「普通」ということ ― 2024/10/24 20:13
ずっと、「普通」になりたいと思ってきた。
それは、親がそう望んでいたからだ。
娘の私が、学校で優秀であるという評価を受けると、父親は怖かったのかもしれない。
普通のつつがない人生を送らせたいのに、「特に優秀だ」などと言われると、私は喜んだが、父はいやがった。
私の親は、とても不安の強い人たちだった気がする。
自分の見知った世界でないと、安心できない。
だから、私をあれほど制限したのだろうと思う。
自分の見知った世界など狭くてたかが知れている、と考えることができるのは、違う世界があると、それももっと良き世界があると、知っているからこそだ。
そうでない人は、視野の狭い考え方しかできない。
残念ながら、私の親たちは、そういう人たちだった。
狭い世界の価値観しか知らず、そこで精いっぱい生きていた。
だから、自分の見知らぬ世界へ私が行きそうで、
そしてそれは、世間から後ろ指をさされる「堕落」を意味するから、
必死で制止したのだろう。
成績がとびぬけて良い、などと教師に言われることは、父の目には、
「嫁にいけなくなる」という不吉な予兆でしかない。
私はその親の価値観の世界で成長するしかなく、
「普通」でいたいと切望していた。
学校で評価されることは大事ではなく、親が恐れる「落伍」を、私も恐れたのだ。
「普通」を目指していた。
が、今は思う。
私は父が理想とする「普通の娘」ではなかった。
いや、父が理想とする娘など、ほんとうはこの世にいないのだ。
「理想の普通」などないのだ。
何事もほどほどにわきまえて、母親の手伝いを自ら健気にやって、
親の言うことにはいつも「はい」「はい」と従順で、
親を敬い、物静かで、しかもいつも明るく素直な娘。
それが父の言う「普通の娘」。
すべてが満たされなくて、父は私に文句を言い続けた。
「出来損ない」だと私を罵った。
父の目からは、私は「普通」ではなかった。
今、思えば、天真爛漫な子どもらしい子どもだっただけだ。
父が想定するよりはるかに学校の成績はよかった。
美人の誉れ高い母よりも学級の中での目立ち度が高かった。
が、現実が苦しくて、いつも空想の世界に生きるより仕方がなかった。
私は、親の手に負えない子どもだったのだ。
狭い世界観しか持てない、硬直した価値観の親たちには、
私は理解できなかったのだ。
そして、抑圧し続けた。
だから、私は、うつうつとした子ども時代を送った。
明るくなく、やがて死ぬことばかり考えるようになった。
それもまた、父母から見ると、
「普通」からの逸脱で、許せなかったらしい。
原因が何か、などとは考えない。
今のような「子どもの人権」とか「児童虐待」の概念がない時代だ。
だから、また、私が暗い、元気がない、ということで責め続けた。
災難以外の何物でもない子ども時代だ。
いまになると、「普通」というばかばかしい圧力を相対化できるが、
なにしろ、子どもだったから。
それは、親がそう望んでいたからだ。
娘の私が、学校で優秀であるという評価を受けると、父親は怖かったのかもしれない。
普通のつつがない人生を送らせたいのに、「特に優秀だ」などと言われると、私は喜んだが、父はいやがった。
私の親は、とても不安の強い人たちだった気がする。
自分の見知った世界でないと、安心できない。
だから、私をあれほど制限したのだろうと思う。
自分の見知った世界など狭くてたかが知れている、と考えることができるのは、違う世界があると、それももっと良き世界があると、知っているからこそだ。
そうでない人は、視野の狭い考え方しかできない。
残念ながら、私の親たちは、そういう人たちだった。
狭い世界の価値観しか知らず、そこで精いっぱい生きていた。
だから、自分の見知らぬ世界へ私が行きそうで、
そしてそれは、世間から後ろ指をさされる「堕落」を意味するから、
必死で制止したのだろう。
成績がとびぬけて良い、などと教師に言われることは、父の目には、
「嫁にいけなくなる」という不吉な予兆でしかない。
私はその親の価値観の世界で成長するしかなく、
「普通」でいたいと切望していた。
学校で評価されることは大事ではなく、親が恐れる「落伍」を、私も恐れたのだ。
「普通」を目指していた。
が、今は思う。
私は父が理想とする「普通の娘」ではなかった。
いや、父が理想とする娘など、ほんとうはこの世にいないのだ。
「理想の普通」などないのだ。
何事もほどほどにわきまえて、母親の手伝いを自ら健気にやって、
親の言うことにはいつも「はい」「はい」と従順で、
親を敬い、物静かで、しかもいつも明るく素直な娘。
それが父の言う「普通の娘」。
すべてが満たされなくて、父は私に文句を言い続けた。
「出来損ない」だと私を罵った。
父の目からは、私は「普通」ではなかった。
今、思えば、天真爛漫な子どもらしい子どもだっただけだ。
父が想定するよりはるかに学校の成績はよかった。
美人の誉れ高い母よりも学級の中での目立ち度が高かった。
が、現実が苦しくて、いつも空想の世界に生きるより仕方がなかった。
私は、親の手に負えない子どもだったのだ。
狭い世界観しか持てない、硬直した価値観の親たちには、
私は理解できなかったのだ。
そして、抑圧し続けた。
だから、私は、うつうつとした子ども時代を送った。
明るくなく、やがて死ぬことばかり考えるようになった。
それもまた、父母から見ると、
「普通」からの逸脱で、許せなかったらしい。
原因が何か、などとは考えない。
今のような「子どもの人権」とか「児童虐待」の概念がない時代だ。
だから、また、私が暗い、元気がない、ということで責め続けた。
災難以外の何物でもない子ども時代だ。
いまになると、「普通」というばかばかしい圧力を相対化できるが、
なにしろ、子どもだったから。
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