愚痴っぽい、書き込みが続く2024/03/28 08:56

組織や団体の仕事をしてきて、思うのだけど、
「仕事」というものは、逃げない人、ちゃんと取り組む人に、負担が偏る。

これは、誰が悪いとか、誰がずるい、とかそういうことではなく、
ほっとくと、そういう力学が働くようだ。

その仕事に真剣に取り組むと、
その人が一番詳しく、情報を持つようになり、
その人でないと、こなせない、というような事態が生じる。
他のメンバーが他用で忙しくなると、
ますますその、主要メンバーに「お任せ」という状態になる。

仕事量が多く、多様になると、
誰もが、結構、過重負担になる。

これまでの上意下達の組織は、個人の状況におかまいなく、
上からの指示で動いていた。
が、民主的な組織というものは、
誰もが自主的な仕事への取り組みを期待される。
そうなると、個人差が生じるのはやむを得ない。

そして、真剣に取り組み、漏れがないか気配りをする人は、
自然に、全体をかかえることになる。

実は、私はそれに疲れたのだ。
他のメンバーは、私が何気なくこなしているように見えたのだろうか。
誰からも慰労されることもなく、
文句すら言われる事態になって、「もう、無理」と思った。
だから、辞めることにした。

もっと早くに、
その役割を「休む」という選択肢もあったかもしれない。
そうすれば、他の人がその役割を担って、
その大変さがわかったかも、、、。
ま、そういう時に限って、楽に進む、ということもあるからなぁ、、、。

まあ、逃げるしか生き延びる道はなかった。

逃げることに決めて、あんまり関わらなかったら、
私の役割を一番わかっていた人が、
「漏れはないでしょうか」と、メールを送ってきたりする。
まあ、今年度中は、関わらざるを得ないかな、、、。

そこが違うのだが、大きな違い2024/03/26 09:47

自民党の二階氏が、
記者団に向かって吠えている場面をたまたま見た。
前後関係はわからない。
ただ、相手に向かって、
「お前もその年が来るんだよ」と言い、
「バカヤロー」と言い添えた。

文脈はわからないが、引退を表明したときの、
記者からの質問があったのだろうと想像される。
「バカヤロー」と言ったあとの唇を不機嫌に結んだ顔が映っていた。

その瞬間の私の感想。

バカヤローと言いたい気持ちは、私にもある。
年齢を重ねてしまった者の気持ちがわからないまま、
無思慮な発言をする相手に対して、そういう心性になる。

が、そういう言い方はしない。
「お若い方は、まだそういう気持ちにはなられないでしょうけれど、、、」
と気を遣いながらしゃべる。

そこが、このおっさんと私の違いなのだろう。
そこが、長年、上から人を見おろしながら頂上まで上り詰め、
嵩上げされ続けて生きて来た人間が、
老いの凋落に直面したときに、
見下ろし続けてきた相手が不遜な発言をすると、
こういう出方をするのだなと思った。

上から目線にむかつきながら我慢をし、
年を取って凋落すると、
もはや諦めきって、
踏み潰されないように用心している側の人間とは、
決定的に違う表現の仕方だ。

世の中を呪って、
多くの無辜の人々を巻き添えにして、
殺人と自死を同時にやってしまったバカおっさんと
実は、その怒りや悲しみは紙一重の心性なのだ。

だから、わかるのよ。
この憎むべきおっさんらの気持ちが。
他の女性たちは違うのだろうか。

聞いてみたいが、こんな話題はこわがられるからな~。

いろいろ溜息とともに思う、、、2024/03/22 17:38

イベントを開催するとき、
ハイブリッドでおこなうには、機材も不十分だし、
自分一人で担うには厳しい状況だった。
しかし、他のメンバーは、著しく、私の役割には関心がなく、
誰一人として、私の役割を労ってくれる人はいなかった。
1人で機材を運び、
1人で接続し、1人でハイブリッド・イベントが終了するまで責任を持つ。

おまけに、文句まで言われる。

神経が細ること、細ること、、、。

ようやくその荷物をおろすことができそうだ。
代わりにやってくれる人がいる。
でも、その人に、1人で託してしまうのは、
その苦労を知っているだけに、私にはできない。
結局、一緒に準備しましょう、と言ってしまった。

つくづく思うのだが、
私だって、ずっと、もう一人の「私」にいてほしかった。
が、全部、1人でやって来た。
代わってやってくれるその人には「私」がいるからいいなぁ、
という感じ。
でも、その人は自分でできると思っている。
まだ、何が必要か見えていないようだ。

でも、苦労がわかっているから、
結局、私は手を出すだろう。

まだまだ、その人がわかっていないことがあるようだが、
全部、私が手助けするだろう。
そのための準備もひそかにしておく予定だ。
いざとなって、その人が困ることがあったら、
すかさず、その人のサポートができるように。

こうして、縁の下の力持ちをどれだけやって来たか。
自分の手柄だと思っているだろうが、私がどれだけ、裏で支えたか。

まあ、自分もそうだったのかもしれない、とは思う。

他の人の苦労の上で、うまくいったこともあるのかもしれない。

気づかないうちに、ね。

知らないと言っているのだから、知らないのだろう。2024/03/15 10:41

自民党派閥の裏金問題。

テレビを観ていると、政治倫理審査会で、その問題を知っているだろうと目される議員が、「知らない」と言い続けている様子を見ていて、
私などは、ほんとうに知らないのだろうと思ってしまう。

「知らない」という背景には、記憶にないので「知らない」場合も、
その当時、明確な認識がなく、「知らない」ことになってしまった、という場合もあるのだろう。
本人が嘘をついている、というのではなく、
その人の責任は、真相を調べることができる立場なのだから、精一杯調査をして、わかるところは全部報告する誠実さが要るのだろう。
それでも、その調査の途上で、どれくらい邪魔が入り、どういう力関係が働くのか、それわからないけれども。

なぜ、こんなことを思うのかと言うと、
私が経験した小規模の事件であっても、同じことが起こったように思うからだ。
私が「真相を知っている」と思い込まれた事件で、裁判で「知らない」と言ったことで、大変な糾弾を受けた経験があるからだ。
「知らないはずがない」といくら言われても、
知らないものは知らない。
覚えていないことは、覚えていないのだ。

組織というものは、明示される責任者とは異なる人物たちが、
ずるずると方向づけてしまう場合がある。
責任者があずかり知らない動きが、水面下で起こることがある。
私は明らかに、そういう立場に置かれた。
いつの間にか何かが決まり、
私が事態を明確にしようとすると、つかみどころのない逃げ方をする中間管理職が複数いた。
私は陥れられたのだが、陥れた者たちは、その自覚すらないだろう。

私はこういう奇妙な動きをするのが組織というものだと、
ようやく、今にして思う。
自民党のような魑魅魍魎がうようよいるような組織だから、
ますますそうなのだろうと思う。

そういう組織で、潔白な身を証明しようとすれば、
常に、意識的に、物事を明確にしておく必要がある。

今、身を引こうと思っている団体があるが、
その団体も、奇妙な動きや発言がある。
人々は、無意識に、非明示的なやり方で、他人を操作しようとするものなのか。
私は、これが苦手だ。
いつの間にか操作されてしまった苦い経験が、過去には多々あったが、もう、賢くやりたいと思っている。
だから、辞意を表明した後も、常に線引きを行うようにしている。
「〇〇まではやります。それ以上はやりません」と。
そうでないと、辞意を表明しながら、ずるずると次年度の計画に入っている人たちにどのように利用されるかわからない。

利用されたくない。
だから、明確に線を引く。
それしかない。
そして、責任者になれば、常に、成員の責任を明確にする、それが責任者なのだろう。
尤も、それらを明確にしようとすれば、わけのわからないやり方で鵺のように邪魔をしてくる者がいるので、
かれらの悪智恵(あるいは無意識の操作)にやられないように、こちらは良い知恵が要る。

わかったふり?2024/03/07 09:02

今までに思い違いが多すぎた。

先のブログにも書いたように、
みなさん、わかったふりをしているのではなく、
わかっているつもりなのだろう。
「私はよく知りませんので、説明をお願いします」と言う人はほとんどいない。
で、結果、実はどの人もわかっていなかった、ということが多過ぎる。

学生を相手にしているときは、基本、そういうことがなかったのだが、
市民や主婦歴の長い人たちに話をするときは、こけることがある。
相手は、結構、「何でもわかっている風情」だ。
だから、あんまり初歩的な話をしてもつまらないだろうと、
レベルを上げて話をすると、不評を買ったりする。
「そんなん、大学の授業でやるようなことだ、わからない」と文句も出る。

どのレベルで話をすればいいのか、わからない。
そもそも、皆さんは、自分にどの程度の知識があるか、というようなことをわかっておられない。
それはそうだろう、山に登るのに、頂上の高さや道のりがわかるから、自分がどのへんにいるのかがわかるわけで、
目指す場所が見えなかったら、自分はずいぶん頑張ったんだから、頂上に近いはず、と思えてしまうのかもしれない。

私も相手を読み間違う。
知っていることを聞かされたら退屈だろうと想像してしまうが、
たいていは、皆さんは、「知っていない」のだ。
でも、長年の人生経験で、堂々としていらっしゃる。
だから、こちらは相手を読み間違えてしまう。

いや、私の自尊感情の低さもあるのだろう。
どうせ、私が知っているようなことは、皆さん、知っているだろうし、、、
という大間違いの認識が、
たまにある。

だからと言っても、かつて、当事者で私以上に勉強している人がいて、
こちらの足りない部分を補われて、
私の面目がつぶれたこともあるしね、、、。
難しいねぇ、、、、
大人の人に話をするのは、
大学で授業をするのとは、また違う苦労がある。

講演だけではなく、ITもそうだ。
ある講師に、パソコンの使い方を説明していたら、
「自分でできる!!」とイラつかれた。
で、説明するのをやめたのだが、結局、わかっていなかった。
その人はできなかったのだ。
講演中、もたつく、もたつく。
そのたびに、私が出て行って、操作を手伝う。

今度は聴衆がイラつく。
ほんとうに、もう、さんざんだわ、、、
あ、最後は、愚痴か、、、。