義姉からの電話 ― 2017/04/08 19:11
一昨日の昼過ぎ、義姉から電話がありました。
ちょっと間があいたので、久しぶりの感じです。
「今、困ってるの。姉のことで、、、」と、心細げな声。
「M吉さんも、うちの姉にはいろいろな目に遭ったでしょ?」と、同意を求めてきます。
しかし、他のことはともかく、
これには同調しにくい。
義姉の中にすでにある、自分の姉に対するネガティブな記憶や感情は、もう消せないのかもしれません。
私が同調しようがするまいが、関係がないのかもしれません。
でも、同調して、感情が増幅するのは避けたい。
強く否定するのもよくなさそうなので、あいまいな返事になります。
彼女は、私が同調しないので、私に対してはあまりS姉のことは決定的な言い方はせず、言葉を選んでいます。
誰に何を言えばいいのか、そのあたりのことはとても心得ている感じです。
S姉の娘には、
「お金が無くなった。もう、死ぬしかない」と、極端なことを言って窮状を訴えてくるようです。
で、駆けつけて、サポートをしているようです。
先日もそのことで、私に電話がありました。
S姉の娘はS姉と、どうも未だに関係が修復できていないらしく、
自分の母親ではなく、私に相談してきます。
S姉に、あなたの娘から電話があった、なんて言えば、S姉はいやだろうなと思うので、気を使います。
義姉から、「姉のことで困っている」という電話がかかってきたとき、
用事で出かけるところだったので、
「今ちょっと出かけないといけないので、用事はすぐに終わるから、それからでもいい?」と言いました。
「あ、急いでないから、用事が終わってからでいいよ。そっちからかけてくれてもいいし、、、」とのこと。
で、用事が終わってから、電話をしました。
まぁ、もう予測はつきましたが、電話をしてきたことも忘れていました。
「お姉さんのことで困ってるって、言ってたよ」と、思い出すかと思ってヒントを出しましたが、
「何に困ってたんやろ?」と不思議そうな声。
とにかく大丈夫そう。
最初の電話の時とは打って変わって、明るそうな声。
ヘルパーさんが訪れてくれているそうです。
ヘルパーさんの訪問はありがたいです。
皆優しいので、一人暮らしの義姉には、とても良いお客さんです。
おかげで、とにかく、見守りはできています。
一度、「毎日来られるからいや」と電話をしてきたことがありましたが、
たまたま、訪問がうれしくない気分だったのでしょう。
その後は、また機嫌よく受け入れているようです。
記憶は消え去るし、気分も持続しません。
刹那を生きる人になってしまいました。
それでもまだ、認知症になる以前の記憶はあるので、
身内に起こったいろいろなことはわかっています。
ただ、その記憶も、とても単純化され、情景としてよみがえるらしいのです。
複雑な事情や出来事の推移は、もう忘れ去られているようです。
私の亡夫のこともよく話します。
でも、誤認も多く、事実とは違うことも語ります。
「あの子も亡くなる前、もう何もわからないって、悲しそうに言ってた。私もあの子も、そうなるタイプで似てるのかな?」と言います。
亡夫は、悪性リンパ腫で、肺から脳に転移したために、最後は認知機能に支障をきたしてしまったのです。
その分、不幸そうな感じはなくなり、
傍にいる者の気分を楽にしてくれていました。
義姉はそのあたりの詳しい事情は覚えていません。
ただ、弟と交わした会話などを覚えていて、それが繰り返しよみがえるようです。
何度か説明をしましたが、もう記憶にはならないのです。
「あの子も私も一緒で、最後は頭が悪くなっていくタイプかな?」と繰り返しています。
もう、事実を理解してもらうのは無理なのでしょう。
こういうふうになった人に、事実がどういう意味を持つのか。
人は見たいものを見、思いたいように思い、わかりたいことをわかるのだということを、如実に示してくれます。
もう思い込みを修正することは無理なのです。
すっかりネガティブな思い出だけにされたS姉は気の毒ですが、
あまり心傷つかないように、距離を置いてもらうしかありません。
その分、優しく接することのできるケアワーカーさんたちのサポートを受けながら、やっていくより仕方がないのでしょう。
こういう事態は、お勉強にはなりますね。
ちょっと間があいたので、久しぶりの感じです。
「今、困ってるの。姉のことで、、、」と、心細げな声。
「M吉さんも、うちの姉にはいろいろな目に遭ったでしょ?」と、同意を求めてきます。
しかし、他のことはともかく、
これには同調しにくい。
義姉の中にすでにある、自分の姉に対するネガティブな記憶や感情は、もう消せないのかもしれません。
私が同調しようがするまいが、関係がないのかもしれません。
でも、同調して、感情が増幅するのは避けたい。
強く否定するのもよくなさそうなので、あいまいな返事になります。
彼女は、私が同調しないので、私に対してはあまりS姉のことは決定的な言い方はせず、言葉を選んでいます。
誰に何を言えばいいのか、そのあたりのことはとても心得ている感じです。
S姉の娘には、
「お金が無くなった。もう、死ぬしかない」と、極端なことを言って窮状を訴えてくるようです。
で、駆けつけて、サポートをしているようです。
先日もそのことで、私に電話がありました。
S姉の娘はS姉と、どうも未だに関係が修復できていないらしく、
自分の母親ではなく、私に相談してきます。
S姉に、あなたの娘から電話があった、なんて言えば、S姉はいやだろうなと思うので、気を使います。
義姉から、「姉のことで困っている」という電話がかかってきたとき、
用事で出かけるところだったので、
「今ちょっと出かけないといけないので、用事はすぐに終わるから、それからでもいい?」と言いました。
「あ、急いでないから、用事が終わってからでいいよ。そっちからかけてくれてもいいし、、、」とのこと。
で、用事が終わってから、電話をしました。
まぁ、もう予測はつきましたが、電話をしてきたことも忘れていました。
「お姉さんのことで困ってるって、言ってたよ」と、思い出すかと思ってヒントを出しましたが、
「何に困ってたんやろ?」と不思議そうな声。
とにかく大丈夫そう。
最初の電話の時とは打って変わって、明るそうな声。
ヘルパーさんが訪れてくれているそうです。
ヘルパーさんの訪問はありがたいです。
皆優しいので、一人暮らしの義姉には、とても良いお客さんです。
おかげで、とにかく、見守りはできています。
一度、「毎日来られるからいや」と電話をしてきたことがありましたが、
たまたま、訪問がうれしくない気分だったのでしょう。
その後は、また機嫌よく受け入れているようです。
記憶は消え去るし、気分も持続しません。
刹那を生きる人になってしまいました。
それでもまだ、認知症になる以前の記憶はあるので、
身内に起こったいろいろなことはわかっています。
ただ、その記憶も、とても単純化され、情景としてよみがえるらしいのです。
複雑な事情や出来事の推移は、もう忘れ去られているようです。
私の亡夫のこともよく話します。
でも、誤認も多く、事実とは違うことも語ります。
「あの子も亡くなる前、もう何もわからないって、悲しそうに言ってた。私もあの子も、そうなるタイプで似てるのかな?」と言います。
亡夫は、悪性リンパ腫で、肺から脳に転移したために、最後は認知機能に支障をきたしてしまったのです。
その分、不幸そうな感じはなくなり、
傍にいる者の気分を楽にしてくれていました。
義姉はそのあたりの詳しい事情は覚えていません。
ただ、弟と交わした会話などを覚えていて、それが繰り返しよみがえるようです。
何度か説明をしましたが、もう記憶にはならないのです。
「あの子も私も一緒で、最後は頭が悪くなっていくタイプかな?」と繰り返しています。
もう、事実を理解してもらうのは無理なのでしょう。
こういうふうになった人に、事実がどういう意味を持つのか。
人は見たいものを見、思いたいように思い、わかりたいことをわかるのだということを、如実に示してくれます。
もう思い込みを修正することは無理なのです。
すっかりネガティブな思い出だけにされたS姉は気の毒ですが、
あまり心傷つかないように、距離を置いてもらうしかありません。
その分、優しく接することのできるケアワーカーさんたちのサポートを受けながら、やっていくより仕方がないのでしょう。
こういう事態は、お勉強にはなりますね。
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