母は再々入院 ― 2015/06/06 14:33
救急車で緊急搬送しました。水曜日です。
その日、医師から入院を告げられ、母が眠っている間に一度、家に戻り、入院に必要な物を持って、また病院へ。
看護師さんが、「暴れて、輸血の管を抜こうとされるので、ちょっと大変でした」と、手にミトンをはめたと言われました。そして、その次に、紐で手を拘束した、と。
茫然です。
そして、母は、
「お母さんはどこ? お母さんに会いたい」とさかんに言っていたとか。
母の母親は病弱で若い時に亡くなり、母は世話をしてもらった記憶がない、と聞いていたので、たぶん、私のことか、と
私が知っている母は、甘えん坊です。 子どもの頃、甘え足りなかったのかも、、、。いえいえ、わかりませんが、、、。そして、今は、私が母を守る人。
子どもの頃から、母を守ろうと思ったことはあるけれど、母に守ってもらえるとは考えにくかったので、今の関係はなじんでいる感じです。
母は、私だけが頼りのようなので、どんなに疲れていても、顔を見せない日をつくりたくない、と思っています。でも、まぁ、ちょっとくたびれてきている、、、。
入院している間は、夜は眠れます。それは助かります。でも、不思議なもので、ちょっと休養を取ると、かえってしんどくなる、、、。
仕事が立て込んでいるので、どうしよぉ~、という感じですが、まぁ、切り抜けるより仕方がありません。
今度の水曜日には退院させようと思っていますが、母は退院しても、思うようにからだが動くわけでもないとわかったせいか、今回は、
「家に帰りたい」とは、まだ言いません。
どう思っているのか、、、。
顔を見せると、すごくうれしそうな顔をして、
「M吉に会うのが楽しみ」と言ってくれるので、がんばって顔を見せて、喜んでもらおうと思います。
入院2日目からは落ち着きました。
でも、落ち着いたら落ち着いたで、なんか、かわいそうに思えて、つらい。
その日、医師から入院を告げられ、母が眠っている間に一度、家に戻り、入院に必要な物を持って、また病院へ。
看護師さんが、「暴れて、輸血の管を抜こうとされるので、ちょっと大変でした」と、手にミトンをはめたと言われました。そして、その次に、紐で手を拘束した、と。
茫然です。
そして、母は、
「お母さんはどこ? お母さんに会いたい」とさかんに言っていたとか。
母の母親は病弱で若い時に亡くなり、母は世話をしてもらった記憶がない、と聞いていたので、たぶん、私のことか、と
私が知っている母は、甘えん坊です。 子どもの頃、甘え足りなかったのかも、、、。いえいえ、わかりませんが、、、。そして、今は、私が母を守る人。
子どもの頃から、母を守ろうと思ったことはあるけれど、母に守ってもらえるとは考えにくかったので、今の関係はなじんでいる感じです。
母は、私だけが頼りのようなので、どんなに疲れていても、顔を見せない日をつくりたくない、と思っています。でも、まぁ、ちょっとくたびれてきている、、、。
入院している間は、夜は眠れます。それは助かります。でも、不思議なもので、ちょっと休養を取ると、かえってしんどくなる、、、。
仕事が立て込んでいるので、どうしよぉ~、という感じですが、まぁ、切り抜けるより仕方がありません。
今度の水曜日には退院させようと思っていますが、母は退院しても、思うようにからだが動くわけでもないとわかったせいか、今回は、
「家に帰りたい」とは、まだ言いません。
どう思っているのか、、、。
顔を見せると、すごくうれしそうな顔をして、
「M吉に会うのが楽しみ」と言ってくれるので、がんばって顔を見せて、喜んでもらおうと思います。
入院2日目からは落ち着きました。
でも、落ち着いたら落ち着いたで、なんか、かわいそうに思えて、つらい。
変化する母 ― 2015/06/08 19:56
今度の水曜日(明後日)に退院の予定です。でも、それが待てない母。
今日は、母が落ち着いていた時期に頼まれて引き受けた仕事の日。昨日は、その準備をしていたので、病院に行くのが遅くなり、
「今日は、もうパスさせてもらおうかな?」と思った矢先、病院から電話が来ました。
「顔を見せてもらったら、落ち着かれると思いますので」とのこと。
やっぱり、行きました。
うまくバスの時間が合ったので、割合早く病院に着きました。母が看護師さんを相手に、駄々をこねているところでした。
私が顔を見せないので、怒っていたみたいです。一生懸命なだめて、しばらく母の手を握り、横にいると、だんだん落ち着いてきました。やがて、やっと眠りにつき始めました。が、時折、目を開けて、私の姿を見ては目を閉じます。なかなか帰ることができませんでした。
看護師さんのご報告では、ベッドの柵を自分で抜いて(かなり重い)、下半身がベッドから落ちていたとのこと。寝たきりじゃなかったの?
ふだんは出来ないはずのことを、なぜか時々やれる母。
今日はイレギュラーな仕事だったので、比較的早く終わって、3時ころに病院に行きました。今日は、機嫌のよい、お利口さんの母でした。
でも、夕方、私は明日も仕事なので、母に
「今日は帰るね。明日も来るからね」と言うと、
「看護師さんと一緒に帰るの?」と聞きます。
「まさか」と否定しても、
「私はどうなるの? 私も帰る」と、言い出しました。
「一人で帰って、仕事をするんよ。お母さんも、明後日までがんばってね。明後日は、迎えに来て、一緒に帰るからね」と言うと、やっとうなずいてくれました。
「私はどうなるの?」という言葉は、なんとなく、耳になじんだ言葉。なんだか、母の口からよく聞いてきたような気がします。
見捨てられ不安があるのでしょうか。
時々、私のことを「お母さん」と呼ぶ母。
「M吉は忙しいから、なかなか来れないから」と言いながら、だから、誰かもう1人、存在するような言いぶりのことも。
今日、気づきました。
母には、もう1人、頼りになる人がいるような気がしているのだと思われます。誰とは特定できない。でも、いつも誰かを恃みにしている母には、きっといるような気のする人が存在するのでしょう。
でも、現実には、生身の私が引き受けるので、それはそれで、結構、厳しい状況ですが。
めまぐるしく、変化する母には振り回されっぱなしです。
今日は、母が落ち着いていた時期に頼まれて引き受けた仕事の日。昨日は、その準備をしていたので、病院に行くのが遅くなり、
「今日は、もうパスさせてもらおうかな?」と思った矢先、病院から電話が来ました。
「顔を見せてもらったら、落ち着かれると思いますので」とのこと。
やっぱり、行きました。
うまくバスの時間が合ったので、割合早く病院に着きました。母が看護師さんを相手に、駄々をこねているところでした。
私が顔を見せないので、怒っていたみたいです。一生懸命なだめて、しばらく母の手を握り、横にいると、だんだん落ち着いてきました。やがて、やっと眠りにつき始めました。が、時折、目を開けて、私の姿を見ては目を閉じます。なかなか帰ることができませんでした。
看護師さんのご報告では、ベッドの柵を自分で抜いて(かなり重い)、下半身がベッドから落ちていたとのこと。寝たきりじゃなかったの?
ふだんは出来ないはずのことを、なぜか時々やれる母。
今日はイレギュラーな仕事だったので、比較的早く終わって、3時ころに病院に行きました。今日は、機嫌のよい、お利口さんの母でした。
でも、夕方、私は明日も仕事なので、母に
「今日は帰るね。明日も来るからね」と言うと、
「看護師さんと一緒に帰るの?」と聞きます。
「まさか」と否定しても、
「私はどうなるの? 私も帰る」と、言い出しました。
「一人で帰って、仕事をするんよ。お母さんも、明後日までがんばってね。明後日は、迎えに来て、一緒に帰るからね」と言うと、やっとうなずいてくれました。
「私はどうなるの?」という言葉は、なんとなく、耳になじんだ言葉。なんだか、母の口からよく聞いてきたような気がします。
見捨てられ不安があるのでしょうか。
時々、私のことを「お母さん」と呼ぶ母。
「M吉は忙しいから、なかなか来れないから」と言いながら、だから、誰かもう1人、存在するような言いぶりのことも。
今日、気づきました。
母には、もう1人、頼りになる人がいるような気がしているのだと思われます。誰とは特定できない。でも、いつも誰かを恃みにしている母には、きっといるような気のする人が存在するのでしょう。
でも、現実には、生身の私が引き受けるので、それはそれで、結構、厳しい状況ですが。
めまぐるしく、変化する母には振り回されっぱなしです。
世代間ギャップ ― 2015/06/09 08:54
昨日、空腹を感じたようです。あまりにも食べないので、当然なのですが。
母曰く、「ずっと何も食べていないのでお腹が空いて泣いていたら、よその人が食べ物をくれた」とか。
よその人というのは、看護師さんのことのようです。そして、食事時に食べなかったゼリーを食べさせてくれたようです。
「お腹が空いて、泣いてたの?」思わず、笑ってしまいます。
そして、嚥下に問題があるために、ゼリー状の物しか食べられないので、いろいろな物が食べたくなるみたいです。カステラかケーキが食べたい、と言います。
でも、それらは嚥下困難な人には難しい話で、病院ではだめ、とのことでした。(頭ごなしに、だめだめ、と言う看護師がいるのが、むかつく。)
だめとわかって、今度は、
「○○ちゃんに、ゆで卵でも持って来させて」と、母は言います。
これには、3つのことで、茫然。
一つ目、ゆで卵も、当然だめなのだけど、それは理解できない。
二つ目、○○ちゃんは、私の娘ですが、遠方にいるのを忘れてしまっているようです。
「○○ちゃんは、東京よ」と言ったら、「もう、帰ったん?」と驚いていたので、たぶん、娘が前回来て以来、時間の経過がよくわからないのでしょう。
で、何よりも、私が茫然としたのは、
「持って来させて」ということば。
「~させる」という使役の助動詞が使われています。
母は、私には娘に対して、指示命令権があると、思っているのかな?
ということは、私に対して、母は指示命令権を持っていると思っている、ということかな?
親は、知らず知らずに身につけてしまっている子どもへの権力をいかに手放すかに苦労するものだと思っていたので、その母の自明のことのような使役の助動詞の使い方に茫然としたのでした。
一世代違うと、こうまで違うのかと、これまでも、母を見ていて思うことが多々ありました。 個性の違いも相まって、母と私は、ほんとに異質。
でも、あらためて、「権力性」というものの捉え方の違いに驚きました。
団塊の世代は、反権力、反体制がキーワードでした。
まぁ、みんながみんな、そうではありませんけれど。同じ時代の空気を吸っていたのかな、と不思議に思ってしまう同世代もたくさんいるのは確かですが。
今となっては、団塊の世代が良いとは全く思いません。
あの、独特の正義を押し付けて来る感じが苦手、と思う下の世代がたくさんいるみたいだし。
年取ったわ~。でも、母というさらに上手が、、、。
母曰く、「ずっと何も食べていないのでお腹が空いて泣いていたら、よその人が食べ物をくれた」とか。
よその人というのは、看護師さんのことのようです。そして、食事時に食べなかったゼリーを食べさせてくれたようです。
「お腹が空いて、泣いてたの?」思わず、笑ってしまいます。
そして、嚥下に問題があるために、ゼリー状の物しか食べられないので、いろいろな物が食べたくなるみたいです。カステラかケーキが食べたい、と言います。
でも、それらは嚥下困難な人には難しい話で、病院ではだめ、とのことでした。(頭ごなしに、だめだめ、と言う看護師がいるのが、むかつく。)
だめとわかって、今度は、
「○○ちゃんに、ゆで卵でも持って来させて」と、母は言います。
これには、3つのことで、茫然。
一つ目、ゆで卵も、当然だめなのだけど、それは理解できない。
二つ目、○○ちゃんは、私の娘ですが、遠方にいるのを忘れてしまっているようです。
「○○ちゃんは、東京よ」と言ったら、「もう、帰ったん?」と驚いていたので、たぶん、娘が前回来て以来、時間の経過がよくわからないのでしょう。
で、何よりも、私が茫然としたのは、
「持って来させて」ということば。
「~させる」という使役の助動詞が使われています。
母は、私には娘に対して、指示命令権があると、思っているのかな?
ということは、私に対して、母は指示命令権を持っていると思っている、ということかな?
親は、知らず知らずに身につけてしまっている子どもへの権力をいかに手放すかに苦労するものだと思っていたので、その母の自明のことのような使役の助動詞の使い方に茫然としたのでした。
一世代違うと、こうまで違うのかと、これまでも、母を見ていて思うことが多々ありました。 個性の違いも相まって、母と私は、ほんとに異質。
でも、あらためて、「権力性」というものの捉え方の違いに驚きました。
団塊の世代は、反権力、反体制がキーワードでした。
まぁ、みんながみんな、そうではありませんけれど。同じ時代の空気を吸っていたのかな、と不思議に思ってしまう同世代もたくさんいるのは確かですが。
今となっては、団塊の世代が良いとは全く思いません。
あの、独特の正義を押し付けて来る感じが苦手、と思う下の世代がたくさんいるみたいだし。
年取ったわ~。でも、母というさらに上手が、、、。
仕事をやめようか、、、 ― 2015/06/10 08:32
心折れて来ました。からだがしんどいと、心も元気にならない。
結構、気力で保っている感じがあったのですが、やはり、相互に関連し合っているようで、からだがしんどい時は気力で乗り切り、気力のない時はからだが支えてくれたように思うのですが、なんだか、もう、限界が来たみたいな感じ、、、。
ここしばらく、「もう、仕事はいいかな」と思うようになってきました。もう、辞めようかな、、、と。
年度が終わるまで、というキリの付け方ではなくて、明日からもう行くのは辞めよう、と思う感じ。でも、こういうように考えるのは、まずいことになってるかも、と自分でも思います。
友人に電話で、「もう、仕事辞めようかな、と思ってる」と言うと、ものすごくびっくりされました。
「だめ~。仕事は辞めたらだめ~!」
それは、ものすごく危険な兆候だと、言われました。鬱になってる、、、と。
確かに、仕事だけは最後までやりたいと思っていたのに、この変わりよう。
やっぱり、変かも。
「母を介護中」と言うと、経験のある人が結構多く、
「私ももう、十〇年も介護してますよ」とか、
「私も母をずっと看てます」と言われるのをしょっちゅう聞きます。
十〇年って、こっちが死んじゃうよ~、と私などは思います。
で、いろいろ苦労話などもしていて、相手もご自分の苦労話などを披露されていて、私なんかまだまだかなと思っているのですが、
相手が黙られる瞬間があることに気づきました。
それは、私が、「要介護5」と言った瞬間です。
「いろいろ、大変だと思うけど、がんばってね~。私も大変なのよ」なんて、言ってた人も、その一言で、沈黙される。
え?
「要介護5」って、そんなに重い?
それ、大変さの指標になってるわけ?
じゃあ、今まで、「私も介護中で~す」って言ってた人たちは、もっと軽いと思ってた?
なんか、おかしくなります。
不幸ランキングで、勝っちゃった?
友人に電話でその話をしたら、大笑い。
「どうせ、要介護3程度でしょ、とか思われてたのかなぁ」と言ったら、ウケてました。
介護経験者や経験中の人が多いのは確かです。
介護の話をすると、経験者や経験中の人は、必ず、ご自分の話をされるのも確かです。
それほど、皆、聞いてほしいと思っているということでしょう。
ストレスがたまって、苦しいのは、同じみたいです。
出口がない、苦しい、でも「いや!」「こんな暮らしはもういや!」と、なかなか言ってしまえない、やり場のないしんどさです。
結構、気力で保っている感じがあったのですが、やはり、相互に関連し合っているようで、からだがしんどい時は気力で乗り切り、気力のない時はからだが支えてくれたように思うのですが、なんだか、もう、限界が来たみたいな感じ、、、。
ここしばらく、「もう、仕事はいいかな」と思うようになってきました。もう、辞めようかな、、、と。
年度が終わるまで、というキリの付け方ではなくて、明日からもう行くのは辞めよう、と思う感じ。でも、こういうように考えるのは、まずいことになってるかも、と自分でも思います。
友人に電話で、「もう、仕事辞めようかな、と思ってる」と言うと、ものすごくびっくりされました。
「だめ~。仕事は辞めたらだめ~!」
それは、ものすごく危険な兆候だと、言われました。鬱になってる、、、と。
確かに、仕事だけは最後までやりたいと思っていたのに、この変わりよう。
やっぱり、変かも。
「母を介護中」と言うと、経験のある人が結構多く、
「私ももう、十〇年も介護してますよ」とか、
「私も母をずっと看てます」と言われるのをしょっちゅう聞きます。
十〇年って、こっちが死んじゃうよ~、と私などは思います。
で、いろいろ苦労話などもしていて、相手もご自分の苦労話などを披露されていて、私なんかまだまだかなと思っているのですが、
相手が黙られる瞬間があることに気づきました。
それは、私が、「要介護5」と言った瞬間です。
「いろいろ、大変だと思うけど、がんばってね~。私も大変なのよ」なんて、言ってた人も、その一言で、沈黙される。
え?
「要介護5」って、そんなに重い?
それ、大変さの指標になってるわけ?
じゃあ、今まで、「私も介護中で~す」って言ってた人たちは、もっと軽いと思ってた?
なんか、おかしくなります。
不幸ランキングで、勝っちゃった?
友人に電話でその話をしたら、大笑い。
「どうせ、要介護3程度でしょ、とか思われてたのかなぁ」と言ったら、ウケてました。
介護経験者や経験中の人が多いのは確かです。
介護の話をすると、経験者や経験中の人は、必ず、ご自分の話をされるのも確かです。
それほど、皆、聞いてほしいと思っているということでしょう。
ストレスがたまって、苦しいのは、同じみたいです。
出口がない、苦しい、でも「いや!」「こんな暮らしはもういや!」と、なかなか言ってしまえない、やり場のないしんどさです。
この頃、、、 ― 2015/06/19 13:38
相変わらず、母に振り回されている日々です。
先日、緊急搬送した病院で輸血され、一週間して退院しました。輸血の効果が大きく、まぁ、元気なこと。
酸素マスクも要らず、覚醒時間も長く、自己主張もはっきり。
そして、一人で「こんなところ」にいると、心細いとのこと。母の家のドアを開けると、
「誰か、助けてくださ~い!」と叫んでいる母の声がして、あわてたことが何度も。要するに、ベッドに寝たきりなのがいやなので、とにかく叫び続けているらしいです。
「下ろして」「ここから出して」と何度も言います。ヘルパーさんにも懇願するらしいのですが、一人でベッドから下ろして、椅子に座らせるのは至難です。でも、看護師さんや、見守る人が何人もいる中で、試みてみました。しばらくは椅子に座っていますが、やはり、姿勢を保持できないのか、戻すように指示してきます。そういう時、誰がいても、とにかく私。
「M吉!」「M吉!」と呼びつけます。
でも、時には、泣きそうになって、「M吉がいてくれるだけでうれしい」と言ったりもします。
少し、母の視界からはずれて、片づけものをするだけでも、「どこに行くの?」と咎めるように言ったりもします。
でも、母の傍に縛り付けられているわけにもいかず、だけど、自分で動けないのに、一人で置いておかれるのもつらいだろうと、想像もできます。胸が痛い。
思えば、若い頃、父が仕事関係の慰安旅行に行くのもいやがって、結局、父は、宿泊旅行を全部断っていました。
でも、私は彼女の夫じゃないし、彼女と過ごしたいわけじゃないし、、、。
やはり、尊厳死というのは大事かも、、、。自分の時は、そちらを選びたい、とは思います。ただ、母のような人は、そういう決断もしない。
もちろん、私に迷惑をかけたいと思っているわけではないでしょうが、そのあたりは思考の外にあるような感じがします。決して向き合わない。
母は、ほんとうに母らしく老いたなぁ、というのがしみじみわき起こる実感です。
先日、緊急搬送した病院で輸血され、一週間して退院しました。輸血の効果が大きく、まぁ、元気なこと。
酸素マスクも要らず、覚醒時間も長く、自己主張もはっきり。
そして、一人で「こんなところ」にいると、心細いとのこと。母の家のドアを開けると、
「誰か、助けてくださ~い!」と叫んでいる母の声がして、あわてたことが何度も。要するに、ベッドに寝たきりなのがいやなので、とにかく叫び続けているらしいです。
「下ろして」「ここから出して」と何度も言います。ヘルパーさんにも懇願するらしいのですが、一人でベッドから下ろして、椅子に座らせるのは至難です。でも、看護師さんや、見守る人が何人もいる中で、試みてみました。しばらくは椅子に座っていますが、やはり、姿勢を保持できないのか、戻すように指示してきます。そういう時、誰がいても、とにかく私。
「M吉!」「M吉!」と呼びつけます。
でも、時には、泣きそうになって、「M吉がいてくれるだけでうれしい」と言ったりもします。
少し、母の視界からはずれて、片づけものをするだけでも、「どこに行くの?」と咎めるように言ったりもします。
でも、母の傍に縛り付けられているわけにもいかず、だけど、自分で動けないのに、一人で置いておかれるのもつらいだろうと、想像もできます。胸が痛い。
思えば、若い頃、父が仕事関係の慰安旅行に行くのもいやがって、結局、父は、宿泊旅行を全部断っていました。
でも、私は彼女の夫じゃないし、彼女と過ごしたいわけじゃないし、、、。
やはり、尊厳死というのは大事かも、、、。自分の時は、そちらを選びたい、とは思います。ただ、母のような人は、そういう決断もしない。
もちろん、私に迷惑をかけたいと思っているわけではないでしょうが、そのあたりは思考の外にあるような感じがします。決して向き合わない。
母は、ほんとうに母らしく老いたなぁ、というのがしみじみわき起こる実感です。
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