老いの寂しさ ― 2018/11/16 10:37
なのかどうかは、わからない。
もやもやしたことが続いたので、ただ、気力が萎えているだけかも、、、。
でも、ものすごく寂しくて、
この世に一人ぼっちの感じになって、
もう、生きるの、やめにしようかな、、、
どうせ、生き延びても寂しいだけなんだし、、、
とか、思い始めてしまう。
母が「老いの寂しさ」と言ってたのは、もうちょっと年を取ってからだった。
私の年のころは、まだ、父もいたので、
主婦としての現役感があった。
仕事がなくなってくると、こういう感じになるのかな、、、。
この世で、自分がもう用のない存在になったと、しみじみしてしまう感じ。
用なんて、初めからないんだけどね。
あるかのように、若い頃は、忙しくしているだけで、、、。
昨日、会った人たちは、夫のいる人が多いようだ。
が、夫をほっといて、毎晩でも飲みに出ることのできる女性たち。
夫のために、「晩御飯を作らなきゃ」と言うタイプの女性は、絶対来ない場所(^^)
ただ、そういう女性たちも、
「母のご飯を作らなきゃ」とは言い始めている。
母親が90歳代で、娘の肩にかかっている。
結局、自分で稼いで生きてきた女性たちは、自分が築いた家族には困っていないけど、
自分を生み出した家族からは逃れられない。
そういう世代なのだろう。
自立を獲得したのに、
一つ前の世代の価値観に縛られちゃってる。
まぁ、それでも、暗い愚痴にはならない。
母とのやり取りをコメディのように、発信している人もいる。
昨日、会った人たちは、文筆を生業としている(た)人が多いので、
情報発信力はすごい。
みんなの明るさ、屈託のなさ、情報の豊かさ、
そういうものに接しても、
今の「ちょっとウツ」の私は、その突き抜けた感じに圧倒される。
でも、そこに行くのをやめないのは、
そこしかないから。
同じ価値観で、同じことに怒りを感じ、同じことに意欲のわく人たちが集まるから、エネルギーでは負けちゃうけれど、
やっぱり足を運ぶ。
一人で鬱々と晩御飯を食べるよりはよほどいいし、、、。
いくらエネルギー値が似ていても、ノンポリの人とは話が合わないし、、、。
老いの寂しさは、
ポリティカルに、ラジカルに、
乗り越えようか、、、できるかな~^^
もやもやしたことが続いたので、ただ、気力が萎えているだけかも、、、。
でも、ものすごく寂しくて、
この世に一人ぼっちの感じになって、
もう、生きるの、やめにしようかな、、、
どうせ、生き延びても寂しいだけなんだし、、、
とか、思い始めてしまう。
母が「老いの寂しさ」と言ってたのは、もうちょっと年を取ってからだった。
私の年のころは、まだ、父もいたので、
主婦としての現役感があった。
仕事がなくなってくると、こういう感じになるのかな、、、。
この世で、自分がもう用のない存在になったと、しみじみしてしまう感じ。
用なんて、初めからないんだけどね。
あるかのように、若い頃は、忙しくしているだけで、、、。
昨日、会った人たちは、夫のいる人が多いようだ。
が、夫をほっといて、毎晩でも飲みに出ることのできる女性たち。
夫のために、「晩御飯を作らなきゃ」と言うタイプの女性は、絶対来ない場所(^^)
ただ、そういう女性たちも、
「母のご飯を作らなきゃ」とは言い始めている。
母親が90歳代で、娘の肩にかかっている。
結局、自分で稼いで生きてきた女性たちは、自分が築いた家族には困っていないけど、
自分を生み出した家族からは逃れられない。
そういう世代なのだろう。
自立を獲得したのに、
一つ前の世代の価値観に縛られちゃってる。
まぁ、それでも、暗い愚痴にはならない。
母とのやり取りをコメディのように、発信している人もいる。
昨日、会った人たちは、文筆を生業としている(た)人が多いので、
情報発信力はすごい。
みんなの明るさ、屈託のなさ、情報の豊かさ、
そういうものに接しても、
今の「ちょっとウツ」の私は、その突き抜けた感じに圧倒される。
でも、そこに行くのをやめないのは、
そこしかないから。
同じ価値観で、同じことに怒りを感じ、同じことに意欲のわく人たちが集まるから、エネルギーでは負けちゃうけれど、
やっぱり足を運ぶ。
一人で鬱々と晩御飯を食べるよりはよほどいいし、、、。
いくらエネルギー値が似ていても、ノンポリの人とは話が合わないし、、、。
老いの寂しさは、
ポリティカルに、ラジカルに、
乗り越えようか、、、できるかな~^^
お正月 ― 2016/01/04 16:32
2016年が明けました。今年は、喪中なので、新年のご挨拶はしませんが、
でも、今年もよろしくお願いいたします。
母のいない初めてのお正月です。
大晦日は、娘と娘のパートナーが一緒におせちを食べてくれました。そして、なんとなく、紅白を観ました。
私が知らないジャンルに強かったりするので、若い人とおしゃべりをするのは楽しいです。
母がいない、ということが実感にならないまま、母の不在の日々です。
京都に出かけて、和菓子屋さんを見ると、一瞬、母へのお土産を、と思います。すぐに、あぁ、もういなんだと思うのですが、、、。
デパートなどで、母の好きそうな小物を見つけても、一瞬、母に買って帰ってあげようかと思います。次の瞬間には、母がいないことを思い出すのですが、、、。
母を喜ばせてあげたい、という感じがいつもありました。でも、それは、たぶん、母が最も喜ぶことをしない罪滅ぼしなのかもしれません。
母は、私という一人しかいない娘が、母と同じ嗜好を持ち、母と楽しい時間を共有することを望んだろうと思います。
独身の頃、短い間でしたが、母と共有する時間を持ちました。母にとったら、もう子どもでなくなった私は、友だちのようにつきあえる相手だったことでしょう。
しかし、私は母から立ち去ったのです。母と同じ世界観を共有せず、母とは異質の文化を享受するようになったのです。
一度、同じ研究会の人が、近所ということで、実家を訪ねて、母に私宛の何かを託してくれたことがあります。それを受け取りながら、私がその人を、同じ研究会の人だと説明したとたん、吐き捨てるように、
「ふん! 不平分子か!」と言いました。
私の所属する団体は、労働やジェンダーなどをテーマとして研究や活動を行っていますから、問題意識の強い人の集まりです。母のその時の不快の表明は、ほんとうにそれらが嫌いだったのか、私が母の手中から離れることがいやだったのかわかりませんが、その経験で、母に自分の活動について、話さなくなりました。
ただ、大手出版社が出している年鑑に原稿を書くようになると、それは買っていたようです。
そういう意味では、誰が何と言おうと私を支持してくれる、というタイプの親ではありませんでした。偉い人が認めるなら、親も認めてくれる、という感じでした。
私には理解できない親の態度です。自分の価値観を信じて疑わない、という親のタイプが不可解です。自分の経験や世界観など、たかが知れているのだから、子どもの向かうところをとりあえず応援したいと、私などは思いますが。
親のことをたくさん思い出します。
かわいらしくて、わがままで、自己チューで、か弱くて、女らしかった母は、私という娘を支配しきれず、同一視に失敗したのかもしれません。
私は母を慕い続けましたが、母を人生のモデルにできませんでした。距離を置いて、母を崇めていたように思います。母には、少し寂しかったろうと思うと、それが、ちょっとだけ辛いのです。
今、ちょっと体調が悪いので、弱気です。
でも、今年もよろしくお願いいたします。
母のいない初めてのお正月です。
大晦日は、娘と娘のパートナーが一緒におせちを食べてくれました。そして、なんとなく、紅白を観ました。
私が知らないジャンルに強かったりするので、若い人とおしゃべりをするのは楽しいです。
母がいない、ということが実感にならないまま、母の不在の日々です。
京都に出かけて、和菓子屋さんを見ると、一瞬、母へのお土産を、と思います。すぐに、あぁ、もういなんだと思うのですが、、、。
デパートなどで、母の好きそうな小物を見つけても、一瞬、母に買って帰ってあげようかと思います。次の瞬間には、母がいないことを思い出すのですが、、、。
母を喜ばせてあげたい、という感じがいつもありました。でも、それは、たぶん、母が最も喜ぶことをしない罪滅ぼしなのかもしれません。
母は、私という一人しかいない娘が、母と同じ嗜好を持ち、母と楽しい時間を共有することを望んだろうと思います。
独身の頃、短い間でしたが、母と共有する時間を持ちました。母にとったら、もう子どもでなくなった私は、友だちのようにつきあえる相手だったことでしょう。
しかし、私は母から立ち去ったのです。母と同じ世界観を共有せず、母とは異質の文化を享受するようになったのです。
一度、同じ研究会の人が、近所ということで、実家を訪ねて、母に私宛の何かを託してくれたことがあります。それを受け取りながら、私がその人を、同じ研究会の人だと説明したとたん、吐き捨てるように、
「ふん! 不平分子か!」と言いました。
私の所属する団体は、労働やジェンダーなどをテーマとして研究や活動を行っていますから、問題意識の強い人の集まりです。母のその時の不快の表明は、ほんとうにそれらが嫌いだったのか、私が母の手中から離れることがいやだったのかわかりませんが、その経験で、母に自分の活動について、話さなくなりました。
ただ、大手出版社が出している年鑑に原稿を書くようになると、それは買っていたようです。
そういう意味では、誰が何と言おうと私を支持してくれる、というタイプの親ではありませんでした。偉い人が認めるなら、親も認めてくれる、という感じでした。
私には理解できない親の態度です。自分の価値観を信じて疑わない、という親のタイプが不可解です。自分の経験や世界観など、たかが知れているのだから、子どもの向かうところをとりあえず応援したいと、私などは思いますが。
親のことをたくさん思い出します。
かわいらしくて、わがままで、自己チューで、か弱くて、女らしかった母は、私という娘を支配しきれず、同一視に失敗したのかもしれません。
私は母を慕い続けましたが、母を人生のモデルにできませんでした。距離を置いて、母を崇めていたように思います。母には、少し寂しかったろうと思うと、それが、ちょっとだけ辛いのです。
今、ちょっと体調が悪いので、弱気です。
母が亡くなりました ― 2015/07/06 03:50
もっと長く患うと思っていたのに、あっけなく亡くなりました。
まだ信じられません。
母と二人で家に帰ってきました。もう動かなくなった母が横たわっています。まだ、ほんとのこととは思えません。
朝になったら、遠方にいる息子も娘も帰って来ます。
まだ信じられません。
母と二人で家に帰ってきました。もう動かなくなった母が横たわっています。まだ、ほんとのこととは思えません。
朝になったら、遠方にいる息子も娘も帰って来ます。
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