一人ぼっち2024/04/30 20:06

仕事もしなくなって、活動も減らしてきたのは、
ストレスからくる負担が強くなってきたから。

感性の違う他の人たちに合わせる活動は、
負担が大きくなってきた。
言いたいことを言って、怒りを我慢しない人々は、
まだ、ストレスが少ないのかも。
私は、自制してしまうから、余計、ストレスフルだったのかも。
自制しないでいる、というのは難しい。
人に慣れていないので、人の怒りや不機嫌の度合い、結果どうなるか帰結の先が見えない。

親が気まぐれだったので、余計、そうなのかもしれない。
子どもの頃、自分にいつどんな災難が降って来るかわからないから、いつも祈るような気持で暮らしていた。
災難を避けられる方法がわからなかった。
かと言って、明らかに理不尽な親からのいいがかりに屈服しないので、
母はいつも、「大人になりなさい」と叱るのだが、
大人は親の方で、私は子どもなので(小学生だった)、余計わけがわからなくて、理屈に合わない災難ばかりの日々だった。

だから、ひたすら無事を祈る日々だった。
当時は、原因が親だとはわからなかった。

自分以外の他者は、無理難題を言ってくる。
親は、その頃は、養ってもらわないといけないから縁を切れないが、
今は、いつでも縁を切れる他人なので、
ただただ、心を離している。
いちいち、気を入れないでつきあっている。
文字通り、私も大人になったし。

それでも、降りかかるストレスがあるので、なるべくかかわりを減らしている。

で、気がついたら、一人ぼっちだった、ということ。
休日は特に辛い。
マンションの管理会社も休みだし、清掃に来ないので、本当に人に遭わない。

「寂しさに、オレオレ詐欺と長電話」というのは、当たっている。
孤独な高齢者は、実はうすうす詐欺とわかっていても、
人恋しさで相手になる。
「騙されないで」という忠告は空しいだけだ。

この寂しさを、自分で何とかしないといけないのだけど、「一人」ではどうにもならない。
虐待者と一緒にいたくはないが、
孤独は辛い。

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