自分の意見を言うということ2018/07/08 13:42

ご近所の方とちょっとした立ち話では、
私は、基本的に意見を言わない。
全部、聞き流している。
(だから、おとなしいと思われる?^^)

しかし、公的な会議の場などで、
筋の通らない展開になると、やっぱり言う。
結構、どういう場でもあることなのだが、
その場の力関係などで流される人が多かったりすると、
結局、私は、
「でも、それは、違うと思います」と言わざるを得なくなる。

逆らいたくないけど、言うしかない。
言えなかったら、後でものすごく後悔してしまうから。
もし、言えなかったら、黙って結果を引き受けるしかない。
その場で言えなかった自分の責任だから、とにかく、決まったことに従う。

まぁ、そういう私なりの美学があるのだけど、
実際のところ、その場で、付和雷同しないで、
異をとなえるのは厳しいことは厳しい。

これまでに何人かの人に、
「頑固」と言われた。
直近で言われたとき、
「え? 頑固? 私、たまに言われるんだけど、どういうところが頑固なの?」と尋ねた。
自分では、頑固者とは思っていない。
合わせるところは合わせる方だ。

すると、問い返された方が、すごくあわてて、
「あ、それは、、、M吉さんが自分の意見をお持ちだという意味で、、、」とのこと。
自分の意見を持っていると、頑固なのか? とさらに聞きたいところだけど、
あまりの相手の狼狽ぶりに、聞くのをやめた。

それは、私のいないところでの噂の中で出てきた言葉らしく、
それを言った人は、たぶん、何もその言葉を吟味しないで使ってしまったのだろう。
で、私を「頑固」と言ったに違いない、ボスタイプの人の顔を、あわてながらちらちら見ている。
でも、そのボスタイプの人は、何も言わない。

で、後で考えた。
従順で、自分に逆らわない人ばかりに囲まれているボスタイプの人にとって、
自分の意見を言う私は、「頑固」ということになるのだろう。
他人を「頑固」と言う人は、相手を操縦したい人だと思う。
操縦できない相手を、「頑固」と感じるのだろう、と。
そう言えば、若い頃、私のことを「一筋縄ではいかない」と評した男がいたなぁ、、、(遠い目)

私は、他人のことを「頑固」と思ったことがない。
その理由ははっきりしている。
他人を操縦したいと思ったことがないから、だ。

意見の違いが明らかになると、共通しているところで動く。
後は、それぞれ違う意見だね、と、すり合わせる方法を模索する。
それだけのことだから。
他人を操縦したい人の心理は、私にはわからない。

先日、ある人と話をしたら、
ワンマンで、組織を私物化している、Tさんの話題になった。
私はTさんとは利害関係がなくて、付き合いも長いので、
全く、私の知らないTさんの姿を聞いて驚いた。
NPOを立ち上げたが、完全に私物化していて、誰も逆らえないのだとのこと。
こういう話は多い。
NPOの設立に貢献した人が、「私のNPO」と思うらしい。
で、そのTさんに逆らうと、そこにいられなくなるとのことだ。

逆らう、というのは、自分の意見を言う、という意味。
民主的に事を運ぶのは、確かに難しい。
全員が違う意見を言い出して、自分の意見に固執すると、運営ができなくなる。
どこで、統一をとっていくのか、どこで摺り合わせをして、皆の合意に到達するのか、、、
それは、ものすごく難しいが、その困難を乗り越えてやっていかねば、民主的な運営はできない。
まぁ、リーダーになった人は、ストレスで体調くずしたり、十円ハゲができたり、ということになるが、
民主的な運営というものは、不断の努力を惜しまずにやり続けるしかない、、、。

しかし、難しいなぁ、
自戒ばかりしている私、、、

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