授業評価というやつ ― 2020/07/03 21:35
何年くらい前になるのだろう?
大学での授業を、学生が評価する、ということが始まった。
嫌いなものの一つだ。
始まった当初は、
昔ながらの講義ノートをずっと使い続けて、
教える情熱に欠けている、でも高給取りの古い教員が多いから、
そういう教員を何とかするためだろうと、思っていた。
こちらは、研究室もなく、研究費も出ないけど、
自前で書籍を購入し、苦労して他大学の論文などを入手し、
教材を揃え、毎回学生のための配布資料を一生懸命作り、
ネットがない時代なので、気の遠くなるような重い資料を山の上の校舎まで毎回運んでいた。
本当に真面目にやって来た。
だから、古いタイプの横着な先生は、そろそろ態度を改めてもらうのは当然だと思っていた。
が、それからどれくらいの年月が経ったのか。
いまは、そんな先生はもういないだろう。
熱心で、自分のための時間など持てない状況にあるような人が多い。
それでも、授業評価アンケートは続いている。
もはや、業者が作った、適当な設問のアンケートを毎年使い回ししている。
ある大学は、一度か二度、業者が作成したようなアンケートを配布していたが、やがて、それを学内でコピーしているっぽい用紙に変わった。
ある大学は、スマホでアンケートに答えさせる方式に変わった。
授業中にスマホは禁止、ということをうるさく言ってくるのに、
アンケートの時だけ、
できるだけ授業中にアンケートをさせてください、と教務が言ってくる。
こっちも困るのだ。
今だけスマホを見てもいいからね、と言うのも、なんだかご都合主義だし。
まあ、授業中にスマホを見ている中には、留学生で単語を調べている学生もいるし、
私が授業中に説明したことをさらにネットで調べている学生もいる。
そういうのは認めたいので、
基本的にスマホを見ていても見過ごしている。
(大半は、ラインやゲームをやってる連中が多いけど、大人数の講義で、いちいち、授業を中断して文句ばっかり言ってられない。私語よりまし。おとなしく自分の世界にいろよ、という感じ。
「ここ、テストに出します」と言うと、俄然集中するし(笑))
設問についても、教員の間では不評だ。
「あなたはシラバスを見て、この授業を取っていますか?」という設問と、
「先生は、シラバスの通りに授業をしていますか?」と、
いう設問のどちらにも「いいえ」と回答するような学生もいる。
そんなアンケートを実施する意味がわからない。
それを廃止する気概のある人がいなくて、
大学側も惰性でやってるみたいだ。
それとも、教員をますます締め付けるため。
学生は、めんどくさそうだし(全教科で同じことをやらされるもんね)、
教員の方は学生に嫌われると、ひどいことを書かれるから、萎縮気味だ。
アンケートは無記名だから、中にはひどいことを書く学生もいる。
セクハラまがいのもある。
大人数が相手だと、一人一人の学生を識別できない。
しかし、少人数を教えていれば、実施した日の出席状況などで誰が回答しているかわかるだろう。
そうなれば、少人数の先生の評価は甘く出るはずだ。
なんだか、ものすごくもやもやしたシステム。
もう何年も前だが、私の科目がなくなるという最後の授業のとき、
むかついて、アンケートの実施をやめた。
ただでさえ、私の授業はコンテンツがたくさんで、そんなことをやってる時間は取れない。
でも、大学側は、授業の改善のためという目的を言ってくるから、やむなくやっていたが、
最後の授業になって、次がないのに改善もへちまもあるかい! ということで実施しなかったら、結局文句も言われなかった。
今回も同じだ。
私にとって、今教えている大学はこの春学期で終わりだ。
専任を退職した先生が、大学内に私のポジションを作りたかったみたいだが(後を引き継いでほしかったらしい)、
でも、とても弱めに私のことを提案してくれた感じで、(事情を聴いていると、そら、無理やろうと私でも思うほどの押しの弱さ(笑))、
いよいよ私はこの大学と縁が切れる。
だから、今回もアンケートはやらないつもりだけど、
次がないのに、まだやらせるのかと思ったら、
猛烈にむかついてきた。
大学の態度にむかつくのだ。
学生はまあ、とにかくかわいい。
海外の高校生ドラマをよく観る。、
高校生は、教員に対して実に対等にものを言う。
からだは大きい、理屈も一人前、弁も立つ、そういう若い人が、
ただただ未熟なだけにトラブルを起こしていくドラマの展開が多い。
からだの大きい頭でっかちのクソガキが、でもまだ問題解決能力がなくて、
いろいろトラブルを起こすのを、
教員や保護者がどう対応するのか、それが私には興味深い。
切れている高校生に、大人は実に冷静に対応する。
時には子どもたちの怒りの理由が尤もだと思っても、
大人はマネジメントの制約などで子どもたちを納得させなければならない。
その、苦悩しながらも切れずに対処していく大人な態度に、毎回感心しながら、見ている。
未熟でひたむきなメンタリティを描くのに、
高校生というシチュエーションがちょうどいいのだろう。
大学生になると、少しものわかりがよくなる。
しかし、それでも、その自己中ぶりに呆れる学生はいる。
狡猾にもなっているし、相手にしたくないタイプもいる。
それでも、とにもかくにも教員は切れたら終わり、という感じがする。
(いっぺんだけ、切れたけど、あれ、どうやったらよかったんだろう。スキルが要るなぁ。)
まだ若い男の先生だと、時としてトラブることもあるらしい。
無理もないかな、本当にかわいげのない奴だし、
私でさえむかつくことはあるから。
まあ、年の功で、なんとかなってきたんだろう。
年を取って良くなった部分だ。
ある、息子くらいの年齢の先生が、
「M吉先生は、もう、肩の力が抜けておられるけど、僕はまだ力んでしまってダメです」と言っていたことがある。
ある日、お互いに扱いの大変な学生の話をしていて、彼は本当に腹に据えかねる感じで、
私の方は、面白がって笑っていたので、
「僕はまだそうはなれません」と言っていた。
まぁ、そのうち、なるだろうけど。
年を取ると、相手がどんどん幼く見えて来て、
「困ったねぇ」と駄々をこねる幼子を見るような目になる(はず)。
だから、授業アンケートでも、結局、むかつく相手は大学。
たぶん、そういうの決めてるのは、私の天敵のおっさん連中。
やれやれ、これともお別れか、、、、
ちょっと寂しいかな。
大学での授業を、学生が評価する、ということが始まった。
嫌いなものの一つだ。
始まった当初は、
昔ながらの講義ノートをずっと使い続けて、
教える情熱に欠けている、でも高給取りの古い教員が多いから、
そういう教員を何とかするためだろうと、思っていた。
こちらは、研究室もなく、研究費も出ないけど、
自前で書籍を購入し、苦労して他大学の論文などを入手し、
教材を揃え、毎回学生のための配布資料を一生懸命作り、
ネットがない時代なので、気の遠くなるような重い資料を山の上の校舎まで毎回運んでいた。
本当に真面目にやって来た。
だから、古いタイプの横着な先生は、そろそろ態度を改めてもらうのは当然だと思っていた。
が、それからどれくらいの年月が経ったのか。
いまは、そんな先生はもういないだろう。
熱心で、自分のための時間など持てない状況にあるような人が多い。
それでも、授業評価アンケートは続いている。
もはや、業者が作った、適当な設問のアンケートを毎年使い回ししている。
ある大学は、一度か二度、業者が作成したようなアンケートを配布していたが、やがて、それを学内でコピーしているっぽい用紙に変わった。
ある大学は、スマホでアンケートに答えさせる方式に変わった。
授業中にスマホは禁止、ということをうるさく言ってくるのに、
アンケートの時だけ、
できるだけ授業中にアンケートをさせてください、と教務が言ってくる。
こっちも困るのだ。
今だけスマホを見てもいいからね、と言うのも、なんだかご都合主義だし。
まあ、授業中にスマホを見ている中には、留学生で単語を調べている学生もいるし、
私が授業中に説明したことをさらにネットで調べている学生もいる。
そういうのは認めたいので、
基本的にスマホを見ていても見過ごしている。
(大半は、ラインやゲームをやってる連中が多いけど、大人数の講義で、いちいち、授業を中断して文句ばっかり言ってられない。私語よりまし。おとなしく自分の世界にいろよ、という感じ。
「ここ、テストに出します」と言うと、俄然集中するし(笑))
設問についても、教員の間では不評だ。
「あなたはシラバスを見て、この授業を取っていますか?」という設問と、
「先生は、シラバスの通りに授業をしていますか?」と、
いう設問のどちらにも「いいえ」と回答するような学生もいる。
そんなアンケートを実施する意味がわからない。
それを廃止する気概のある人がいなくて、
大学側も惰性でやってるみたいだ。
それとも、教員をますます締め付けるため。
学生は、めんどくさそうだし(全教科で同じことをやらされるもんね)、
教員の方は学生に嫌われると、ひどいことを書かれるから、萎縮気味だ。
アンケートは無記名だから、中にはひどいことを書く学生もいる。
セクハラまがいのもある。
大人数が相手だと、一人一人の学生を識別できない。
しかし、少人数を教えていれば、実施した日の出席状況などで誰が回答しているかわかるだろう。
そうなれば、少人数の先生の評価は甘く出るはずだ。
なんだか、ものすごくもやもやしたシステム。
もう何年も前だが、私の科目がなくなるという最後の授業のとき、
むかついて、アンケートの実施をやめた。
ただでさえ、私の授業はコンテンツがたくさんで、そんなことをやってる時間は取れない。
でも、大学側は、授業の改善のためという目的を言ってくるから、やむなくやっていたが、
最後の授業になって、次がないのに改善もへちまもあるかい! ということで実施しなかったら、結局文句も言われなかった。
今回も同じだ。
私にとって、今教えている大学はこの春学期で終わりだ。
専任を退職した先生が、大学内に私のポジションを作りたかったみたいだが(後を引き継いでほしかったらしい)、
でも、とても弱めに私のことを提案してくれた感じで、(事情を聴いていると、そら、無理やろうと私でも思うほどの押しの弱さ(笑))、
いよいよ私はこの大学と縁が切れる。
だから、今回もアンケートはやらないつもりだけど、
次がないのに、まだやらせるのかと思ったら、
猛烈にむかついてきた。
大学の態度にむかつくのだ。
学生はまあ、とにかくかわいい。
海外の高校生ドラマをよく観る。、
高校生は、教員に対して実に対等にものを言う。
からだは大きい、理屈も一人前、弁も立つ、そういう若い人が、
ただただ未熟なだけにトラブルを起こしていくドラマの展開が多い。
からだの大きい頭でっかちのクソガキが、でもまだ問題解決能力がなくて、
いろいろトラブルを起こすのを、
教員や保護者がどう対応するのか、それが私には興味深い。
切れている高校生に、大人は実に冷静に対応する。
時には子どもたちの怒りの理由が尤もだと思っても、
大人はマネジメントの制約などで子どもたちを納得させなければならない。
その、苦悩しながらも切れずに対処していく大人な態度に、毎回感心しながら、見ている。
未熟でひたむきなメンタリティを描くのに、
高校生というシチュエーションがちょうどいいのだろう。
大学生になると、少しものわかりがよくなる。
しかし、それでも、その自己中ぶりに呆れる学生はいる。
狡猾にもなっているし、相手にしたくないタイプもいる。
それでも、とにもかくにも教員は切れたら終わり、という感じがする。
(いっぺんだけ、切れたけど、あれ、どうやったらよかったんだろう。スキルが要るなぁ。)
まだ若い男の先生だと、時としてトラブることもあるらしい。
無理もないかな、本当にかわいげのない奴だし、
私でさえむかつくことはあるから。
まあ、年の功で、なんとかなってきたんだろう。
年を取って良くなった部分だ。
ある、息子くらいの年齢の先生が、
「M吉先生は、もう、肩の力が抜けておられるけど、僕はまだ力んでしまってダメです」と言っていたことがある。
ある日、お互いに扱いの大変な学生の話をしていて、彼は本当に腹に据えかねる感じで、
私の方は、面白がって笑っていたので、
「僕はまだそうはなれません」と言っていた。
まぁ、そのうち、なるだろうけど。
年を取ると、相手がどんどん幼く見えて来て、
「困ったねぇ」と駄々をこねる幼子を見るような目になる(はず)。
だから、授業アンケートでも、結局、むかつく相手は大学。
たぶん、そういうの決めてるのは、私の天敵のおっさん連中。
やれやれ、これともお別れか、、、、
ちょっと寂しいかな。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。