アゴダその後2025/11/03 13:47

結局、あの純朴そうなたどたどしい日本語で、確約されたアゴダからの回答のメールはなかった。

カード会社が時々、
海外の企業からの引き落としを拒否することがあるらしく
(確かに過去にもあった)
結局、今回も引き落としができなかったわけで、
それゆえの不具合だったのだけど、
やはり、中間に入り込む旅行会社を頼るより、
直接、ホテルのサイトから予約する方が確かかも。
今まではずっとそうしていたのだけど、今回、アゴダになってしまった。

ホテルのサイトでは、満室でもう予約できなかったからだ。
こうした中間業者が買い占めるのだろう。
ほんとに、嫌な気分になる。

ホテル予約のその問題はさておき、
行った先は、とても楽しくて最高の気分になれたけど。

ミーハーな話2025/05/15 11:35

 私の周りには、映画好きな人は結構多いのだけど、どなたも、ポリティカルな題材を扱った映画を好んで見ていて、単館映画館に足を運んで、世界の情勢や歴史的事件に強い関心を寄せている。

 私もそういう映画も観るのだが、でも、いわゆるエンターテインメントの方をもっと好きなので、話の合う友達が少ない気がする。案外、会ってその話題を出すと、いけるのかなあ、、、。折り目正しい友人たちに、私の低俗ぶりを見せる勇気がない。

 ま、次の話題は、そう低俗ではないかも、なにしろ、超古い映画が題材だから。
 今、配信で、『何がジェーンに起こったか』という往年の名画を題材に、ベティ・デイビスとジョーン・クロフォードの確執を描いためっちゃ面白いドラマを見ている。が、配役がベティ・デイビスがスーザン・サランドンで、ジョーン・クロフォードがジェシカ・ラングなのだ。私は、役柄は絶対、逆だと思っていて、物語が進んでも、どうしても、スーザン・サランドンがジョーン・クロフォードだと思い込んでしまっていて、修正が効かない。なぜ、この二人の配役を逆にしたのだろうと不思議で仕方がないのだ。
監督がライアン・マーフィーなので、女性の特徴を見分けるのが、私とは違うのかと思ったりするのだが。ドラマ自体はものすごく面白いのだけど、何度も混乱している。

これって、どういう人たちと共有できる話題なのだろう?

「特定生殖補助医療法(案)」について、怒っている人たちに受ける話だろうか?

芸術と思想はそんなに簡単に分けられない。が、いわゆる「ミーハー」と呼ばれる類のエンターテインメントというものがある。私が、どれくらいそれを好んでいるのかがどうもよくわからない。
今、テレビに頻出している芸(能)人の話題のたいていは、私は興味がない。しかし、ポピュラーカルチャーにも心惹かれるものはある。

「ミーハー」という名付け自体に意味がないのかもしれない。歌舞伎だって、江戸時代は大衆文化の最たるものだったろうし。
今、「ミーハー」をググったら、流行にのりやすい軽薄さ、ということを表現するようだ。
そうだなぁ、語感では、大衆的な軽薄さ、というイメージだけど、子どもが「ポケモン」を好きでも「ミーハー」とは言わないしなぁ、、、。

何を言いたくてこのブログを書いているかと言うと、
趣味や好みの合う友達がいないなぁと思うから、、、。

お正月とか連休とか、、、2025/05/03 11:10

世間が休みをうれしそうに語る頃、
私はいつも深い深い絶望と孤独にはまる。

まだ、ものすごく若い頃、
アメリカから来ている英語教師から、
日本に来ている外国人が、お正月に自殺する人が多い、という話を聞いて、ショックを受けたことがずっと尾を引いている。
旅行者は別として、一人で日本に住んでいる外国人は、
正月など、仕事が一斉に休みになり、
友人知己は家族で過ごす期間になり、
ひとりぼっちになる。
そのとき、絶望的な孤独感に苛まれるのだと言っていた。

海外ドラマで見るような、友人も招いてファミリーパーティを開く習慣がない日本では、
家族、あるいは親族で集まる時期である。
「赤の他人」は混じらない。

「家族水入らず」という言葉は、日本独特の表現かもしれない。
英語だと、family-only time のような、普通のワードを組み合わせた表現しかないような気がする。
独特の意味内容を持つ言葉は存在しないように思う。
独特のワードを持つのは、それが特別な意味内容を持つ概念だからだ。

そして、この「家族水入らず」の習慣が、日本で一人で暮らす外国人を絶望的な孤独に突き落とすのだ。

そして、実は、今、私がそういう状態だ。
日本人で、家族が日本国内にいても、
遠方に住んでいたり、あまり会わない関係であれば、
ひとりぼっちになってしまう。

かねてから、「団欒ネットワーク」などと称して、そうした孤独な一人暮らしの人同士がつながるイベントをやりたいと考えてきたが、場所がうまく見つからない、という具体的な事情で、実現できずにいた。
自分の住まいを提供すればいいのだろうけど、
それだと、あまり親しくない人や、誰でもどうぞ、と言うのは、ばーさんの一人暮らしにはリスキーかなと思う。

この、ファミリー中心主義の社会の中で、
一人暮らしの寂しさをかかえる人とつながり、助け合えるにはどうしたらよいのだろうか。

長年の悩み。
今日もこのゴールデンウィークの真ん中で、一人ぽつんと途方に暮れている。

ガハハと笑うおばさん2025/03/28 19:45

私は、ガハハと大口を開けて笑うおばさんになれなかった。

キャーッと、周りがびっくりするような声を上げて、
友達とはしゃく少女にもなれなかった。

私は、馴れ合いの中にいなかった。

なんだか、ずっと寂しかった。

ずっとずっと、ひとりぼっちだった気がする。

でも、ずっとずっと、溶け込みたかった。
仲間と認められたかった。

人と違う、という感じを抱いていて、ものすごく孤独だった。

が、今は、何だか、とても平均的な日本人の「おばあさん」という感じがしている。
シンフォニーホールでのコンサートに向かうとき、駅からホールまでの道のりを、同じような人たちが歩いて行く群れに交じっていると、
しみじみ、そう思う。
やっと、「普通」になれたような、、、。
私がようやく、この世に慣れたのかな。

74歳になって、ようやく、自分にも、この世にも慣れてきたのかな。

また、ふと思ったので、、、。2025/02/19 15:53

一昨日のアホな人のことをまだ考えていた。

思えば、性別二元論を相対化できない人はたくさんいるのだろう。

そして、「あ」と思った。

この人たちは、天動説を信じて生きてきた人たちだ。
そう簡単に、地動説を信じることはできないだろう。

「だって、この地面、全然動いていないじゃないか!」
「地面はまっすくじゃないか、丸くなんかないじゃないか!」
と、怒り出すだろう。
いい加減なことを言うな! と。

この人たちは、性別二元論で生きてきた。
そこに、
「男とか女とか、そういう区切りは曖昧なものですよ」とか、
「性別を、男女で分ける、というのは言説の問題でして、実態はもっと多様です」
とか言っても、わけがわからないだけなんだろうなぁ、、、。

理解ができないのだろう。
もっともっと、情報が行き渡って、
どの人も、地動説を信じるようになるまで、とても年月がかかったように、
これら、知識のない人たちが、そこに到達できるようになるには、途方もない時間がかかるということなのだろうなぁ。