一人の時が増えて、、、 ― 2022/12/06 10:19
いろいろ思うようになった。
いや、いろいろ思うのは、昔から変わらないのだけど、
違った見方をするようになったかもしれない。
ほとんど仕事がなくなったが、
まだ、関わりのある行政や団体がある。
入れ替わり時期で、ある行政の委員会は、
市民代表の人が入れ替わった。
良い意見を言ってくれる人で、続けてほしかったが、
行政の職員に聞くと、
「あの方は、活動の場をお持ちなので、これからもそこでがんばっていてだきたい」との返答だった。
その時は納得した。
が、ふと気づいた。
その入れ替わりの市民委員さんたちは、
最後のあいさつで、私が座長をしているその委員会の、「ものの言いやすさ」をとても評価してくれた。
意見を言いやすい場を作ってもらって、よかった、と、名指しで感謝してくれた。
それはそれは、有難いことだ。
で、ふと気づいた。
行政が本当に入れ替えたいのは、私なのだろうな、と。
私は行政に厳しい。
いや、あたりがソフトだから、初めはわからないらしいのだが、
相手が次の人事異動まで、「テキトーに」やっていこうと思っている行政パーソンなら、
ものすごい苦手なタイプの座長であるかも。
私も一般委員だった時代がある。
座長は、専門ではなく、他の分野を専門とする大学教授、ということが多い。
が、私がものを言わなかったら、情報提供がない。
だから、一般委員として、結構、発言してきた。
で、私が座長になったら、他分野の先生たちみたいに威厳はあるけど、実態は知らない、というわけにはいかない。
結構、具体的詳細を求められる文書もあるから、そこは、ごまかしは効かない。
行政を責めようなどとは、毫も思わない。
が、行政パーソンの曖昧な理解、適当にやりたい態度から導き出される結果の文書内容などに、
「え? これ何?」と思うのだ。
で、質問をかけると、生半可な理解や、適当にやり過ごしたい気持ちが露呈するのだ。
こんなものを市民に公開するわけにはいかない。
だから、懸命に異議を唱え、説明を加える展開になる。
意識の高い市民は、やる気のない行政パーソンより、よほど、ものを考えているし、知識もあるし、視点もシャープだ。
そこをわかっていない、行政パーソンは結構多い。
知識がない、理解が届いていない、意欲が足りないから、市民の指摘すら、意味がわからないのだ。
そういう人が適当に仕事をすると、とてもお粗末な結果になる。
で、結局、市民の前に恥をさらす前に、
私が指摘することになるのだが、
やる気の薄い公務員には、
「あ~、うるさ!」となるかもしれない。
彼らは、その分野に身も心も捧げて来た私の思いなどとは全く違うから、
わからないままに、「うるさい」とだけなるのかもしれない。
ゆるい感じで、にこにこしているから、懐柔しやすい(とよく思われてしまうようだ)から、座長になってもらったのに、
めんどくさい奴だった、になっているのかも。
私は忖度はしない。
が、行政の大変さには、理解を示しているつもりだ。
それでも、譲れないものは譲れない。
多分、私と同じ考え方の人もたくさんいるのだろうけれど、
もっと、うまくやっているのか、
あるいは、そんな位置には行かないのだろう。
あ~あ、疎んじられているかもしれないなぁ、と改めて溜息。
まあ、すべての人に受けが良い、ということは不可能だし、
私は私であり続けるしかないのだけれど、、、。
いや、いろいろ思うのは、昔から変わらないのだけど、
違った見方をするようになったかもしれない。
ほとんど仕事がなくなったが、
まだ、関わりのある行政や団体がある。
入れ替わり時期で、ある行政の委員会は、
市民代表の人が入れ替わった。
良い意見を言ってくれる人で、続けてほしかったが、
行政の職員に聞くと、
「あの方は、活動の場をお持ちなので、これからもそこでがんばっていてだきたい」との返答だった。
その時は納得した。
が、ふと気づいた。
その入れ替わりの市民委員さんたちは、
最後のあいさつで、私が座長をしているその委員会の、「ものの言いやすさ」をとても評価してくれた。
意見を言いやすい場を作ってもらって、よかった、と、名指しで感謝してくれた。
それはそれは、有難いことだ。
で、ふと気づいた。
行政が本当に入れ替えたいのは、私なのだろうな、と。
私は行政に厳しい。
いや、あたりがソフトだから、初めはわからないらしいのだが、
相手が次の人事異動まで、「テキトーに」やっていこうと思っている行政パーソンなら、
ものすごい苦手なタイプの座長であるかも。
私も一般委員だった時代がある。
座長は、専門ではなく、他の分野を専門とする大学教授、ということが多い。
が、私がものを言わなかったら、情報提供がない。
だから、一般委員として、結構、発言してきた。
で、私が座長になったら、他分野の先生たちみたいに威厳はあるけど、実態は知らない、というわけにはいかない。
結構、具体的詳細を求められる文書もあるから、そこは、ごまかしは効かない。
行政を責めようなどとは、毫も思わない。
が、行政パーソンの曖昧な理解、適当にやりたい態度から導き出される結果の文書内容などに、
「え? これ何?」と思うのだ。
で、質問をかけると、生半可な理解や、適当にやり過ごしたい気持ちが露呈するのだ。
こんなものを市民に公開するわけにはいかない。
だから、懸命に異議を唱え、説明を加える展開になる。
意識の高い市民は、やる気のない行政パーソンより、よほど、ものを考えているし、知識もあるし、視点もシャープだ。
そこをわかっていない、行政パーソンは結構多い。
知識がない、理解が届いていない、意欲が足りないから、市民の指摘すら、意味がわからないのだ。
そういう人が適当に仕事をすると、とてもお粗末な結果になる。
で、結局、市民の前に恥をさらす前に、
私が指摘することになるのだが、
やる気の薄い公務員には、
「あ~、うるさ!」となるかもしれない。
彼らは、その分野に身も心も捧げて来た私の思いなどとは全く違うから、
わからないままに、「うるさい」とだけなるのかもしれない。
ゆるい感じで、にこにこしているから、懐柔しやすい(とよく思われてしまうようだ)から、座長になってもらったのに、
めんどくさい奴だった、になっているのかも。
私は忖度はしない。
が、行政の大変さには、理解を示しているつもりだ。
それでも、譲れないものは譲れない。
多分、私と同じ考え方の人もたくさんいるのだろうけれど、
もっと、うまくやっているのか、
あるいは、そんな位置には行かないのだろう。
あ~あ、疎んじられているかもしれないなぁ、と改めて溜息。
まあ、すべての人に受けが良い、ということは不可能だし、
私は私であり続けるしかないのだけれど、、、。
私は死んだことになっていたらしい ― 2022/12/30 23:37
友人が、東京から来た知り合いと会ったのだそうだ。
その知り合いは、私も知り合いである。
で、友人が笑いながら伝えたところによると、
話の流れで私の名前が出たとき、
「え? M吉さんって、まだ生きてるの?」と聞いたそうだ。
これはなかなかショックな話である。
その知り合いは、それほど、年齢的に離れていない。
なにゆえに、その人の中で、死んだことになっていたのか?
まあ、大病したし、
ちょいちょい、体調崩していたし、
中には、そういう噂が出ていてもおかしくないのかもしれない。
特に東京方面では、もう、交流もないし、、、。
シニア川柳に、
「年賀状 出さずにいたら 死亡説」という傑作がある。
しかし、気分の良くない話ではある。
それを笑いながら伝えた友人の神経がわからない。
(友人ではないのかも、、、。)
たぶん、私なら、伝えない部分だ。
まあ、友人(?)は、普段の元気な私を見ているから、
冗談としか思えず、軽い伝え方をしたのかもしれないが、
病弱で、
始終、不具合におののいている本人からすると、
「縁起でもない、、、やめてくれ」ということになる。
まあ、私の健康への不安は、人知れず、ということなのかな。
その知り合いは、私も知り合いである。
で、友人が笑いながら伝えたところによると、
話の流れで私の名前が出たとき、
「え? M吉さんって、まだ生きてるの?」と聞いたそうだ。
これはなかなかショックな話である。
その知り合いは、それほど、年齢的に離れていない。
なにゆえに、その人の中で、死んだことになっていたのか?
まあ、大病したし、
ちょいちょい、体調崩していたし、
中には、そういう噂が出ていてもおかしくないのかもしれない。
特に東京方面では、もう、交流もないし、、、。
シニア川柳に、
「年賀状 出さずにいたら 死亡説」という傑作がある。
しかし、気分の良くない話ではある。
それを笑いながら伝えた友人の神経がわからない。
(友人ではないのかも、、、。)
たぶん、私なら、伝えない部分だ。
まあ、友人(?)は、普段の元気な私を見ているから、
冗談としか思えず、軽い伝え方をしたのかもしれないが、
病弱で、
始終、不具合におののいている本人からすると、
「縁起でもない、、、やめてくれ」ということになる。
まあ、私の健康への不安は、人知れず、ということなのかな。
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