お正月2016/01/04 16:32

 2016年が明けました。今年は、喪中なので、新年のご挨拶はしませんが、
でも、今年もよろしくお願いいたします。

 母のいない初めてのお正月です。

 大晦日は、娘と娘のパートナーが一緒におせちを食べてくれました。そして、なんとなく、紅白を観ました。
 私が知らないジャンルに強かったりするので、若い人とおしゃべりをするのは楽しいです。

 母がいない、ということが実感にならないまま、母の不在の日々です。

 京都に出かけて、和菓子屋さんを見ると、一瞬、母へのお土産を、と思います。すぐに、あぁ、もういなんだと思うのですが、、、。
 デパートなどで、母の好きそうな小物を見つけても、一瞬、母に買って帰ってあげようかと思います。次の瞬間には、母がいないことを思い出すのですが、、、。

 母を喜ばせてあげたい、という感じがいつもありました。でも、それは、たぶん、母が最も喜ぶことをしない罪滅ぼしなのかもしれません。
母は、私という一人しかいない娘が、母と同じ嗜好を持ち、母と楽しい時間を共有することを望んだろうと思います。
 独身の頃、短い間でしたが、母と共有する時間を持ちました。母にとったら、もう子どもでなくなった私は、友だちのようにつきあえる相手だったことでしょう。

 しかし、私は母から立ち去ったのです。母と同じ世界観を共有せず、母とは異質の文化を享受するようになったのです。
 一度、同じ研究会の人が、近所ということで、実家を訪ねて、母に私宛の何かを託してくれたことがあります。それを受け取りながら、私がその人を、同じ研究会の人だと説明したとたん、吐き捨てるように、
「ふん! 不平分子か!」と言いました。
 私の所属する団体は、労働やジェンダーなどをテーマとして研究や活動を行っていますから、問題意識の強い人の集まりです。母のその時の不快の表明は、ほんとうにそれらが嫌いだったのか、私が母の手中から離れることがいやだったのかわかりませんが、その経験で、母に自分の活動について、話さなくなりました。
 ただ、大手出版社が出している年鑑に原稿を書くようになると、それは買っていたようです。

 そういう意味では、誰が何と言おうと私を支持してくれる、というタイプの親ではありませんでした。偉い人が認めるなら、親も認めてくれる、という感じでした。
 私には理解できない親の態度です。自分の価値観を信じて疑わない、という親のタイプが不可解です。自分の経験や世界観など、たかが知れているのだから、子どもの向かうところをとりあえず応援したいと、私などは思いますが。

 親のことをたくさん思い出します。
かわいらしくて、わがままで、自己チューで、か弱くて、女らしかった母は、私という娘を支配しきれず、同一視に失敗したのかもしれません。
 私は母を慕い続けましたが、母を人生のモデルにできませんでした。距離を置いて、母を崇めていたように思います。母には、少し寂しかったろうと思うと、それが、ちょっとだけ辛いのです。
 
 今、ちょっと体調が悪いので、弱気です。

動画配信2016/01/07 23:18

 ついはまってしまうのが、アマゾンをはじめdtvなどが配信する動画。
これを見始めると、何もできなくなります。

 昨年は、Netflixの一か月無料番組を見まくりました。
たとえば、「グレイス&フランキー」というドラマ。これはNetflixのオリジナルドラマです。ジェーン・フォンダとリリー・トムリン二人が主人公、つまり70歳代女性二人が主人公のドラマですが、見始めたらやめられません。
 いや~、70歳代の女性が主人公のドラマで、こんなに面白いなんて。娘も、面白いと言ってたから、若い人にも受けるのだわ。


他にも、sense8 というドラマがあって、とても刺激的。

 このドラマの心地良さは、あとで気づきましたが、登場する人が美男美女ばかり。
だから、風景が良くて、目の保養になっていたようです。

 で、アマゾン・プライム。
私は、アマゾンで急ぎの注文をすることが多いので、年会費が高いと文句を言いながらも、プライム会員になっていたのですが、これが動画配信を始め、プライム会員は追加料金なしで、動画見放題となったのです。お得感が飛躍的にアップ!
 そのオリジナルドラマがまた面白い。
これは、「トランスペアレント」。ホームドラマなのに、ぶっ飛んでます。


 こういうのを見てると、日本のドラマがだるくてだるくて、見てられない。そのあまりの凡庸さに、途中で観るのをやめてしまいます。

 たとえば、テレビ東京の「偽装の夫婦」。やっと、日本のホームドラマもここまで来たか、と思ったけど、もう、どうしようもない展開。最終回まで追いかけたけど、脚本家を呪って終わってしまいました。
 なぜ、こんなアホみたいな終わり方にするかな~。
 日本の脚本家は、頭の中がよほど凡庸なのか、それとも何かがこわくてはじけられないのか、、、。
 何年か前、同じテレビ東京が「IS ~男でも女でもない性~」というドラマを放映しました。これは、とても質の良いホームドラマでした。
 当事者のアドバイスを受けながら、「性分化疾患」の高校生を優しく描いています。こうした事象についてまったく知らない人には、質の良い情報提供になると思いました。
こんな優れたドラマもあったのに、例外中の例外だったのね。
ほんとに、たいてい、コケるなぁ~。

 で、私はどうしてもアメリカンなドラマを見てしまいます。アメリカのドラマでも、つまらないのもあるのでしょうが、私はこのあたりは、結構、嗅覚がよくて、超面白いのを探り当てるのです。

 学生にも人気の「Glee」は、シーズン5まで追加料金なしで観られます。これは、若い人の話だけど、ご機嫌なドラマ。ついつい、やらないといけないことを忘れて、見入ってしまいます。
 で、またもやドライアイ。

 本も読まなくちゃ、学生に偉そうに言えないわ。

テレビの話題2016/01/08 11:32

 NHKのクローズアップ現代は、録画して、よく視る番組です。授業でも使えるので、重宝しています。

 この番組のキャスター、国谷裕子さんが降板する、とか。あんまり、テレビの誰それが、、、という話に興味はなかったのですが、この情報は結構、ショック。

 だって、国谷さん、いいじゃない。なんで降板?
NHK上層部の決定なんだって。美しい国谷さんも、だんだん年齢を重ねてきました。それでも、まだまだお美しい方です。
 年齢を重ねた女性を嫌いなおじさんたちが多いからかな?

 若手の女性アナウンサーに変えたら、NHK料金、払わないからねっ!
でも、おじさんに変えても、払いたくない! 
どんどん、がっかりすることが増えます。
この国、嫌い、という感じにどんどんなっています。
と言っても、他の国は知らないんだけど。

 結局、国谷さんの代わりにどういう人になったら、私の気分は良くなるのでしょうか?
やっぱり、国谷さんに続投してほしいなぁ。

 上品で知的で美しくて、全然嫌味のない、この人は貴重な人だと思います。

 なんだか、がっかりすることばかりがある感じ。
元気になれる材料が少ないです。
だから、ドラマ視聴という非生産的な時間潰しをして、 気を紛らわせているのかしら?

一人っ子2016/01/09 09:13

 私の年代で、一人っ子というのはとても少なかったようで、私が一人っ子であることはクラスの誰もが知っている、という感じでした。
小学校時代の友達と会ったとき、私の印象は、
「一人っ子で、いつもきれいな服を着ていて、大事にされている子」という感じだった、と言われました。

 その友人も弟と二人きょうだいなので、そんなに違うものでもないと思うのですが、、、。

 一人っ子でもいろいろあるので、一概には言えないのですが、他人に慣れていない、という共通点はあるかもしれないと、一人っ子の友人たちを見ていて思います。
 その現れ方は様々です。
 甘やかされて育った人は、あんまり他人の気持ちがわからない上に、慮るということもしません。他人が自分に合わせているのさえ、気づかない。もちろん、大人なので、気を使わないといけないとは思っているようですが、見事に的をはずしています。

 また別の友人は、言いたいことを言いたいだけ言います。たぶん、この人は、おしゃべりを遮られたことがないのかなと思います。
でも、大人なので、もちろん、他人のことも気遣います。が、気遣いよりもマイペースが先行して、たいてい、他人を気遣うより、他人に指図する傾向の方が目立ちます。

 私の場合、母も一人っ子なので、二代目です。これもなかなか、難儀です。
 学校に行くと、他の子どもの言っていることもおこなっていることも、わけがわからず、いつも、違う星に置き去りにされたような気分でした。で、それを家に帰って、その心地悪さを母に訴えるのですが、母自身が他の子どものことをわからないので、
「だから、私は友だちはいらんの」と、何の励ましにも助言にもならない返し方をしてくるのでした。
 
 なかなか辛い人生です。なぜなら、他の人にとって当たり前のことがわからない。若い時に、夫が言いました。
「よくそんなに少ない常識で生きてこれたね」と。

 母は、掃除が嫌いで(それは近年気づいたのですが)、私が子どもの頃、お風呂を洗っていなかったようです。
 で、時折、あまりの汚れ方に、私が一念発起して、徹底的に掃除をしたことが何回かありました。しかし、それは、母が掃除をしていないから、とは思っていませんでした。お風呂とは、そういうように汚れるものと思っていました。だから、徹底的に掃除をする日が必要で、それを母がしないので、代わりに私がするしかない、という受け止め方をしていました。
 最近(ほんとうに最近です)、友人宅では、入浴の後、必ず、お風呂を掃除している、と知りました。
「なぜ、毎回掃除するの? わからない」と言ったら、不興を買いました。私は実に素朴にわからないことをわからないと言い、質問をしたのですが、友だちには、その疑問自体が理解できなかったらしく、気を悪くされてしまいました。
 私は汚れが気になってきたら、お風呂を掃除します。そういう向き合い方しか知らなかったわけです。
不興を醸し出しながら、
「毎回掃除をする人もいるし、月に一回の人もいるだろうし、年に一回の人もいるだろうし、それぞれやんか」と友人が言いましたので、生まれて初めて、掃除という行為と風呂場とが結びついたのでした。
 つまり、私には、それらは概念上、結びついていなかったのです。

 この生活概念の形成の未熟さ、というものに私は大人になって、苦しんできた、というわけです。なぜなら、通常、他人がほとんどデフォルトで身につけていることが、欠落していたりするのですから。

 結婚して移り住んだ家を母が訪れて、ベランダをのぞいたとき、私が子どもの運動靴を洗って干していたのを見つけました。
「わたし、あんたの運動靴を洗ったげたことがないねぇ」と、母は言いました。
母がそう言ったので、考えてみると、洗ってもらった記憶がありません。靴とは、汚れてくると、新しい靴に買い替える類のものでした。
母は、運動靴を洗う、ということをこのとき、知ったのだと思います。
私は、ご近所の主婦の皆さんとそれなりに交流していましたから、そこでいろいろ見様見真似で家事をしていたのでした。

 誰もが当たり前のように身につけていることを、身につけていないというのはつらいものです。わからない、知らない、ということを理解してもらえない。
「そんなM吉がかわいいよ」とでも言ってくれる他人に出会えない限り、
(65歳で、それはないか、、、^0^)
この世は、ちょっと生き難い、です。
年をとっても、尾を引いています。

どうでもいいんだけど、、、2016/01/11 12:09

 他の人から見ると、どうでもいいようなことが気になってしまうことがあります。
まぁ、それは、誰でもそうなのでしょう。
こちらには、何の興味もわかないことに、すごく時間やエネルギーを注いでいる人の話を聞くと、その中身より、そんなことに人生の持ち時間を遣っていることに、不思議感が、、、。

 で、私のちょっと気になることで、たぶん他の人にとっては、どうでもいいようなことの一つが、「お嫁ちゃん」という呼称。
息子さんが結婚して、その相手のことをこう呼ぶのです。
絶対、意地悪な姑になりそうもない、若い人に理解ありそうなリベラルな女性たちが、この名称を使います。
お・よ・め・ちゃん?
ん? その心は?

「嫁」は、家制度の概念を引きずっている言葉です。
そこに、かわいく「ちゃん」をつけてみました、って感じは、何?
正直言って、落ち着かない呼称なのです。
息子のパートナーで、いいじゃん! と思ってしまいます。

ま、いいけどね。
気になるんですっ!

そう呼ぶ人の心理を知ってみたいのです。