2016/03/10 09:53

あちらこちらで風邪が流行っています。
インフルエンザだった、という人にも何人か会いました。

私、大丈夫かな~。
花粉だけで精いっぱい。
これ以上、ウィルスをもらいたくないのだけど、
こう寒暖の差が激しいと心配になります。
ふと、風邪の兆しを感じると、
う~ん、あの友達も風邪だった、あの人はインフルエンザが治ったばかりだと言ってた、、、と、やたら気になります。
仕事を控えているときは、仕事が終わったら、
風邪でもなんでもひくから、今はまだダメェ~、という感じです。

極度の心配性、という友だちと会いました。
彼女も風邪が治りかけ、と言っていました。
やせ細って、いっしょにランチをしたのですが、
いきなりレタスを食べている彼女に、思わず、
「もっと、栄養のある物を食べて」と、あんまり、そういうことは言わない私も言ってしまいました。

彼女は、心配性が高じて、からだをこわすほと悩んだりしていたようです。
だから、食べ物ものどを通らないみたいです。
本人は、自分の考え方の癖をよくわかっていて、
客観的に分析できる人です。
小さかった心配事を、自分で勝手に大きくしていく癖がある、ということも気づいています。
なのに、心配性から抜け出せず、鬱々としてしまうそうです。
考え方の癖、というのはほんとうに抜け出しにくい。
朝寝坊の人が、なかなか早起きできない、というのと同じです。

私の父は、私が子どもの頃、私の悪いところばかり、責める人でした。
ずっと、私の「できていない」ことを言いたてて、
私はすっかり自信のない子どもになっていました。
でも、自信がなくて、元気のない子どもだった私を、やっぱり父は、
「元気がない」「うっとうしい奴だ」と責めました。
だから、私は亡父を未だに嫌いです。
でも、あるとき、私も親しい人を、責めている、ということに気づきました。
責めるつもりなどまったくなくて、相手を評価してさえいるのに、
なぜか、不満ばかり言っていたようです。
それは、呼吸するように、無意識の行動でした。

相手からの異議申し立てなどに、だんだん、気づくようになりました。
それも、ある日突然わかった、と言うよりも、じわじわと父のいやだった言動や自分の言動などを振り返りながら、気がついてきました。
父と同じような、すごいマズイ癖を、私も持っているとわかって、愕然としました。

これは、異議申し立てをちゃんとしてくれる人が傍にいないとわからないことかもしれません。
「いやな人間」だったのかもしれないと思うと、恥ずかしくて、たまらなくなります。
う~ん、今は大丈夫だろうか?

誰か、時々、やさしく叱って! なんて思います。

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