私は女の人が怖い ― 2025/01/19 09:01
正直に言うと、ほんとうに女の人が怖い。
昔、自分には男のファンがたくさんいて、その中に複数の愛人もいる、と豪語していた友人は、
「男の嫉妬の方が怖いよ」と言っていた。
それもよく聞く話だ。
男たちは、権力を持っている分、怒らせると怖い。
その言葉を言った友人は、
女に対しては、小ずるい策を弄していた。
私などは簡単にひっかかってしまう小技を使って、他の女性の位置を押し下げる動きをしていた。
それなどは、彼女の習い性とも言うべきもので、深慮遠謀の表れではないように思う。
だから、私も、彼女の周りの友人たちも、その「悪い癖」については見逃していた。
目立たず、小さな「誹謗中傷」で、こっそりと、女友達の評価が落ちるように仕向ける。
そう、それは、彼女の「天然の行為」にすぎないので、すさまじい攻撃などで被害を受けた経験をすると、彼女のような人は「敵」ではないのだから、「ま、いっか」となる。
しかし、その深く企まれたわけでもない「小さな悪意」は、時折、その行為の対象となった人に、甚大なダメージを与えることもある。
実は、それが怖いのだ。
冒頭の友人は、
私は仕事の場面がほとんど重ならなかったので、
大した被害は受けなかった。
ま、被害はあったことはあったけどね。
しかし、この「習い性」を身につけた女性たちによって、
「敵」としてターゲットにされてしまった場合、
歩く道が罠だらけで、
私のようなぼんやりした者は、罠にはまりまくる。
気がついて、その道を歩くのをやめた時には、満身創痍だ。
罠を仕掛けた人を恨んでばかりいたが、
まあ、私のぼんやりぶりも大概だ、と、最近は思うようになった。
罠にかかりやすい私の事情もある。
自分に尖った物を向け始める相手を、正しく見極められない。
危機感が薄いというか、
優しく、正しく、誠意を持って相手に向き合えば、わかり合えると、思い込んでいたりする。
だって、そんなドラマが多いじゃないか。
主人公の誠意が通じる瞬間とかがあるじゃないか。
しかし、現実にはそれはない。
なにしろ、人は「正しさ」とか「誠意」の基準が違う。
相手が正しいと信じているものを
私が正しくないと認識していれば、齟齬しか生まれない。
ドラマは単純だ。
一つの正義、一つの誠意が、すべての登場人物に共有される。
そうはいかないのが現実社会だ。
女性たちは、習い性で、
気に入らない者を、「陰口」という武器で追い落とす。
彼女たちにとって、気に入らない者の言動はすべて、攻撃のネタになる。
すべてが、彼女たちの邪推を活発にし、隠密行動を活性化させる。
「陰口」という武器は、私には太刀打ちできない武器だ。
使いこなせないし、防衛するのも、苦手だ。
が、この「陰口」という武器はことのほか、威力を発揮する。
なぜか、この「陰口」が効果を発揮する下地が、存在する場合がある。
私が目にした「陰口」戦略を駆使する集団は、
みな、女性たちだった。
だから、私は女性が怖いのだ。
「陰口」は、様々な装いをもってささやかれる。
被害者を装った場合、(あくまで装っている場合ね)、
悪意を持って、言葉巧みに、いかにもありそうな事例をでっち上げて表現される場合、
悪意はないが、表現力が豊かで、真に迫った物言いでなされる場合。
私は基本的に、
「〇〇さんが、あなたのことを××と言っていたよ」とは言わない。
聞かされた方も愉快ではないだろうし、
言った本人も、一時的な感情でこぼしてしまったかもしれず、
大事(おおごと)にしない方針だからだ。
人はしばしば失言する。
私もするけどね。
それを後生大事に持っている必要はない。
その場のはずみ、ただのアホ、うっかり、
など、いくらでもミスは転がっている。
だが、そこに食いついて、伝播させるタイプの人がいる。
そこに食いつくのは、
たいてい、基底に、「悪意」が巣くっている人だ。
悪意か、不満か、不遇感か、とにかく、そういったネガティブな感情が支配しているときだ。
そういう人が「陰口」を聞いたとき、
それはその人の格好の武器と変わる。
しかも、時に、非常に破壊力のある武器となる。
話に尾ひれがつくかもしれない。
伝える必要もないのに、わざわざ伝えることもある。
悪意を持って、その小さな「誹謗中傷」を既定の事実であるかのように、流布させる人もいる。
火種はだんだん大きくなる。
甚大な被害に結びつく頃、そういう人は、自分が何をしたか、と言うことも忘れていたりする。
自分がどういう役割を果たしたか、など自覚はない。
「だって、みんながそう言っているんだもの」としか思わない。
時には、自分ではなく、「みんな」がそう言っていた、としか思わない。
結果は重大だ。
実際に、それで破壊されてきた人々、人の絆、そのようなものをたくさん見てきた気がする。
女の人は怖い。
これは、私の正直な実感。
昔、自分には男のファンがたくさんいて、その中に複数の愛人もいる、と豪語していた友人は、
「男の嫉妬の方が怖いよ」と言っていた。
それもよく聞く話だ。
男たちは、権力を持っている分、怒らせると怖い。
その言葉を言った友人は、
女に対しては、小ずるい策を弄していた。
私などは簡単にひっかかってしまう小技を使って、他の女性の位置を押し下げる動きをしていた。
それなどは、彼女の習い性とも言うべきもので、深慮遠謀の表れではないように思う。
だから、私も、彼女の周りの友人たちも、その「悪い癖」については見逃していた。
目立たず、小さな「誹謗中傷」で、こっそりと、女友達の評価が落ちるように仕向ける。
そう、それは、彼女の「天然の行為」にすぎないので、すさまじい攻撃などで被害を受けた経験をすると、彼女のような人は「敵」ではないのだから、「ま、いっか」となる。
しかし、その深く企まれたわけでもない「小さな悪意」は、時折、その行為の対象となった人に、甚大なダメージを与えることもある。
実は、それが怖いのだ。
冒頭の友人は、
私は仕事の場面がほとんど重ならなかったので、
大した被害は受けなかった。
ま、被害はあったことはあったけどね。
しかし、この「習い性」を身につけた女性たちによって、
「敵」としてターゲットにされてしまった場合、
歩く道が罠だらけで、
私のようなぼんやりした者は、罠にはまりまくる。
気がついて、その道を歩くのをやめた時には、満身創痍だ。
罠を仕掛けた人を恨んでばかりいたが、
まあ、私のぼんやりぶりも大概だ、と、最近は思うようになった。
罠にかかりやすい私の事情もある。
自分に尖った物を向け始める相手を、正しく見極められない。
危機感が薄いというか、
優しく、正しく、誠意を持って相手に向き合えば、わかり合えると、思い込んでいたりする。
だって、そんなドラマが多いじゃないか。
主人公の誠意が通じる瞬間とかがあるじゃないか。
しかし、現実にはそれはない。
なにしろ、人は「正しさ」とか「誠意」の基準が違う。
相手が正しいと信じているものを
私が正しくないと認識していれば、齟齬しか生まれない。
ドラマは単純だ。
一つの正義、一つの誠意が、すべての登場人物に共有される。
そうはいかないのが現実社会だ。
女性たちは、習い性で、
気に入らない者を、「陰口」という武器で追い落とす。
彼女たちにとって、気に入らない者の言動はすべて、攻撃のネタになる。
すべてが、彼女たちの邪推を活発にし、隠密行動を活性化させる。
「陰口」という武器は、私には太刀打ちできない武器だ。
使いこなせないし、防衛するのも、苦手だ。
が、この「陰口」という武器はことのほか、威力を発揮する。
なぜか、この「陰口」が効果を発揮する下地が、存在する場合がある。
私が目にした「陰口」戦略を駆使する集団は、
みな、女性たちだった。
だから、私は女性が怖いのだ。
「陰口」は、様々な装いをもってささやかれる。
被害者を装った場合、(あくまで装っている場合ね)、
悪意を持って、言葉巧みに、いかにもありそうな事例をでっち上げて表現される場合、
悪意はないが、表現力が豊かで、真に迫った物言いでなされる場合。
私は基本的に、
「〇〇さんが、あなたのことを××と言っていたよ」とは言わない。
聞かされた方も愉快ではないだろうし、
言った本人も、一時的な感情でこぼしてしまったかもしれず、
大事(おおごと)にしない方針だからだ。
人はしばしば失言する。
私もするけどね。
それを後生大事に持っている必要はない。
その場のはずみ、ただのアホ、うっかり、
など、いくらでもミスは転がっている。
だが、そこに食いついて、伝播させるタイプの人がいる。
そこに食いつくのは、
たいてい、基底に、「悪意」が巣くっている人だ。
悪意か、不満か、不遇感か、とにかく、そういったネガティブな感情が支配しているときだ。
そういう人が「陰口」を聞いたとき、
それはその人の格好の武器と変わる。
しかも、時に、非常に破壊力のある武器となる。
話に尾ひれがつくかもしれない。
伝える必要もないのに、わざわざ伝えることもある。
悪意を持って、その小さな「誹謗中傷」を既定の事実であるかのように、流布させる人もいる。
火種はだんだん大きくなる。
甚大な被害に結びつく頃、そういう人は、自分が何をしたか、と言うことも忘れていたりする。
自分がどういう役割を果たしたか、など自覚はない。
「だって、みんながそう言っているんだもの」としか思わない。
時には、自分ではなく、「みんな」がそう言っていた、としか思わない。
結果は重大だ。
実際に、それで破壊されてきた人々、人の絆、そのようなものをたくさん見てきた気がする。
女の人は怖い。
これは、私の正直な実感。
一人ぼっち ― 2024/04/30 20:06
仕事もしなくなって、活動も減らしてきたのは、
ストレスからくる負担が強くなってきたから。
感性の違う他の人たちに合わせる活動は、
負担が大きくなってきた。
言いたいことを言って、怒りを我慢しない人々は、
まだ、ストレスが少ないのかも。
私は、自制してしまうから、余計、ストレスフルだったのかも。
自制しないでいる、というのは難しい。
人に慣れていないので、人の怒りや不機嫌の度合い、結果どうなるか帰結の先が見えない。
親が気まぐれだったので、余計、そうなのかもしれない。
子どもの頃、自分にいつどんな災難が降って来るかわからないから、いつも祈るような気持で暮らしていた。
災難を避けられる方法がわからなかった。
明らかに理不尽な父親からのいいがかりに私が屈服しないので、
母はいつも私に
「もっと大人になりなさい」と叱るのだが、
大人は父親の方で、私は子どもなので(小学生だった)、余計わけがわからなくて、理屈に合わない災難ばかりの日々だった。
だから、ひたすら無事を祈る日々だった。
当時は、原因が親だとはわからなかった。
自分以外の他者は、無理難題を言ってくる。
親は、その頃は、養ってもらわないといけないから縁を切れないが、
今は、いつでも縁を切れる他人なので、
ただただ、心を離している。
いちいち、気を入れないでつきあっている。
文字通り、私も大人になったし。
それでも、降りかかるストレスがあるので、なるべくかかわりを減らしている。
で、気がついたら、一人ぼっちだった、ということ。
休日は特に辛い。
マンションの管理会社も休みだし、清掃に来ないので、本当に人に遭わない。
「寂しさに、オレオレ詐欺と長電話」というのは、当たっている。
孤独な高齢者は、実はうすうす詐欺とわかっていても、
人恋しさで相手になる。
「騙されないで」という忠告は空しいだけだ。
この寂しさを、自分で何とかしないといけないのだけど、「一人」ではどうにもならない。
虐待者と一緒にいたくはないが、
孤独は辛い。
ストレスからくる負担が強くなってきたから。
感性の違う他の人たちに合わせる活動は、
負担が大きくなってきた。
言いたいことを言って、怒りを我慢しない人々は、
まだ、ストレスが少ないのかも。
私は、自制してしまうから、余計、ストレスフルだったのかも。
自制しないでいる、というのは難しい。
人に慣れていないので、人の怒りや不機嫌の度合い、結果どうなるか帰結の先が見えない。
親が気まぐれだったので、余計、そうなのかもしれない。
子どもの頃、自分にいつどんな災難が降って来るかわからないから、いつも祈るような気持で暮らしていた。
災難を避けられる方法がわからなかった。
明らかに理不尽な父親からのいいがかりに私が屈服しないので、
母はいつも私に
「もっと大人になりなさい」と叱るのだが、
大人は父親の方で、私は子どもなので(小学生だった)、余計わけがわからなくて、理屈に合わない災難ばかりの日々だった。
だから、ひたすら無事を祈る日々だった。
当時は、原因が親だとはわからなかった。
自分以外の他者は、無理難題を言ってくる。
親は、その頃は、養ってもらわないといけないから縁を切れないが、
今は、いつでも縁を切れる他人なので、
ただただ、心を離している。
いちいち、気を入れないでつきあっている。
文字通り、私も大人になったし。
それでも、降りかかるストレスがあるので、なるべくかかわりを減らしている。
で、気がついたら、一人ぼっちだった、ということ。
休日は特に辛い。
マンションの管理会社も休みだし、清掃に来ないので、本当に人に遭わない。
「寂しさに、オレオレ詐欺と長電話」というのは、当たっている。
孤独な高齢者は、実はうすうす詐欺とわかっていても、
人恋しさで相手になる。
「騙されないで」という忠告は空しいだけだ。
この寂しさを、自分で何とかしないといけないのだけど、「一人」ではどうにもならない。
虐待者と一緒にいたくはないが、
孤独は辛い。
母を嫌ってきた娘は、実は母に似ている ― 2024/03/29 12:05
よく思うのだけど、
母との確執を訴える女性は多いが、
その人自身が、その母親にそっくりなことがよくある。
私も自戒している。
昔、阪神淡路大震災の時、大揺れに揺れて、
これは何事かと驚いた。
離れて暮らす子どもの家に電話をすると、無事だとのこと。
ホッとして、今度は親の家に電話をした。
母が出たが、父は早朝の散歩に出たままだと言う。
携帯電話も持たない頃、
私は、屋外にいる父がどういう状態なのかと心配になったのだが、
母は、父に怒っていた。
父が、自分を心配して、公衆電話をかけて来るべきなのに、
そういうこともしない、と怒っているわけだ。
「お父さんがどういう状態なのかわからないでしょ」と言っても、
母は微塵も父の心配などしない。
自分を気遣わない父に腹を立てているだけだ。
なんと、薄情な人だと、呆れたのだが、
その母の薄情ぶりを後に友人に言うと
その友人は、「M吉さんとそっくり」と笑った。
今、思えば、その友人は、私にずっと強いラブコールを送っていたのに、
私が相手にしなかったので、その恨みを持っていたのだろうとは思う。
だから、私を薄情だと感じていたのだろう。
他の友人はそういう反応はしないから。
が、その母の薄情さは、私にもあるのだ、と知った瞬間だった。
母はまるで温情的な人ではないが、
確かに思いをかけるこちらに対して、微塵も、興味も関心も示さない人ではあった。
母との確執を訴える女性は多いが、
その人自身が、その母親にそっくりなことがよくある。
私も自戒している。
昔、阪神淡路大震災の時、大揺れに揺れて、
これは何事かと驚いた。
離れて暮らす子どもの家に電話をすると、無事だとのこと。
ホッとして、今度は親の家に電話をした。
母が出たが、父は早朝の散歩に出たままだと言う。
携帯電話も持たない頃、
私は、屋外にいる父がどういう状態なのかと心配になったのだが、
母は、父に怒っていた。
父が、自分を心配して、公衆電話をかけて来るべきなのに、
そういうこともしない、と怒っているわけだ。
「お父さんがどういう状態なのかわからないでしょ」と言っても、
母は微塵も父の心配などしない。
自分を気遣わない父に腹を立てているだけだ。
なんと、薄情な人だと、呆れたのだが、
その母の薄情ぶりを後に友人に言うと
その友人は、「M吉さんとそっくり」と笑った。
今、思えば、その友人は、私にずっと強いラブコールを送っていたのに、
私が相手にしなかったので、その恨みを持っていたのだろうとは思う。
だから、私を薄情だと感じていたのだろう。
他の友人はそういう反応はしないから。
が、その母の薄情さは、私にもあるのだ、と知った瞬間だった。
母はまるで温情的な人ではないが、
確かに思いをかけるこちらに対して、微塵も、興味も関心も示さない人ではあった。
引きこもり ― 2020/11/24 14:30
コロナ禍で、オンライン授業を続けている。
ZOOMで講義を録画し、それを大学のシステムで配信する。
毎週、それをやっている。
学生の顔は見えない。
ライブ配信は、学生のネット環境などが揃わないと難しいのだろう。
だから、授業録画は、8日間、アクセス可能になっている。
大学によってやり方は少しずつ違うようだが、
オンライン授業の苦労はだいたい同じみたい。
で、ひきこもり度が増した。
つくづく思う。
私は引きこもり体質の人間だが、外に出たがりの人間でもある。
引きこもるのは、人との関係がしんどいからだ。
人に言われることに傷ついたり、取られる態度に傷ついたり、
子どもの頃から苦労をしてきた。
基本的に、積極的に絡んでくる人が苦手だ。
そういう人に対して、待機状態でいることは無理で、
つい引き気味になる。
じゃあ、人が嫌いなのかと言うと、そうではない。
実は、誰にもかまってもらえないと、ものすごく寂しくなって、
死にそうになる。
しかし、かまってくる人は誰でも歓迎とはいかない。
つまり、自分の望むようなかまい方で、かまってほしいのだ。
で、やはり、思い出すのは母。
私はやっぱり、母と同じ。
寝たきりになった母を見て、そう思った。
母は、私に傍にいてほしい。
その理由はわかる。
口うるさく言わない。
母の意向を汲むように、努力している。
頼めば何でもしてくれる。
でも、望んでいないことでかまってこない。
ものすごく、都合の良い娘だったはずだ。
ケアマネさんに、「わりにええ子に育ちましてん」と言っているのを聞いた。
そうだろうな、邪魔にならないで、やってほしいことは何でも頼める存在だものな。
私は、自分が扱われたいように、母を扱っていたのだろう。
母を寂しくしないように努力していた。
母がうるさく感じるような出しゃばり方はしない。
母のプライバシーは覗かない。
でも、望みはかなえようと思う。
よくできた娘ではないか(笑)
で、私もそのように扱われたいのだろう。
もちろん、母とは違って、自分の子どもにそれを期待するわけではない。
子ども世代は、親をかかえているだけで、負担だろう。
子どもは親のために存在すると思い込んでいた母たちの世代とは違う。
自分を幸せにするために私が生まれてきた、と思い込んでいた私の親などは、論外だ。
ただ、適度な距離と適度な親しみと適度な優しさを望むのは、母と同じだ。
ただ、それを近親者ではなく、赤の他人に望んでいるところが母とは異なる。
ZOOMで講義を録画し、それを大学のシステムで配信する。
毎週、それをやっている。
学生の顔は見えない。
ライブ配信は、学生のネット環境などが揃わないと難しいのだろう。
だから、授業録画は、8日間、アクセス可能になっている。
大学によってやり方は少しずつ違うようだが、
オンライン授業の苦労はだいたい同じみたい。
で、ひきこもり度が増した。
つくづく思う。
私は引きこもり体質の人間だが、外に出たがりの人間でもある。
引きこもるのは、人との関係がしんどいからだ。
人に言われることに傷ついたり、取られる態度に傷ついたり、
子どもの頃から苦労をしてきた。
基本的に、積極的に絡んでくる人が苦手だ。
そういう人に対して、待機状態でいることは無理で、
つい引き気味になる。
じゃあ、人が嫌いなのかと言うと、そうではない。
実は、誰にもかまってもらえないと、ものすごく寂しくなって、
死にそうになる。
しかし、かまってくる人は誰でも歓迎とはいかない。
つまり、自分の望むようなかまい方で、かまってほしいのだ。
で、やはり、思い出すのは母。
私はやっぱり、母と同じ。
寝たきりになった母を見て、そう思った。
母は、私に傍にいてほしい。
その理由はわかる。
口うるさく言わない。
母の意向を汲むように、努力している。
頼めば何でもしてくれる。
でも、望んでいないことでかまってこない。
ものすごく、都合の良い娘だったはずだ。
ケアマネさんに、「わりにええ子に育ちましてん」と言っているのを聞いた。
そうだろうな、邪魔にならないで、やってほしいことは何でも頼める存在だものな。
私は、自分が扱われたいように、母を扱っていたのだろう。
母を寂しくしないように努力していた。
母がうるさく感じるような出しゃばり方はしない。
母のプライバシーは覗かない。
でも、望みはかなえようと思う。
よくできた娘ではないか(笑)
で、私もそのように扱われたいのだろう。
もちろん、母とは違って、自分の子どもにそれを期待するわけではない。
子ども世代は、親をかかえているだけで、負担だろう。
子どもは親のために存在すると思い込んでいた母たちの世代とは違う。
自分を幸せにするために私が生まれてきた、と思い込んでいた私の親などは、論外だ。
ただ、適度な距離と適度な親しみと適度な優しさを望むのは、母と同じだ。
ただ、それを近親者ではなく、赤の他人に望んでいるところが母とは異なる。
鬱っぽい ― 2020/05/03 21:09
身近な人が亡くなると、
それも、長寿を全うしたわけではない人が亡くなると、
死神が隣に来たような気がする。
この事態の中で、生き延びるのだろうか。
あちらこちらが痛むような、不安なような、
鬱っぽい心地がする。
今、病気になって、助かる見込みは薄い。
もちろん、持ち前の免疫力で自己回復する場合もあるだろう。
これまでの経験で、
医療ができることはそんなに多くなく、
実際には、その人の自己回復力にかかっているのだろうと、思うことが多い。
もちろん、その自己回復をサポートするのが医療なのだが、
だから、医療が崩壊すると、そこをサポートすることができなくなるので、
助からない、ということが起きるのだろうと、思う。
だから、自己回復力と、それをサポートする医療の両方が要るのだろう。
大学の授業がオンラインになって、
出かけることもなくなった。
人数制限された科目からあぶれた学生をどんどん放り込まれて、
とんでもない数になった学生をかかえて、
(なにしろ、もともと大教室の講義型の授業なので)、
一人ずつ丁寧に見るなんて、不可能になっているので、
やる気も何も奮い立たせることができなくて、はじめから疲れている。
そういう鬱っぽい状況なので、
整理しようとして、母の残した日記を読むと、
ネガティブな受け止めをしてしまう。
私がまだ、ものすごく仕事に追われていた頃、
父がぼけ始めていた頃、
私の夫が亡くなった年。
母にとって、私は、母の世話をしたり、母に気を遣う立場なのはデフォルトなので、何をしても、一切、有難いとは書いていない。
当たり前だから。
しかし、孫については、とても有難がる。
そういう記述がある。
何かあれば私を頼り、それに私がこたえるのが、母の当たり前だった。
私の都合は関係がない。
私の気持ちも関係がない。
母にとって、私は、「使える」か、「使えない」か、だけなのだ。
父が亡くなって母が私の家の近くに転居してきて、
まだ、夫の姉(長女ではなく次女の方)が元気だった頃、
母と娘を誘って、義姉と一緒にランチをした。
いつものように、義姉は、ほとんど一人でしゃべり続けていた。
その日は、いかに自分が父親に褒められたか、
どういうところが褒められたか、母親からはなんと言って評価されていたかをしゃべり続け、
ふと、自分ばかり話しているのに気付いたのか、
「M吉さんは、どうなん? どんなとこを褒められた?」と私に話を向けた。
私は特に何の感情も込めずにこたえた。
「私、親に褒められたことないねん」と。
それが、私のデフォルトだったから、何の感情もなかった。
義姉は、特に興味がなかったのだろう、それに対して、反応はしなかった。
が、私の隣に座っていた母が、のけぞったように背をそらした。
そして、つぶやいた。
「褒めたこと、ないねぇ」と。
義姉は、それらに一切興味がなかったらしく、話は、また彼女の思い出話(それも、幸せな感じ)に戻ったと思う。
それだけの出来事だが、私の中に強く残っている。
母は、なぜびっくりしたのか?
考えたこともないことが言語化されて、驚いたのか、
義姉の前でそのようなことを話題にされるのがいやだったのか、
わからない。
それだけのことだ。
が、時々、大事にされなかった子ども時代の自分を思い出す。
父は、美しくて優しい自分の妻に子どもを任せておけばよいと思っている。
自分が叱り役、妻がなだめ役だと思っている。
ステレオタイプでしか女性を理解できない父に、複雑な母のメンタルなど推し量りようもない。
もちろん、子どもに、特に女の子どもに、「頭」や「心」があるなど考えたことすらない。
一人っ子なのに、あまりにも人格を無視された子ども時代だ。
しかし、物だけは豊かに与えられた。
学期が変わるごとに、文房具がすべて新品になる。
上靴は、汚れたら新しい物に買い替えられる。
(母は、ズック靴を洗う、ということを知らなかったらしいが。)
いつも新しいきれいな洋服を身につけ、
誰も持っていないような特別製の折り畳みの木琴や、
一斉購入ではないきれいな色の硯箱を持ち、
絵具セットも、写生の度に、新しい物を揃えてもらう。
チューブから思い切り絵具を出す私に、友達が「うわ、いっぺんにたくさん出してる」とびっくりしたので、こっちもびっくりした記憶がある。
そのような生活を送りながら、毎日のように、父親と紛争を繰り返していた。
父にすれば、楽な生活をさせてやっているのに、感謝どころが反抗する私を、全く理解できなかっただろう。、
父はしょっちゅう嫌がらせを言い、それに堪えない私を母が嫌う。
今思えば、父が私に嫌がらせを言う理由は、私を褒めたりかわいがると、母が不機嫌になるせいだったのかもしれない。
だから、無意識に私をこき下ろすことで、私への関心を表明していたのかもしれない。
極端に母を慕い、極端に父を嫌ったのは、母の無意識の罠にかかっていたのかもしれない。
母は、父に頼りながら、それほど父を評価していたわけではなかったと思う。
昔の女は、好きではないけれど、生活のために結婚して、添い遂げたのだと思う。
そんなこんなを鬱の中で思い出したり、
解釈し直したり。
先が見えない。
気持ちが沈まない手立てを考えつつ、一人でいると、ろくでもない状況に陥る。
いつまで持つかなぁ。
それも、長寿を全うしたわけではない人が亡くなると、
死神が隣に来たような気がする。
この事態の中で、生き延びるのだろうか。
あちらこちらが痛むような、不安なような、
鬱っぽい心地がする。
今、病気になって、助かる見込みは薄い。
もちろん、持ち前の免疫力で自己回復する場合もあるだろう。
これまでの経験で、
医療ができることはそんなに多くなく、
実際には、その人の自己回復力にかかっているのだろうと、思うことが多い。
もちろん、その自己回復をサポートするのが医療なのだが、
だから、医療が崩壊すると、そこをサポートすることができなくなるので、
助からない、ということが起きるのだろうと、思う。
だから、自己回復力と、それをサポートする医療の両方が要るのだろう。
大学の授業がオンラインになって、
出かけることもなくなった。
人数制限された科目からあぶれた学生をどんどん放り込まれて、
とんでもない数になった学生をかかえて、
(なにしろ、もともと大教室の講義型の授業なので)、
一人ずつ丁寧に見るなんて、不可能になっているので、
やる気も何も奮い立たせることができなくて、はじめから疲れている。
そういう鬱っぽい状況なので、
整理しようとして、母の残した日記を読むと、
ネガティブな受け止めをしてしまう。
私がまだ、ものすごく仕事に追われていた頃、
父がぼけ始めていた頃、
私の夫が亡くなった年。
母にとって、私は、母の世話をしたり、母に気を遣う立場なのはデフォルトなので、何をしても、一切、有難いとは書いていない。
当たり前だから。
しかし、孫については、とても有難がる。
そういう記述がある。
何かあれば私を頼り、それに私がこたえるのが、母の当たり前だった。
私の都合は関係がない。
私の気持ちも関係がない。
母にとって、私は、「使える」か、「使えない」か、だけなのだ。
父が亡くなって母が私の家の近くに転居してきて、
まだ、夫の姉(長女ではなく次女の方)が元気だった頃、
母と娘を誘って、義姉と一緒にランチをした。
いつものように、義姉は、ほとんど一人でしゃべり続けていた。
その日は、いかに自分が父親に褒められたか、
どういうところが褒められたか、母親からはなんと言って評価されていたかをしゃべり続け、
ふと、自分ばかり話しているのに気付いたのか、
「M吉さんは、どうなん? どんなとこを褒められた?」と私に話を向けた。
私は特に何の感情も込めずにこたえた。
「私、親に褒められたことないねん」と。
それが、私のデフォルトだったから、何の感情もなかった。
義姉は、特に興味がなかったのだろう、それに対して、反応はしなかった。
が、私の隣に座っていた母が、のけぞったように背をそらした。
そして、つぶやいた。
「褒めたこと、ないねぇ」と。
義姉は、それらに一切興味がなかったらしく、話は、また彼女の思い出話(それも、幸せな感じ)に戻ったと思う。
それだけの出来事だが、私の中に強く残っている。
母は、なぜびっくりしたのか?
考えたこともないことが言語化されて、驚いたのか、
義姉の前でそのようなことを話題にされるのがいやだったのか、
わからない。
それだけのことだ。
が、時々、大事にされなかった子ども時代の自分を思い出す。
父は、美しくて優しい自分の妻に子どもを任せておけばよいと思っている。
自分が叱り役、妻がなだめ役だと思っている。
ステレオタイプでしか女性を理解できない父に、複雑な母のメンタルなど推し量りようもない。
もちろん、子どもに、特に女の子どもに、「頭」や「心」があるなど考えたことすらない。
一人っ子なのに、あまりにも人格を無視された子ども時代だ。
しかし、物だけは豊かに与えられた。
学期が変わるごとに、文房具がすべて新品になる。
上靴は、汚れたら新しい物に買い替えられる。
(母は、ズック靴を洗う、ということを知らなかったらしいが。)
いつも新しいきれいな洋服を身につけ、
誰も持っていないような特別製の折り畳みの木琴や、
一斉購入ではないきれいな色の硯箱を持ち、
絵具セットも、写生の度に、新しい物を揃えてもらう。
チューブから思い切り絵具を出す私に、友達が「うわ、いっぺんにたくさん出してる」とびっくりしたので、こっちもびっくりした記憶がある。
そのような生活を送りながら、毎日のように、父親と紛争を繰り返していた。
父にすれば、楽な生活をさせてやっているのに、感謝どころが反抗する私を、全く理解できなかっただろう。、
父はしょっちゅう嫌がらせを言い、それに堪えない私を母が嫌う。
今思えば、父が私に嫌がらせを言う理由は、私を褒めたりかわいがると、母が不機嫌になるせいだったのかもしれない。
だから、無意識に私をこき下ろすことで、私への関心を表明していたのかもしれない。
極端に母を慕い、極端に父を嫌ったのは、母の無意識の罠にかかっていたのかもしれない。
母は、父に頼りながら、それほど父を評価していたわけではなかったと思う。
昔の女は、好きではないけれど、生活のために結婚して、添い遂げたのだと思う。
そんなこんなを鬱の中で思い出したり、
解釈し直したり。
先が見えない。
気持ちが沈まない手立てを考えつつ、一人でいると、ろくでもない状況に陥る。
いつまで持つかなぁ。
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