鬱っぽい2020/05/03 21:09

身近な人が亡くなると、
それも、長寿を全うしたわけではない人が亡くなると、
死神が隣に来たような気がする。

この事態の中で、生き延びるのだろうか。
あちらこちらが痛むような、不安なような、
鬱っぽい心地がする。

今、病気になって、助かる見込みは薄い。
もちろん、持ち前の免疫力で自己回復する場合もあるだろう。
これまでの経験で、
医療ができることはそんなに多くなく、
実際には、その人の自己回復力にかかっているのだろうと、思うことが多い。
もちろん、その自己回復をサポートするのが医療なのだが、
だから、医療が崩壊すると、そこをサポートすることができなくなるので、
助からない、ということが起きるのだろうと、思う。
だから、自己回復力と、それをサポートする医療の両方が要るのだろう。

大学の授業がオンラインになって、
出かけることもなくなった。
人数制限された科目からあぶれた学生をどんどん放り込まれて、
とんでもない数になった学生をかかえて、
(なにしろ、もともと大教室の講義型の授業なので)、
一人ずつ丁寧に見るなんて、不可能になっているので、
やる気も何も奮い立たせることができなくて、はじめから疲れている。

そういう鬱っぽい状況なので、
整理しようとして、母の残した日記を読むと、
ネガティブな受け止めをしてしまう。
私がまだ、ものすごく仕事に追われていた頃、
父がぼけ始めていた頃、
私の夫が亡くなった年。

母にとって、私は、母の世話をしたり、母に気を遣う立場なのはデフォルトなので、何をしても、一切、有難いとは書いていない。
当たり前だから。
しかし、孫については、とても有難がる。
そういう記述がある。
何かあれば私を頼り、それに私がこたえるのが、母の当たり前だった。
私の都合は関係がない。
私の気持ちも関係がない。
母にとって、私は、「使える」か、「使えない」か、だけなのだ。

父が亡くなって母が私の家の近くに転居してきて、
まだ、夫の姉(長女ではなく次女の方)が元気だった頃、
母と娘を誘って、義姉と一緒にランチをした。
いつものように、義姉は、ほとんど一人でしゃべり続けていた。
その日は、いかに自分が父親に褒められたか、
どういうところが褒められたか、母親からはなんと言って評価されていたかをしゃべり続け、
ふと、自分ばかり話しているのに気付いたのか、
「M吉さんは、どうなん? どんなとこを褒められた?」と私に話を向けた。
私は特に何の感情も込めずにこたえた。
「私、親に褒められたことないねん」と。
それが、私のデフォルトだったから、何の感情もなかった。
義姉は、特に興味がなかったのだろう、それに対して、反応はしなかった。
が、私の隣に座っていた母が、のけぞったように背をそらした。
そして、つぶやいた。
「褒めたこと、ないねぇ」と。

義姉は、それらに一切興味がなかったらしく、話は、また彼女の思い出話(それも、幸せな感じ)に戻ったと思う。

それだけの出来事だが、私の中に強く残っている。
母は、なぜびっくりしたのか?
考えたこともないことが言語化されて、驚いたのか、
義姉の前でそのようなことを話題にされるのがいやだったのか、
わからない。

それだけのことだ。
が、時々、大事にされなかった子ども時代の自分を思い出す。
父は、美しくて優しい自分の妻に子どもを任せておけばよいと思っている。
自分が叱り役、妻がなだめ役だと思っている。
ステレオタイプでしか女性を理解できない父に、複雑な母のメンタルなど推し量りようもない。
もちろん、子どもに、特に女の子どもに、「頭」や「心」があるなど考えたことすらない。
一人っ子なのに、あまりにも人格を無視された子ども時代だ。
しかし、物だけは豊かに与えられた。
学期が変わるごとに、文房具がすべて新品になる。
上靴は、汚れたら新しい物に買い替えられる。
(母は、ズック靴を洗う、ということを知らなかったらしいが。)
いつも新しいきれいな洋服を身につけ、
誰も持っていないような特別製の折り畳みの木琴や、
一斉購入ではないきれいな色の硯箱を持ち、
絵具セットも、写生の度に、新しい物を揃えてもらう。
チューブから思い切り絵具を出す私に、友達が「うわ、いっぺんにたくさん出してる」とびっくりしたので、こっちもびっくりした記憶がある。
そのような生活を送りながら、毎日のように、父親と紛争を繰り返していた。
父にすれば、楽な生活をさせてやっているのに、感謝どころが反抗する私を、全く理解できなかっただろう。、
父はしょっちゅう嫌がらせを言い、それに堪えない私を母が嫌う。
今思えば、父が私に嫌がらせを言う理由は、私を褒めたりかわいがると、母が不機嫌になるせいだったのかもしれない。
だから、無意識に私をこき下ろすことで、私への関心を表明していたのかもしれない。
極端に母を慕い、極端に父を嫌ったのは、母の無意識の罠にかかっていたのかもしれない。

母は、父に頼りながら、それほど父を評価していたわけではなかったと思う。
昔の女は、好きではないけれど、生活のために結婚して、添い遂げたのだと思う。

そんなこんなを鬱の中で思い出したり、
解釈し直したり。

先が見えない。
気持ちが沈まない手立てを考えつつ、一人でいると、ろくでもない状況に陥る。
いつまで持つかなぁ。