最近、よく映画館に行ってる気がする2018/10/01 21:38

また、週末に映画を観てきた。
ネット配信でいろいろな映画を観られるので、しばらく映画館に足を運ばなかったのだが、
行き出すと、予告編やチラシなどを見て、また行きたくなる。

今回は、
『沖縄スパイ戦史』
前から気になっていたが、もう終わってしまうだろうと思っていたら、
ナナゲイでアンコール上映をしていた。
ズバリ、これは観るべき映画!

http://www.spy-senshi.com/

監督は二人の若い女性ジャーナリストだ。
なんという視点、なんという力量、なんというエネルギー、
そして、なんという正しさ・・・
2時間近くある映画だけど、息もつかせぬ展開だ。
感動と驚きの連続で、最後は、泣かせる。
一緒に行った友人もハンカチで目をぬぐっている。
そして、観終わった後、
「わたし、この二人の女性を応援する」と、決然と。

実は前日、この友人が、
「明日、なんか予定ある?」と聞いてきた。
「沖縄スパイ戦史を観に行こうと思っている」と答えたら、
「私も行く!」
だったのだ。
こういうノリで行って、良かったと感激してくれると、私もうれしい。

何度も言うが、
これは、観るべき映画だ。
観る価値がある。

悪い癖2018/10/02 16:08

私にも悪い癖はあるのだろうけど、
他人の癖はとても気になる。

硬派な映画を午前中に観て、
午後は、私は前からチケットを買っていたのでコンサートに。

友人は、ちょうど、読みたい物があるので、
その間喫茶店で読んで待っとく、とのこと。
じゃあ、合流して夕食を食べよう、と一旦別れた。

コンサートは、もう、、、すごい素敵だった。
ヴァイオリン協奏曲4曲。
ソリスト大谷康子さんが、全曲弾く。
だいたい、こういうコンサートでは、ソリストは一曲だけ演奏して帰ってしまうのに、
最後のアンコール曲まで、すごいサービス。
トークも入る。
いつもの定例演奏会なのに、ものすごく得した感じだ。
大谷康子さんは、年齢は伏せているが、
デビュー43年というから、もうベテランだ。
でもスリムで美しい。
しかもこういう女性は、だいたいどの業界の人でも、
ベテランの貫録みたいなものが備わって来て、なんとも魅力的だ。
しかも、この人は、エンターテイナーとしての心掛けがすごくて、
観客に大サービス。
テレビではよく見かける人だが、生はさらにすごくて、
舞台のすばらしさに酔いしれた。
幸せいっぱいの気分。

で、幸せなひとときが終わって、
終了時間も思ったよりのびて、友人に連絡を取って合流。

友人は違う時間を過ごしている。
ふだん、別種の仕事をしているので、論文などを読む時間がない。
で、久しぶりに読んだ論文に興奮していて、
会うなり、演説。
長広舌。
だんだん辟易してきて、
「それ、私に教えようとしてる?」と、ノッてる友人に聞く。
そのあたり、私の守備範囲だから、そんな演説されても、、、と、
ナイーブすぎる展開にもイライラ。
論理がおかしいよ、、、。
「ちゃんと○○さんの論文読んだ?」
「あ、今私が言ってるのとは、ちょっと違うテーマなんだけど、触発されて、いろいろ考えた」とのこと。

まぁ、学生のチャチな文章を読まされることには慣れているけど、
友人は、かつてしっかりした博論も書いている。
どうしたんや・・・

気を悪くしないように、どう反応しようかと暫く考える。
「それはだいぶん論理に飛躍があるね。
もっと多層構造になっていると思うよ」とおそるおそる言ったら、
「多層構造」でいきなり納得してくれた。
ここが学生と違うところ。
そうか、、、自分を取り戻してくれたか、、、とホッとする。

熱くなるんだろうな。
ほんとうはもっと耽溺したい世界なのに、ふだんは、そうではない仕事に追われる。
だからどんどん、学問の世界から置いていかれる。

私たちは食うために、時間をささげている。
やっと、自分の時間を取り戻したころには、若い頃の探求心や勉強を積み重ねる活力が衰えている。
私はマイペースなたちなので、論文なんてこりごり、と思うのだけど、
(そう言えば、友人もそう言っていた^^)
でも、自分の心惹かれる分野に身を置いていられたら、もっと納得できる人生だったのにと、友人は思っているようだ。

でも、その演説はかなんなぁ、、、。
友人は一つの問題をめぐって思考を持続させるタイプではない。
軸が定まらないと言うか、クライテリアがぐらつくと言うか、、、。
勉強好きなのに、惜しい。
実務に追われる仕事に、時々焦りが生まれるのだろう。
だが、今のその演説内容は、浅薄に過ぎるよ。

人生の終盤、私も私なりの最終ステージに希望はある。
ひっかかっているいくつかを文章にまとめておきたいと思う。
隠蔽されてきた事象の核心を書いておきたいと思っている。

友人はそうしたフォーカスするテーマがないので、考え詰める、ということができないのかなぁ。
定年退職したら、もう一つ、論文を書きなさいと勧めてみようかな。
語弊ありまくり、偏見ありまくりの表現をすると、
思考が一つのテーマに収斂しないのなら、
課題を設定して、他人の論考を咀嚼しながら、
論文を書くのがよいのだろうと思う。
友人はそういうのが合っている気がする。

人差し指と薬指2018/10/03 16:41

与太話のノリで。

調べものをしていたら、こんな記述があった。
いや、以前からこういう説があるのは知っていたけど、
血液型性格診断みたいな書き方をしている記事が多いので、
無視してきた。
でも、今日はなんだか、ちょっと注目してしまったので、
まぁ、メモっとこうかな、と。

胎児期に、体が男性型と女性型に分化していくプロセスは、
知られていることだけど、
重要な役割を果たすのはアンドロゲンつまり男性ホルモン。
それは、脳の性の分化にも作用している、というのが定説。

授業じゃないので、ざっくり書いちゃう^^

で、この胎児期に、多量のアンドロゲンにさらされると、
男性型に分化していくのだけど、
それは、人差し指よりも薬指の方が長い、ということでもわかる、というのだ。
胎児期のホルモン環境が、指の長さでわかる、という話は、
眉唾な話だと思っていたけど、
考えてみれば、
胎児期のパーツが形成される時期に、ホルモンが影響するというのは不思議ではない。

あくまでも傾向の話だけど、
アンドロゲンの量が多かった場合は、
身体だけでなく、脳の性も男性型に寄っていくと言われている。
身体の性分化の時期と脳の性分化の時期はずれているから、
からだは男性だけど、自分のことを女性と思う、とか、
その逆、とか、
女性だけどなんか男っぽい人、とか、
その逆とか、そういう人は当然、生まれてくるわけだ。

もちろん、性的指向(同性愛とか異性愛とか)や性格などは、
生物学的要因と環境的要因との両方が影響するから、
一概には言えない。

が、指の長さは、身体的特徴だもんね。

まぁ、納得しちゃうのだ。
私の両手の薬指は、人差し指よりもはるかに長いから。
「やっぱりね」という感じ。
すごく雑な解釈をすると、
脳の性分化の時期に、アンドロゲンをかなり多めに浴びたのかしら? 
ということ。

身体の性分化の時期にはアンドロゲンは全く作用しなかったので、
身体はまず完全に女性型なのだけど、
脳の方は、だいぶん怪しいのだ。
が、自分のことを「男性」と主張するわけではないから、
アンドロゲンは、いくぶん多めだった程度なのかな、とか。

他の人の指の長さを比べてみたことがないから、
いっぺん、酒の場での話題にでもしてみようか。

(誤解のないように書き添えておこう。
本当は、もうちょっと緻密な思考をしているのだけど、
世間話風に書いてみた^^)

公的な発言ということ2018/10/05 11:12

私は、今でもシチュエーションによっては「公」的なポジションにいることがある。

市民の方たちを含めた公的な会議では、
市民の方たちは、自分の私的な意見をのびのびと言う。
自分の経験と日常感覚を遺憾なく押し出す。
そういう声をきちんと採り入れるのが民主的な会議のはずなのだけど、
実は、その市民の方たちは市民全体を代表できているわけではない。
市民は、実に多様だ。
が、そういう場に出て発言する人は、市民代表ということになっている。
行政はめんどくさいから、長年、同じ人を会議のメンバーにして
「市民の声を聞いている」というトークンにしている。

市民の中には、自分が正しいと思うことは、何が何でも正しいから推進したいと思う人もいる。
長年、NPOなどで活躍していると、自信がすごくついてきて、
なんだか、もう、自分が正義、みたいになっている人たちもいる。
はっきり言って、困った人たちも多い。

市民は多様で、複雑で、一元的な価値観では測れない。
だから、会議を統括する立場としては、理念はぶれてはいけないが、様々な解釈をしながら、方途を探すことになる。

が、猪突猛進タイプの人が思い込みで走ると、
多角的な視点がなくなり、
異なる意見や保留されることに堪えられなくなるようだ。
自分の信じるところまっしぐらになって、それ以外を糾弾し始める。

それ、怖いよ。
全体主義になるよ。
ファシズムになるよ。

もちろん、私にも、個人的な好悪の感情はある。
お茶を飲みながらうだうだとしゃべっているときは、
「そういうの、嫌いだわ~」と言ったりもする。

が、公的な会議の場では、言わない。
責任があるからだ。
私が「嫌い」だと言えば、正式に否定してしまうことになる。
大した影響力がなくても、私の個人的な意見そのものが問題だ。
「個人の感想です」と言えない状況、言えない立場というものがある。

昔の村役人の会議なら、親分の意向が行政の方向性になることもあっただろうし、
井戸端会議では、一番口の立つ気の強いおかみさんが、民意を形成していたかもしれない。

が、今では、誰でもが公的な場で発言する機会があり、
民主主義を担う一員だ。
自分の立場の表明をすることはとても大事なことで、
聞かれる必要がある。
立場の違う他の発言を封じてしまわない、という前提で、意見表明は必要だ。
が、それをとりまとめていかないといけない立場になると、
特定の利益を代表してはならないのが鉄則だ。
もちろん、あくまでも理念を超えない前提付きだが、いろいろな意見に配慮し、その上で優先事項を絞り込めたら上出来。
(それがなかなか難しいのだけど、、、。)

しかし、今、
官僚も大臣も、昔の田舎役人みたいな失言を繰り返すし、
日本はまだまだ民主主義が発展途上なのだろうか?
いや、アメリカだって、トランプみたいな私人としてのふるまい方しか知らない、町の顔役みたいな人が大統領になっているのだから、
民主主義の行き詰まりなのかもしれない。
ほんとに、どう乗り越えればいいのか。

ずっと、戦後の民主主義について考えてきているけれど、
で、私のまわりの友人たちも、皆、そこを考えている人ばかりだけど、
何なのだろう?
どんどん少数派だけが、民主主義を考えるようになっているのか?

まぁ、確かに、若い世代の学生でも、
同じテーマに向き合っていても、
社会的な意識がゼロの学生が大半で、
一部の学生だけが、社会を担っている自覚がある、という感じがする。

○○な社会になってほしい、
という超他人事な意見がたくさんあって、
「なってほしい、じゃなくて、あなたたちが社会を作るんですよ」と、
毎年毎年叫んできたが、
昨年、今年あたりから、少し、自覚ができている学生が増えた気がする。
ひょっとしたら、18歳以上に選挙権が与えられるようになったのが正解だったのかも、とちょっとだけ、希望が、、、、。

う~ん、いいんだけどね・・・2018/10/05 20:20

行政からのメール。
前回の会議の報告文について、相談したいことがあるとのこと。
音声データを起こして、文書化した分で、
私も送られてきてすぐに目を通して、ま、いいかと済ませていた分だ。
何日の何時頃とか、何月何日と何日とかは席におりますので、、
急ぎませんので、お電話をくださいますよう、、、とのこと。

市民に公表する報告だから、丁寧にやりたいのはわかる。
が、用事があるのはそっちだろう?
なんで、電話をくれ、なのだ?
一度は電話をしてきたらしいが、私が出なかったので、
日程を提示したメール。
ん? それにしても、電話をくれ、ということは、
私が何かおかしなことをしたんだろうか?

で、仕方ないから、電話をした。
報告文について、H委員からの伝言だった。
それも、私の発言部分を指摘して、
「一度、M吉先生と議論をしたいので、携帯をお伝えして、
電話をいただければ、、、」とのこと。
で、どういうことかと言うと、私の発言内容がよくわからなかったので、
わかりたい、ということだそうだ。
まぁ、確かに報告文は、わかりにくい書き方だったので、
「私の物言いがうまくなかったんですね」と言うと、
「いえ、そういうことではなくて、H委員がわかっておきたいということらしいです」と行政職員。
それにしても、よくわからない。
難しい話ではない。
H委員の発言内容と異なることを言っているわけではない。

で、また、ひっかかる。
用事があるのはH委員の方だろう。
なぜ、私から電話をするのだ?
行政職員は若いから、今どきの人は常識がないなぁ、となるのだけど、
H委員は私より年上。

普通、用事のある方が電話をしてこないか?
Hさんも、もともと公務員なので、そういう点で常識がないのかなぁ。
民間の仕事人は、こういう非常識なことを言っては来ないぞ。
「また、こちらからかけさせていただきますので、ご都合の良いのはいつごろでしょうか?」となるぞ。

どうも公務員は常識がなくて、へりくだっている割には腰は低くない。

あんまり面白くないから、今日はH委員には電話はしない。
気が向いたらする。
だいたい内容がわかってきたから、興味が薄れて、
失礼な申し越し内容だけが気になる。

それにしても、私がおかしいのかなぁ、、、。
用事がある方から、電話をするべきだ、と思うのは、おかしいのかなぁ、、、。