昔の感覚ではいられない2018/02/24 12:42

当たり前のことなんだけど、
昔の保守とか革新とか、
私自身が単純に信じていた二項対立は、全然通用しない。

思えば、きっと昔からそうなんだろう。
入り組んでいたのだろう。
私が単純化したがっただけなんだろう。
自分の理解力に合わせて、、、。

先日、参加した飲み会では、
最後の立て看世代、という人が盛んに大学時代の紛争の話をしていた。
60歳を過ぎても、
昨日のことのように大学時代の話をするのは、
ブランド大学出身者に多い。
今に至る紆余曲折も、ある種、一貫したアイデンティティに支えられているから、
自分の足元が崩れる経験をしていない人が多い気がする。
常に闘う相手が外部にいる、と感じる人たちだ。

アイデンティティが揺らがない、というのは特権的な状況だ。
左翼的インテリのその鈍さに、うんざりすることがある。
まぁ、左翼的インテリと一括りにしてもいかんのだろうけど。

1月に、西部進が自死したことにショックを受けた。
保守と言っても多様だから、
交点を感じないわけではなかったし、、、。

保守とか右翼とか、革新とか左翼とか、そういう二項では分けられない。
今、現政権がしゃにむに通そうとしている「働き方改革」だって、
「改革」だし、、、。
そうするとこちらは、反改革派になっちまうし、、、。

人権派、反人権派、と呼び換えてみたらどうだろう?
労働者の人権を守りたいと思っている反「改革」派と、
労働者の人権を蹂躙しようと思っている与党の「改革」派、、、
こんな法案、通したら、生活破壊が進むだけ。