
共通の言語を持って、個体間の情報を送り合うことが可能なのは、
それが生存のメカニズムの一環だからだろう。
単独で生きる生物は、おそらく、送り合うシグナルを持たない。
それなしで、生き延びられる生体システムなのだろう。
だから、ネットワークは、人間の生体システムの一つで、
あった方が好ましい、とかそのようなレベルの問題ではないような気がする。
生き延びるには必要不可欠なのだろうと思う。
それが、今、人為的に失われつつあるのだ。
私が窒息しそうなのはそのせいだろう。
何とかしよう、と思いながら、
ネットワークゆえの副産物であるしがらみのしんどさも味わって来ているから、何も次の手立てができない。
話を戻す。
一人ぼっちの人は、己の不幸を自分の中にため込む。
吐き出す相手がいない。
もちろん、何らかの解消法は探している。
で、実践している。
しかし、その不幸感は、発散されずに、じわじわと自分自身を侵食している気がする。
そして、限界にきたとき、生命力も失う。
「孤独死」というものはそういうものではないかと思う。
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