このごろ、、、2020/07/16 09:52

誰でも同様なのだろうと思うが、
家に逼塞しているのは、あんまりメンタルヘルスの上ではよろしくない。

もちろん、仲の良い人と同居しているような人は、
それなりに幸せなのかもしれないが、
病気持ちの独居老人は、気晴らしに出掛けることもしにくく、
鬱々としてしまう。

私などは、曲がりなりにも仕事をしているから、
とにかく、この日までに、これだけは、、、というような仕事をかかえて、
窮屈なような、やることがあってよかった、、、ような、
そんな感じ。

この、夏の季節になると、
去年の緊急搬送、緊急手術の恐ろしい記憶がまざまざとよみがえって、
さらには、緊急搬送されて緊急入院した4年前の記憶も同時に戻ってきて、
今年はあかんかも、、、と心細くなる。
毎夜、寝る前は、夜中に具合が悪くなったときのために、救急隊の人の手前、みっともなくない程度の寝間着を着る。
上下ばらばらはなるべく避ける程度だけど。
昨年のホテルに宿泊したときは、あまりの苦痛に、
ホテルの浴衣の細帯を取って放り出したのを覚えている。
それで楽になるわけではないのだけど、あまりの苦痛に、いろんなことをやったうちの一つだ。
運ばれるときか、病院に着いたときか、誰かが、「帯は?」と言っているのが聞こえた。女性の声だったと思う。
その人かどうか、浴衣の前を合わせてくれていて、
ああ、はだけていたんだなとわかる。
「はじめから帯はしていなかった」と誰かが答えている。
私は説明する力がない。
麻酔で眠るまでの間、私が答えたのは、病状に関することだけ。
とにかく、必要事項には答えたのだ。
声を振り絞って、大腸がんの手術をしたことや水腎症のことや、
その後、猛烈な腹痛で緊急搬送されて入院したことも伝えた。
判断力は働いたわけだ。
外部の声は確実に聞こえていた。
しかし、反応する力が少なく、必要最小限の反応をしたのだと思う。

一度、あまりにも痛がる私に、
(ああいうとき、患者の反応がないと、聞こえていないと、医療関係者ですら思うものなのだろうか?)
真横の看護師の女性が、
大声を出して、私に言い聞かせようとしてきた。
「ちゃんとしないと、治らないのよ」とかなんとか、大声で何度か言った。
私の側では声は十分に聞こえていて、
しかも、痛くてたまらず、痛い痛いと叫んでいるので、
駄々をこねているわけではない。
だから、まるで説教するかのようなその看護師に
「うるさい!」と叫んだ。
痛みがごくたまに一瞬、緩和されるので、その瞬間に、
「あなたはうるさい」ともう一度言った。
それで、ぴたっとその人は黙った。

反応できない患者は聞こえていないと思い込む人が多いようだ。
昔、夫が鼻の手術をしたあと、
まだ眠っているように目を閉じていて、酸素マスクをしている状態だった。
看護師長が、盛んに耳元で大声を出す。
私には、聞こえているのではないかと思えて、あんな耳元で大声を出されたらいやなのではないかと思った。
が、こちらは素人、専門家に任せるしかない。
すると案の定、夫が顔をしかめ、
「大きな声を出さないでください」と言った。

反応を表現するという作業にはエネルギーが要る。
まだエネルギーが足りないので、何にでも応えるのは無理なのだ。
緊急でないことには、反応しないことになる。
緊急か、緊急でないかは、聞こえた段階で仕分けしている。

まあ、そんなこんなを連鎖的に思い出す日々だ。

毎朝、今日も生き延びたな、と思う。
祖父が亡くなったのは9月のはじめ。
69歳だった。
私は、よく祖父に似ていると言われていた。
結構二枚目で、すらっとしていた祖父に似ていると言われるのは、子ども心にうれしかった。
父は死ぬほどいやで、似ていたくない。
母のような美人には金輪際なれないし、母はとても小柄だ。
(母は、私のことを「大きい」「大きい」と言い続けたので、私はつい最近まで自分に大柄な体格のイメージが張り付いていた(笑)、
いや、今でも、一人でいると、自分の「大きな体」を持て余している(笑)。)

萩尾望都の『イグアナの娘』が秀逸だと思うのは、そういう母娘のイメージ葛藤を見事に描いているからだ。

また、脱線しまくりのブログ(笑)。

そのお気に入りの祖父が9月に、
70歳にならずに亡くなったことから、
ますます、この季節、なんだか心細いのだ。

しかも、団体の活動が始まって、
またもや私が段取りのキーパーソンになっちまった。
去年も、それで苦労しまくって、一段落して倒れたので、
条件がそろっていそうで、こわいのだ。

7月中に700人を超える学生の成績をつけてしまったあと、
次に団体の活動へ。
もつかなぁ、私。
終活の時間を残しておいてくれよ、と、祈るような気持ち。
先日、ふと、本を読んでいて、「面白い」と感じた。
何十年と忘れていた本を読む喜びが、一瞬、よみがえった。

人との交流にエネルギーを多大に必要とする私のような者は、
忙しい仕事(それもコミュニケーション能力を問われるような)に従事すると、気持ちがずっと落ち着かない。
「落ち着きのない」人間になってしまっていた。
五感はひどく敏感だが、その敏感ささえ恥じて、怪しまれないように、
他の人と同じようにふるまう。
でも、仕事を終えてきて、
やっと自分の生きるペースを取り戻すのかもしれない。
じゃあ、もう少し、時間をくれよ、と、やっぱり思う。

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