「評価」ということ2015/12/11 10:20

 「評価」の時代です。

 実績の評価がないと、次に進めない。だから、「評価」です。「なんとなく」仕事を進めていた時代は過ぎ去りました。
客観的評価に基づいて、事が運ばれなくてはなりません。

 昔、ご近所の専業主婦とのつき合いが多かった頃、みな、家事自慢、料理自慢なのに、自己評価ほどには仕上がりが良いとは思えない人も多く、不思議でした。
その中で、私は異分子。
「家事は苦手。料理も苦手です」と、はじめから白旗を掲げて、とりあえず、居並ぶ年上の主婦の皆さんに嫌われずに生きていました。
(なにしろ、超やんちゃな子どもが二人。ご近所に嫌われたら、やっていけません。)

 でも、今はその主婦の方たちの「井の中の蛙」ぶりの理由が少しはわかります。
客観的な評価がないのです。
だから、研鑚を積む機会がない。

 で、一歩、外に出ると「評価」「評価」、、、。
でも、これって、委縮するんですよね。

 今は、大学でも、教える側が学生に授業を「評価」される時代。
大学以外の学校でも、「評価」が導入されている、と聞いています。

 みんな、点数をつけられ、ランキングされる。
たぶん、一般の企業でも大変でしょう。
営業成績が絶えず問われ、小刻みに評価を受け、何をどう改善してよいかもわからないような短いサイクルで自分の仕事を見直していたら、「評価」ばかり気になって、仕事の「本意」のようなものが薄らぐように思えます。
 過労死や過労自殺は、長時間労働という「時間」だけの問題ではなく、この精神的プレッシャーが働く人を追い込むのではないかと思ったりします。

 私が一時期関わりを持たせていただいたある学会は(私はその学会には所属していないけど)、「評価」のありようを問い、効果的な「評価」システムを構築することを研究目的にしています。
 現行の「評価」があまりにも粗悪なので、それを見直しています。
(その学会が対象とするのは、主に政策評価ですが。)

 しかし、こうした試みが実を結ぶには、まだまだ時間がかかりそう。

 いや、そんな大仰な話をしようと思って書き始めたのでないのでした。
「評価」って、嫌いだという話をしたかったのでした。
ある種の女性たちと話していると、日常会話がすでに「評価」。ほめたりけなしたり、の繰り返し。
とにかく、見た目に言及する人が多いかな。
太ったね、やせたね、今日の服装は、、、云々。
メンドクセー。
それについ反応してしまう自分がメンドクセー。

 基本的に私の友人たちは、それがない。きっぱりとない!
もちろん、良いことをしたときはほめてくれるし、悪いことをしたときは怒られる。
(子どもか! ^^)
いちいち相手の見た目などに言及しないのです。
時事問題に忙しくて、関心がそこにはない、ということでしょうけれど。

そう言えば、母もそういうことに言及しない人でした。
自分も嫌いだったのでしょう。
だから、自分の話ばかりしていたのかも。
自分の話だと、誰も傷つかないから。
(退屈がられることはあるけど、、、。)

あれ? 何が書きたかったんだろう。
わからなくなったので、今日はこれでおしまいです。
と言うか、6000字の原稿を書かなきゃいけなかった、、、。
思い出して、焦っています。
原稿を書こうとパソコンの前に座って、そのままブログで駄文を書いてしまう。
最近、とみにそういうことが増えました。
あ~、自己評価も最低だわ。(涙)

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