気持ちの処理 ― 2018/04/27 10:09
私の友人たちは、まだ母親が存命の人も多い。
そして、ほとんど、90歳を超えている。
中には100歳をこえて、施設で「番長」の人も(^^)
多くは、もう浮世のしがらみからちょっと離れたような、
まだ浮世を生きている娘たちを困惑させているような、
そんな人が多いようだ。
自分はとてもそんな年まで生きられない、と多くの友人たちは言う。
私も同感。
団塊の世代は、親の世代よりもっと短命なのではないかと思う。
それにしても、もはやそんなに生きられないと思うとき、
心の隅に消せずにある遺恨の感情をどう処理しようかと、思う。
まだ心ざわつくことも多々ある。
たとえば、自分に対して、過去にひどいことをした人がいて、
その人がとても世渡り上手で、
その人の出世や良い評判が自分の耳に入ってくる、というようなとき、
過去のそのひどいことに今でも自分が傷ついているとなると、
そのことをどう処理したらよいのだろう。
自分の無力を潔く認め、
やられたことを事故のように考え、
不運だったと思うのが、一番、楽な方法だ。
その人個人を恨むことが何の生産性もないことはわかっている。
怒りは新たなストレスを呼び、私自身を蝕む。
しかし、そう思い定めて、悔しさを処理するのって、
まだまだ修行の足りない私には難しい話だ。
夫が亡くなった時、
まだ今のような認知症でない義姉が、
夫の遺体を見つめながら、
「この世の修行を終えたような感じやね」と言った。
義姉がどういう思いでそう言ったのかはわからない。
時折、忘れられないようなことを言うのだ。
そうか、生きているということは修行が終わらない、ということなのか、、、と思った。
その後、いろいろな辛い出来事に見舞われ、
修行が終わらない、と文字通り実感した。
この心の葛藤が処理される頃、
やっと人生のけりがつくのかな。
葛藤が処理されるということは、浮世のあれこれから縁遠くなるということだな。
そして、ほとんど、90歳を超えている。
中には100歳をこえて、施設で「番長」の人も(^^)
多くは、もう浮世のしがらみからちょっと離れたような、
まだ浮世を生きている娘たちを困惑させているような、
そんな人が多いようだ。
自分はとてもそんな年まで生きられない、と多くの友人たちは言う。
私も同感。
団塊の世代は、親の世代よりもっと短命なのではないかと思う。
それにしても、もはやそんなに生きられないと思うとき、
心の隅に消せずにある遺恨の感情をどう処理しようかと、思う。
まだ心ざわつくことも多々ある。
たとえば、自分に対して、過去にひどいことをした人がいて、
その人がとても世渡り上手で、
その人の出世や良い評判が自分の耳に入ってくる、というようなとき、
過去のそのひどいことに今でも自分が傷ついているとなると、
そのことをどう処理したらよいのだろう。
自分の無力を潔く認め、
やられたことを事故のように考え、
不運だったと思うのが、一番、楽な方法だ。
その人個人を恨むことが何の生産性もないことはわかっている。
怒りは新たなストレスを呼び、私自身を蝕む。
しかし、そう思い定めて、悔しさを処理するのって、
まだまだ修行の足りない私には難しい話だ。
夫が亡くなった時、
まだ今のような認知症でない義姉が、
夫の遺体を見つめながら、
「この世の修行を終えたような感じやね」と言った。
義姉がどういう思いでそう言ったのかはわからない。
時折、忘れられないようなことを言うのだ。
そうか、生きているということは修行が終わらない、ということなのか、、、と思った。
その後、いろいろな辛い出来事に見舞われ、
修行が終わらない、と文字通り実感した。
この心の葛藤が処理される頃、
やっと人生のけりがつくのかな。
葛藤が処理されるということは、浮世のあれこれから縁遠くなるということだな。
コメント
_ マキ ― 2018/04/27 11:56
_ M吉 ― 2018/04/30 08:05
マキさん
ほんとうに、わかったつもりで平和になったはずなのに、
何かの折にふつふつと煮えたぎったり、
噴火する感情がありますね。
消えないな~
と思います。
で、こうして、言葉にして、自分に言い聞かしてみる日々。
ちょっとした「小さな幸せ」を探しながら、生きていくのは、
たぶん、良いことだろうと思います。
それしかないから・・・
でも、渦中にいるときは、無理に抑えても、苦しくなるばかりですものね
ほんとうに、わかったつもりで平和になったはずなのに、
何かの折にふつふつと煮えたぎったり、
噴火する感情がありますね。
消えないな~
と思います。
で、こうして、言葉にして、自分に言い聞かしてみる日々。
ちょっとした「小さな幸せ」を探しながら、生きていくのは、
たぶん、良いことだろうと思います。
それしかないから・・・
でも、渦中にいるときは、無理に抑えても、苦しくなるばかりですものね
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
不運だったと思うのが、一番、楽な方法だ。
その人個人を恨むことが何の生産性もないことはわかっている。
怒りは新たなストレスを呼び、私自身を蝕む。
そうだと分かっていても、割り切ることの出来ない感情ってあります。許すことで自分自身も救われる-----言葉は理解できても、感情が消えないのです。。。
葛藤が処理される頃は私自身も-----お迎え間近い??
この世に生まれ、生きていくことが修業ならば、次は「もう、たくさんよ!!」と---思ったり、
ちょっとした楽しい出来事に「生きてて良かった~♪」と,瞬間の気分転換で繋いでる人生。
これじゃあ~ダメだ。。。