気分の浮き沈み ― 2020/03/31 11:37
鬱っぽい日々だ。
今回のコロナが、自分の死因になるのかも、と悲観的になったりする。
高齢だし、持病持ちだし、ハイリスクだ。
朝は最悪だ。
特に昨日は、コメディアンの志村けんが亡くなったというニュースが、どの番組でも流していて、ショックを受けた。
過剰で奇抜なコスプレみたいなシーンを垣間見たときは、その女性の扱いのひどさに嫌悪を覚え、
嫌いな一人だったが、
最近は、動物をテーマにした番組で、少しイメージが良くなっていた。
ほぼ同年のこの人の突然の死去は、私の恐怖心を高めた。
だから、今朝は、最悪の気分の朝を迎えた。
ここのところ、鬱っぽい感じで目が覚める。
頭痛やめまいや寒気や、、、。
いよいよ、来たか、と思ってしまう。
このあいだ、団体の資料の印刷に行ったけれど、
行った先で会った人たちが、みな、高齢のわりに無頓着で、
いやだった。
無頓着なのは若者だけではない。
身体強健な年寄りも、無頓着だ。
自分だけは大丈夫、と思っているみたいな無神経な年寄りが結構いる。
その人たちと、2時間ばかり、同じ部屋にいたので、
あれがアカンかったか、と悔やんだり、、、、。
が、これは毎朝のことだが、朝食を摂ると、
ちょっと前向きになる。
今朝は、前に予約していた午後からの美容院をキャンセルしようと心に決めていたが、
食後は、まぁ、カットくらいならいいか、と心の変化。
帰ったら、必死で手を洗い、アルコールティシュで手を拭くわ、と決心が変わっている。
美容師さんは、子どもが3人いる。。
たぶん無頓着な若者と一緒に暮らしているわけで、
実は感染している可能性がないとは言えない。
日本は、PCR検査をやり渋っている。
その理由はいろいろ推測されている。
どうせ、どこかからの圧力だろうと、
日本の官僚を全然信用できなくなっている私は、想像している。
「若者が危ない」と言われているが、そんなことは初めからわかっている。
ウィルスが年齢によって、感染する個体を区別するわけではない。
ただ、かれらは基本的に体力があるから、感染の兆候が出ないだけだ。
だから、検査を増やして、感染者を見つけて、
感染者の自粛を強く言い渡す方策をとらないと、
「自分は感染していないだろう」と甘く考える人はたくさんいるわけだ。
そういう人には、「要請」など何の意味もないだろう。
「おまえは感染している。だから、家を出るな」と、
強い指示を出さなければならないわけだ。
京大のなんとかいう専門家が警告していたけど、
専門用語で「要請」している間は、通じない人はたくさんいるらしい。
だから、検査は要る。
感染したらアウトの人もたくさんいるだろう。
いや、むしろ、早くに亡くなった人の中に、検査をしていなかっただけで、感染していた人はいるだろう。
それは、もはや数字に表れないから、追跡しようのないものなのだろうが。
日本の感染者が圧倒的に少ないのは、検査をしていないからだ。
不顕性の感染者がうじゃうじゃいるだろう。
私の友人は、肺炎と診断されたが、
今は回復して、昨日から職場に出ているそうだ。
本人は、長い間蟄居していたから気晴らしもしたいのだろう、
久しぶりに会いましょう、と言ってくるが、
屋外で、1.5メートル離れて、話そうね、と私は言っている。
大阪城公園の桜もちょっとは観たい。
何度か散歩をしたが、一人っきりでは寂しい。
興味深いことに、一人で散歩しているのは、圧倒的に年配の男性だ。
これはいつも変わらない風景だ。
で、そういう風景の中を、私も一人で散歩をしているが、
この友人を、1.5メートル離れての散策に誘っている(^^)
きれいねぇ、と声を掛け合うだけでいいのだが、それさえかなわない日々だ
そもそも、「今日も天気が悪いみたい」「よく晴れてるね」というような何でもない会話をする相手が、日常的にいないのは、
やはり精神衛生上、よろしくないのだろう。
と言っても、仕事が休みになってイライラしているDV夫と顔を合わせる毎日は、最悪の事態だから、こっちの救済策も要るのだけど。
不安はあるが、今日はカットだけしてもらって、
ちょっとすっきりして、気分を上げよう、という今の気分。
今回のコロナが、自分の死因になるのかも、と悲観的になったりする。
高齢だし、持病持ちだし、ハイリスクだ。
朝は最悪だ。
特に昨日は、コメディアンの志村けんが亡くなったというニュースが、どの番組でも流していて、ショックを受けた。
過剰で奇抜なコスプレみたいなシーンを垣間見たときは、その女性の扱いのひどさに嫌悪を覚え、
嫌いな一人だったが、
最近は、動物をテーマにした番組で、少しイメージが良くなっていた。
ほぼ同年のこの人の突然の死去は、私の恐怖心を高めた。
だから、今朝は、最悪の気分の朝を迎えた。
ここのところ、鬱っぽい感じで目が覚める。
頭痛やめまいや寒気や、、、。
いよいよ、来たか、と思ってしまう。
このあいだ、団体の資料の印刷に行ったけれど、
行った先で会った人たちが、みな、高齢のわりに無頓着で、
いやだった。
無頓着なのは若者だけではない。
身体強健な年寄りも、無頓着だ。
自分だけは大丈夫、と思っているみたいな無神経な年寄りが結構いる。
その人たちと、2時間ばかり、同じ部屋にいたので、
あれがアカンかったか、と悔やんだり、、、、。
が、これは毎朝のことだが、朝食を摂ると、
ちょっと前向きになる。
今朝は、前に予約していた午後からの美容院をキャンセルしようと心に決めていたが、
食後は、まぁ、カットくらいならいいか、と心の変化。
帰ったら、必死で手を洗い、アルコールティシュで手を拭くわ、と決心が変わっている。
美容師さんは、子どもが3人いる。。
たぶん無頓着な若者と一緒に暮らしているわけで、
実は感染している可能性がないとは言えない。
日本は、PCR検査をやり渋っている。
その理由はいろいろ推測されている。
どうせ、どこかからの圧力だろうと、
日本の官僚を全然信用できなくなっている私は、想像している。
「若者が危ない」と言われているが、そんなことは初めからわかっている。
ウィルスが年齢によって、感染する個体を区別するわけではない。
ただ、かれらは基本的に体力があるから、感染の兆候が出ないだけだ。
だから、検査を増やして、感染者を見つけて、
感染者の自粛を強く言い渡す方策をとらないと、
「自分は感染していないだろう」と甘く考える人はたくさんいるわけだ。
そういう人には、「要請」など何の意味もないだろう。
「おまえは感染している。だから、家を出るな」と、
強い指示を出さなければならないわけだ。
京大のなんとかいう専門家が警告していたけど、
専門用語で「要請」している間は、通じない人はたくさんいるらしい。
だから、検査は要る。
感染したらアウトの人もたくさんいるだろう。
いや、むしろ、早くに亡くなった人の中に、検査をしていなかっただけで、感染していた人はいるだろう。
それは、もはや数字に表れないから、追跡しようのないものなのだろうが。
日本の感染者が圧倒的に少ないのは、検査をしていないからだ。
不顕性の感染者がうじゃうじゃいるだろう。
私の友人は、肺炎と診断されたが、
今は回復して、昨日から職場に出ているそうだ。
本人は、長い間蟄居していたから気晴らしもしたいのだろう、
久しぶりに会いましょう、と言ってくるが、
屋外で、1.5メートル離れて、話そうね、と私は言っている。
大阪城公園の桜もちょっとは観たい。
何度か散歩をしたが、一人っきりでは寂しい。
興味深いことに、一人で散歩しているのは、圧倒的に年配の男性だ。
これはいつも変わらない風景だ。
で、そういう風景の中を、私も一人で散歩をしているが、
この友人を、1.5メートル離れての散策に誘っている(^^)
きれいねぇ、と声を掛け合うだけでいいのだが、それさえかなわない日々だ
そもそも、「今日も天気が悪いみたい」「よく晴れてるね」というような何でもない会話をする相手が、日常的にいないのは、
やはり精神衛生上、よろしくないのだろう。
と言っても、仕事が休みになってイライラしているDV夫と顔を合わせる毎日は、最悪の事態だから、こっちの救済策も要るのだけど。
不安はあるが、今日はカットだけしてもらって、
ちょっとすっきりして、気分を上げよう、という今の気分。
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