人それぞれ2022/08/20 18:56

今日は連投。
行き詰っている原稿が気になりながら、自由に書けるブログを選ぶ。

人それぞれ、という当たり前のことを言いたくなったのは、
たまたま見たネットニュースに、
出産を楽しかった、という人の記事があったからだ。

最近、若いセクマイの人と話していて、
子どもをいつかは持ちたいという願望が語られるのを聞いて、
複雑な気持ちになっていた。

たとえば、ゲイの男の子は、
自分は産めないから、女性に代理出産を頼むしかない、という事実に若干の悔しさをにじませていた。
「産めない」という自分の身体が無念なようなのだ。
また、あるセクマイの人は、自ら進んで代理出産した女性の話を鵜呑みにしていて、
その女性が、「子どもを産むのは楽なことだ」と言っていたと話す。
出産のその瞬間は痛みがあるけれども、生んだとたんに忘れるのだと言っていた、と話すのを聞いて、
「忘れるわけない!」と、声をそろえて、我々おばさんたちは吠えた。

そのおばさんの中でも、出産の記憶は様々だ。

私は、命を落としかけた。
病院出産でなく、昔のように自宅出産なら、死んでいただろう難儀なお産だった。
子ども二人とも、出産は大変だった。
一つには骨盤が狭い、ということもあるのだろう。
これは、母譲りだ。
母は、結局、私一人しか生むことはできなかった。
私はがんばって二人生んだが、命がけだった。

医療が全く介入できなかった昔ほどではないにしても、
出産で命を落とす人は今もいる。
出産を簡単なことのように言うな!というのが私の思いだ。

出産は病気ではない、とずっと言われているが、
「病気」であるかどうかではなく、
身体の一大事なのだ、という認識は要る。

が、丈夫な安産型の人は、昔ながらの物言いに平気で乗っかれる。
子どもを産めない女性を石女(うまずめ)と呼んで蔑み、離婚理由にされた時代の価値観を、疑問もなく残している。
女性の身体の一大事を、平気で軽いもののように言う。
丈夫な身体の持ち主は、たまたま丈夫な身体に恵まれただけなのに、安産が当たり前のように、その価値観を立証するかのように、「出産は楽しい」などとほざく。
デリカシーはないのか。

身体も個人差が大きい。
丈夫な人もいれば、脆弱な人もいる。
そんな当たり前の認識が、こと、出産になると、簡単に捨て去られる。
未だに昔の価値観をベースにした物言いを許していて、
妊娠や出産に適性のない身体の持ち主を苦しめている。
ええかげんにせえよ!
男の身体を持つ人たちと同じくらい、
妊娠や出産に向いていない、「女」の身体の持ち主もいるのだよ!

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