愚痴っぽい、書き込みが続く ― 2024/03/28 08:56
組織や団体の仕事をしてきて、思うのだけど、
「仕事」というものは、逃げない人、ちゃんと取り組む人に、負担が偏る。
これは、誰が悪いとか、誰がずるい、とかそういうことではなく、
ほっとくと、そういう力学が働くようだ。
その仕事に真剣に取り組むと、
その人が一番詳しく、情報を持つようになり、
その人でないと、こなせない、というような事態が生じる。
他のメンバーが他用で忙しくなると、
ますますその、主要メンバーに「お任せ」という状態になる。
仕事量が多く、多様になると、
誰もが、結構、過重負担になる。
これまでの上意下達の組織は、個人の状況におかまいなく、
上からの指示で動いていた。
が、民主的な組織というものは、
誰もが自主的な仕事への取り組みを期待される。
そうなると、個人差が生じるのはやむを得ない。
そして、真剣に取り組み、漏れがないか気配りをする人は、
自然に、全体をかかえることになる。
実は、私はそれに疲れたのだ。
他のメンバーは、私が何気なくこなしているように見えたのだろうか。
誰からも慰労されることもなく、
文句すら言われる事態になって、「もう、無理」と思った。
だから、辞めることにした。
もっと早くに、
その役割を「休む」という選択肢もあったかもしれない。
そうすれば、他の人がその役割を担って、
その大変さがわかったかも、、、。
ま、そういう時に限って、楽に進む、ということもあるからなぁ、、、。
まあ、逃げるしか生き延びる道はなかった。
逃げることに決めて、あんまり関わらなかったら、
私の役割を一番わかっていた人が、
「漏れはないでしょうか」と、メールを送ってきたりする。
まあ、今年度中は、関わらざるを得ないかな、、、。
「仕事」というものは、逃げない人、ちゃんと取り組む人に、負担が偏る。
これは、誰が悪いとか、誰がずるい、とかそういうことではなく、
ほっとくと、そういう力学が働くようだ。
その仕事に真剣に取り組むと、
その人が一番詳しく、情報を持つようになり、
その人でないと、こなせない、というような事態が生じる。
他のメンバーが他用で忙しくなると、
ますますその、主要メンバーに「お任せ」という状態になる。
仕事量が多く、多様になると、
誰もが、結構、過重負担になる。
これまでの上意下達の組織は、個人の状況におかまいなく、
上からの指示で動いていた。
が、民主的な組織というものは、
誰もが自主的な仕事への取り組みを期待される。
そうなると、個人差が生じるのはやむを得ない。
そして、真剣に取り組み、漏れがないか気配りをする人は、
自然に、全体をかかえることになる。
実は、私はそれに疲れたのだ。
他のメンバーは、私が何気なくこなしているように見えたのだろうか。
誰からも慰労されることもなく、
文句すら言われる事態になって、「もう、無理」と思った。
だから、辞めることにした。
もっと早くに、
その役割を「休む」という選択肢もあったかもしれない。
そうすれば、他の人がその役割を担って、
その大変さがわかったかも、、、。
ま、そういう時に限って、楽に進む、ということもあるからなぁ、、、。
まあ、逃げるしか生き延びる道はなかった。
逃げることに決めて、あんまり関わらなかったら、
私の役割を一番わかっていた人が、
「漏れはないでしょうか」と、メールを送ってきたりする。
まあ、今年度中は、関わらざるを得ないかな、、、。
いろいろ溜息とともに思う、、、 ― 2024/03/22 17:38
イベントを開催するとき、
ハイブリッドでおこなうには、機材も不十分だし、
自分一人で担うには厳しい状況だった。
しかし、他のメンバーは、著しく、私の役割には関心がなく、
誰一人として、私の役割を労ってくれる人はいなかった。
1人で機材を運び、
1人で接続し、1人でハイブリッド・イベントが終了するまで責任を持つ。
おまけに、文句まで言われる。
神経が細ること、細ること、、、。
ようやくその荷物をおろすことができそうだ。
代わりにやってくれる人がいる。
でも、その人に、1人で託してしまうのは、
その苦労を知っているだけに、私にはできない。
結局、一緒に準備しましょう、と言ってしまった。
つくづく思うのだが、
私だって、ずっと、もう一人の「私」にいてほしかった。
が、全部、1人でやって来た。
代わってやってくれるその人には「私」がいるからいいなぁ、
という感じ。
でも、その人は自分でできると思っている。
まだ、何が必要か見えていないようだ。
でも、苦労がわかっているから、
結局、私は手を出すだろう。
まだまだ、その人がわかっていないことがあるようだが、
全部、私が手助けするだろう。
そのための準備もひそかにしておく予定だ。
いざとなって、その人が困ることがあったら、
すかさず、その人のサポートができるように。
こうして、縁の下の力持ちをどれだけやって来たか。
自分の手柄だと思っているだろうが、私がどれだけ、裏で支えたか。
まあ、自分もそうだったのかもしれない、とは思う。
他の人の苦労の上で、うまくいったこともあるのかもしれない。
気づかないうちに、ね。
ハイブリッドでおこなうには、機材も不十分だし、
自分一人で担うには厳しい状況だった。
しかし、他のメンバーは、著しく、私の役割には関心がなく、
誰一人として、私の役割を労ってくれる人はいなかった。
1人で機材を運び、
1人で接続し、1人でハイブリッド・イベントが終了するまで責任を持つ。
おまけに、文句まで言われる。
神経が細ること、細ること、、、。
ようやくその荷物をおろすことができそうだ。
代わりにやってくれる人がいる。
でも、その人に、1人で託してしまうのは、
その苦労を知っているだけに、私にはできない。
結局、一緒に準備しましょう、と言ってしまった。
つくづく思うのだが、
私だって、ずっと、もう一人の「私」にいてほしかった。
が、全部、1人でやって来た。
代わってやってくれるその人には「私」がいるからいいなぁ、
という感じ。
でも、その人は自分でできると思っている。
まだ、何が必要か見えていないようだ。
でも、苦労がわかっているから、
結局、私は手を出すだろう。
まだまだ、その人がわかっていないことがあるようだが、
全部、私が手助けするだろう。
そのための準備もひそかにしておく予定だ。
いざとなって、その人が困ることがあったら、
すかさず、その人のサポートができるように。
こうして、縁の下の力持ちをどれだけやって来たか。
自分の手柄だと思っているだろうが、私がどれだけ、裏で支えたか。
まあ、自分もそうだったのかもしれない、とは思う。
他の人の苦労の上で、うまくいったこともあるのかもしれない。
気づかないうちに、ね。
わかったふり? ― 2024/03/07 09:02
今までに思い違いが多すぎた。
先のブログにも書いたように、
みなさん、わかったふりをしているのではなく、
わかっているつもりなのだろう。
「私はよく知りませんので、説明をお願いします」と言う人はほとんどいない。
で、結果、実はどの人もわかっていなかった、ということが多過ぎる。
学生を相手にしているときは、基本、そういうことがなかったのだが、
市民や主婦歴の長い人たちに話をするときは、こけることがある。
相手は、結構、「何でもわかっている風情」だ。
だから、あんまり初歩的な話をしてもつまらないだろうと、
レベルを上げて話をすると、不評を買ったりする。
「そんなん、大学の授業でやるようなことだ、わからない」と文句も出る。
どのレベルで話をすればいいのか、わからない。
そもそも、皆さんは、自分にどの程度の知識があるか、というようなことをわかっておられない。
それはそうだろう、山に登るのに、頂上の高さや道のりがわかるから、自分がどのへんにいるのかがわかるわけで、
目指す場所が見えなかったら、自分はずいぶん頑張ったんだから、頂上に近いはず、と思えてしまうのかもしれない。
私も相手を読み間違う。
知っていることを聞かされたら退屈だろうと想像してしまうが、
たいていは、皆さんは、「知っていない」のだ。
でも、長年の人生経験で、堂々としていらっしゃる。
だから、こちらは相手を読み間違えてしまう。
いや、私の自尊感情の低さもあるのだろう。
どうせ、私が知っているようなことは、皆さん、知っているだろうし、、、
という大間違いの認識が、
たまにある。
だからと言っても、かつて、当事者で私以上に勉強している人がいて、
こちらの足りない部分を補われて、
私の面目がつぶれたこともあるしね、、、。
難しいねぇ、、、、
大人の人に話をするのは、
大学で授業をするのとは、また違う苦労がある。
講演だけではなく、ITもそうだ。
ある講師に、パソコンの使い方を説明していたら、
「自分でできる!!」とイラつかれた。
で、説明するのをやめたのだが、結局、わかっていなかった。
その人はできなかったのだ。
講演中、もたつく、もたつく。
そのたびに、私が出て行って、操作を手伝う。
今度は聴衆がイラつく。
ほんとうに、もう、さんざんだわ、、、
あ、最後は、愚痴か、、、。
先のブログにも書いたように、
みなさん、わかったふりをしているのではなく、
わかっているつもりなのだろう。
「私はよく知りませんので、説明をお願いします」と言う人はほとんどいない。
で、結果、実はどの人もわかっていなかった、ということが多過ぎる。
学生を相手にしているときは、基本、そういうことがなかったのだが、
市民や主婦歴の長い人たちに話をするときは、こけることがある。
相手は、結構、「何でもわかっている風情」だ。
だから、あんまり初歩的な話をしてもつまらないだろうと、
レベルを上げて話をすると、不評を買ったりする。
「そんなん、大学の授業でやるようなことだ、わからない」と文句も出る。
どのレベルで話をすればいいのか、わからない。
そもそも、皆さんは、自分にどの程度の知識があるか、というようなことをわかっておられない。
それはそうだろう、山に登るのに、頂上の高さや道のりがわかるから、自分がどのへんにいるのかがわかるわけで、
目指す場所が見えなかったら、自分はずいぶん頑張ったんだから、頂上に近いはず、と思えてしまうのかもしれない。
私も相手を読み間違う。
知っていることを聞かされたら退屈だろうと想像してしまうが、
たいていは、皆さんは、「知っていない」のだ。
でも、長年の人生経験で、堂々としていらっしゃる。
だから、こちらは相手を読み間違えてしまう。
いや、私の自尊感情の低さもあるのだろう。
どうせ、私が知っているようなことは、皆さん、知っているだろうし、、、
という大間違いの認識が、
たまにある。
だからと言っても、かつて、当事者で私以上に勉強している人がいて、
こちらの足りない部分を補われて、
私の面目がつぶれたこともあるしね、、、。
難しいねぇ、、、、
大人の人に話をするのは、
大学で授業をするのとは、また違う苦労がある。
講演だけではなく、ITもそうだ。
ある講師に、パソコンの使い方を説明していたら、
「自分でできる!!」とイラつかれた。
で、説明するのをやめたのだが、結局、わかっていなかった。
その人はできなかったのだ。
講演中、もたつく、もたつく。
そのたびに、私が出て行って、操作を手伝う。
今度は聴衆がイラつく。
ほんとうに、もう、さんざんだわ、、、
あ、最後は、愚痴か、、、。
私は甘かった、、、 ― 2024/03/06 14:18
ⅠTに弱い人は、アナログの世界では、結構、優秀な人が、私の周りには多い、ということを書いた。
そのことをわかってから、すっかり見る目が変わった。
が、私はまだ甘かった。
この人たちは、「わかったふり」をするのも、とてもうまいのだ。
いや、ふりではないのだろう。
本当に、その時はわかった気になるのだろう。
しかし、実際は、わかっていない、ということが最近、わかった。
懇切丁寧に説明したつもりで、
「なるほど」などと返事をされるから、わかってもらった、と思っていたが、
とんでもなかった。
正直に言う。
私はもう、お手上げ状態だ。
相手は、想像したよりはるかに、猛者だった。
ステンレスの板を見て、私が「つるつるしています」と言うと、
相手は、天然の岩石を持って、その平らな面を見ながら「はい、つるつるしています」と、答えているようなものか、、、。
あ~、わからん!
例えがおかしい・・・
みんな賢いのだから、私なんかができることは誰でもできると思っていたことは、全部、間違っていたし、
それどころか、そもそも見ている物が違っていた。
頭をかきむしりたいくらい、
私の懇切丁寧な説明も、わかるようになってもらおうと思う親切心も、
雲散霧消しそうだ。
ほんとうに、頭をかきむしっている・・・
そのことをわかってから、すっかり見る目が変わった。
が、私はまだ甘かった。
この人たちは、「わかったふり」をするのも、とてもうまいのだ。
いや、ふりではないのだろう。
本当に、その時はわかった気になるのだろう。
しかし、実際は、わかっていない、ということが最近、わかった。
懇切丁寧に説明したつもりで、
「なるほど」などと返事をされるから、わかってもらった、と思っていたが、
とんでもなかった。
正直に言う。
私はもう、お手上げ状態だ。
相手は、想像したよりはるかに、猛者だった。
ステンレスの板を見て、私が「つるつるしています」と言うと、
相手は、天然の岩石を持って、その平らな面を見ながら「はい、つるつるしています」と、答えているようなものか、、、。
あ~、わからん!
例えがおかしい・・・
みんな賢いのだから、私なんかができることは誰でもできると思っていたことは、全部、間違っていたし、
それどころか、そもそも見ている物が違っていた。
頭をかきむしりたいくらい、
私の懇切丁寧な説明も、わかるようになってもらおうと思う親切心も、
雲散霧消しそうだ。
ほんとうに、頭をかきむしっている・・・
出る杭は打たれる? ― 2023/12/28 18:42
これはよく言われることだ。
「出る杭は打たれる」
子どもの頃から、周りの大人の誰彼となく、言っていたことのように思う。
だから、昔からの人々の一つの感慨なのだろう。
出過ぎた真似をするな、と子どもに言い、
目立たない方がいい、と言ってきた大人たちは、
無事でいるためには、多くの人の中に紛れていればよい、という考えを人生観としていた。
まあ、その人生観を受け継ぐかどうかは別にして、
確かに、出ると打たれる、という実感はある。
目立とうと思ったことはないが、目立つ場所にいてしまうことはある。
すると、確実に矢が飛んでくる。
もちろん、味方でいてくれる人もたくさんいるから、それでいいのだけど、
高齢になっても同じだなぁと思う。
この分でいくと、高齢者施設に入っても、同じことが起こるのかな。
芸能人が叩かれると、よく「有名税」だなどと言われるのを見るが、
ローカルな場でのローカルな有名人も、やっぱり、有名税はついてくるようだ。
やれやれ、だね。
「出る杭は打たれる」
子どもの頃から、周りの大人の誰彼となく、言っていたことのように思う。
だから、昔からの人々の一つの感慨なのだろう。
出過ぎた真似をするな、と子どもに言い、
目立たない方がいい、と言ってきた大人たちは、
無事でいるためには、多くの人の中に紛れていればよい、という考えを人生観としていた。
まあ、その人生観を受け継ぐかどうかは別にして、
確かに、出ると打たれる、という実感はある。
目立とうと思ったことはないが、目立つ場所にいてしまうことはある。
すると、確実に矢が飛んでくる。
もちろん、味方でいてくれる人もたくさんいるから、それでいいのだけど、
高齢になっても同じだなぁと思う。
この分でいくと、高齢者施設に入っても、同じことが起こるのかな。
芸能人が叩かれると、よく「有名税」だなどと言われるのを見るが、
ローカルな場でのローカルな有名人も、やっぱり、有名税はついてくるようだ。
やれやれ、だね。
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