うろこ雲 ― 2022/11/13 14:30
介護される側の気持ち(長い思い出話) ― 2022/11/23 08:47
家族論の授業で、「児童虐待防止法」は毎年、結構具体的な実態まで扱ってきたけれど、どうしても手に余って、扱えなかったのが「高齢者虐待防止法」だった。軽視していたのではなく、実態をよく知らないので、そういう法律もある、ということを伝えるだけだった。
母の介護はしたけれども、介護保険のお世話になって助けてもらったし、母の気性からいって、母が女王様だったし、お互いに距離を置いてきたので、私が母より上に立つことはなかった。困らされたことはたくさんあるが、母に腹を立てるということも皆無だった。
困らされたことは、数限りなくあるし、娘や友人に愚痴を聞いてもらってきたけれども。
先日、関わっている労働関係の団体でオンラインミーティングを行っていたとき、今、お母さんを介護中のメンバーが、「母を虐待してしまいそうになるから、老健施設に行ってくれている間、精神的に救われる」と言っていた。そうすると、他のメンバーも共感して、「穏やかなあなたでもそうなるのねえ。安心したわ」と言っていた。
私は複雑な気分だった。介護という事象では、介護する側の苦労だけがクローズアップされる。私も、このブログに書いていた頃、母に苦労させられている自分の側の立場から綴っていた。まあ、当然と言えば当然だが、苦労をねぎらわれるとホッとしていた。
もちろん、母の辛さを考えないわけではなかった。特に、外面が良いはずだった母が、入院中、看護師さんを一人ずつ指さして糾弾し、わがまま放題で暴れたらしく、「拘束」すらされていて、言葉を失ったことがあった。病院から、「娘さんが来てくれたら落ち着くから」と言われて、とんで行ったことがあったが、そこで見たのは、久しぶりに見る、わがままで思い通りにならないと怒り出す、なつかしくさえある母の姿だった。母は、私を見ると落ち着き、平静を取り戻したようだったが、それでも、自分が眠っている間に、私が帰ってしまうのではないかと不安がって、眠気と闘っていた。
思うようにならないと怒り出すのは、私の知っている母ではあるが、いよいよどうにもならないとなると、意気消沈してしまって、あらゆる活力を失ってしまう。
そうして、最終、生きるのを止めた母がいたのだと思う。
母の心情を知ろうとし、母の意向を確かめ、極力母の望みをかなえようとしたが、それでも、本人の気持ちには遠く及ばない。
介護される者の辛さを誰が語れるだろう。
もう、表現する術を失ってしまった人は、つらくても悲しくても、ほとんど表現できない。
昔、ほんの短期間、高齢者介護の現場に、応援に入ったことがある。ベテランの看護師や介護士は、テキパキと作業をこなす。が、忙しいのもあって、なかなか介護される人とゆっくり言葉を交わす、ということはなかっただろう。
短期間の間に、私は二人の人の、誰も知らないらしい声を聞いた。一人は、倒れるまで看護師長をしていた、とてもしっかり者の方だったらしい。私は、その方のトイレ介助をしたとき、何をどうして良いかわからない私に、その方は口頭で指導をしてくださった。
言われたとおりにして、とりあえず何とか、介助をやり終えたことがある。
「教えていただいて、ありがとうございました」とお礼を言ったら、その方は、昔は自分がやっていたのに、今は、「悔しゅうて、悔しゅうて、、、」と泣かれた。
そのデイサービスを離れる前日、その方がおられて、短期間手伝っただけの私のことを覚えておられるのかなと思っていたら、
「あんた、よその子になるの?」とおっしゃった。その「よその子」という言い方がおかしくて、皆笑っていたが、ああ、全部わかっていらっしゃるんだ、と思った。それでも、体が不自由になった人を、看護師も介護士も、小さい子供のように扱っていた。
もう一人、完全にぼけているおばあさんという扱いの人がおられた。おむつをつけて、ほどんど寝たきりの人であった。
最初、その人の入浴介助をする看護師さんの手伝いの形で、浴室に入った。お風呂用の椅子に座らせて看護師さんがからだを洗っているときに、その人は下剤を処方されているので、派手に下痢便が出た。まあ、そこは、ばたばたとその場を洗浄したりして、終わったと思うのだが、ふろ上がりに新しいおむつをして浴衣を着替えさせながら、そのベテランの看護師さんが風呂場での失禁をからかったのだ。かなり大仰なからかい方で、違和感を覚えるほどだったのだが、他のヘルパーさんたちが周りを囲んでいたから、受けを狙ったのもあるかもしれない。そして、本当に、ヘルパーさんたちには受けて、あら~、やっちゃったの!とどっと笑った。その時、そのご本人がとてもいやそうに顔を歪めたのが見えた。あれ? わかってるんじゃないかな、言われていやなんじゃないかなと私は思った。が、素人の悲しさ、何も言えなかった。そのデイサービス内では、最も重度の、しゃべれない、何もわからないおばあさん、ということになっていた人だ。
ある日、その人の食事介助をした。スプーンでお粥状の食べ物を口に入れていると、ヘルパーさんは「どんどん入れて」と言われるが、口を長くもぐもぐされているので、
「まだ、お口に入ってますよね。それを食べてからにしましょうね」とご本人に言って、スプーンの手を停めた。すると、その方は、ちゃんとうなずかれた。あれ、通じてる? と私は思った。
何度も言うが、私はド素人なので、相手の認知の程度をはかることなどできない。ただ、相手が誰であっても、こちらから働きかけるときは、とりあえず、意向を確認するようにしている。単に私の癖なので、偉いわけではない。自分自身が、他人に私の意向を無視されると、他の人以上に気を悪くするからかもしれない。
そして、ある日、夜遅く、デイサービスでそのおばあさんと二人きりになった。本来なら、介助のできない私に任されることはないのだが、たまたまヘルパーさんが他の人の居室に行くので、「もうすぐ、ご家族がお迎えに来られるから、それまで見ててください」と言い置いて、出て行かれたのだ。しかし、まもなく来られるはずの家族から、「仕事で遅くなります」と電話が入った。まあ、待っていれば、そのうちに、ベテランのヘルパーさんが戻って来るだろうと思っていた。
が、思いの外、手間取っているのか、ヘルパーさんはなかなか帰って来なかった。確か、時間の目安があって、寝たきりのそのおばあさんを車いすに座らせる必要がある時間になったのだと思う。それで、自分一人でできるかなあと不安になりつつ、おばあさんが寝ている所に行くと、すさまじい便臭だ。
おむつを取り替えないといけない。あわてて、新しいおむつを取り出して替えようと、帯を解いたら、浴衣も便だらけになっていた。下痢便だから仕方がないのだが、見てしまえばほっとくわけにいかない。急いで、新しい浴衣も出してきて、ヘルパーさんたちがやっておられた手順を思い出しながら、着せ替えを始めた。お返事はないが、いろいろ声はかけ続けていた。しんと静まり返った深夜、黙々とやる方が無理だったと思うが。
「浴衣も替えましょうね~」「慣れないので、ヘタなんですけど、ごめんなさいね。今、私しかいないんですよ」などと言っていた。下手に着替えさせられるその人の方が災難だろうと思いつつだった。
その人は、黙ってなすがままにしてくださっていた。が、袖を腕からはずそうとしたら、その方は、はっきりと、
「痛いがな!」と言われた。びっくりして、「すみません! 痛かったですか? 慣れてなくてすみません」と平謝りしながら、もたもたやっていたが、時間がかかるばかりでうまくいかず、介護される方の負担にもなると思い、ヘルパーさんに電話をした。
ヘルパーさんはすぐに戻って来て、手際よく着替えをさせて、車いすに座らせた。その手際の良さに感心していたら、「コツがあるのよ」と言っていた。
ベテランの方たちにつくづく頭が下がる経験だった。ただ、介護される本人の気持ちに気づくには、忙しすぎるんだろうなと思った。
そのヘルパーさんはベテランで且つ話しやすい人なので、「〇〇さん、お話されますよね」と言ってみた。すると、「話をされますよ」との返事だった。看護師さんも他のヘルパーさんも、「話せない」「何もわかっていない」と言っていたけど、ひょっとしたら、相手によって、声を出されるのかもしれなかった。あまりにも、テキパキと作業をこなすリーダータイプの人には、話しにくかったのかもしれないと、今になると思う。
そのデイサービスを管理運営している経営体の位置づけでは、私は役職者で、指示命令系統からいくと、パートのヘルパーさんたちに指示を出す立場だったのだが、彼女たちの熟練には尊敬しかなかった。この彼女たちの技術と労働力の上に乗っかって、高齢者介護の社会的課題をやり過ごそうとする制度づくりに怒りを覚えて、今も、細々と応援しているのだが、、、。
今振り返って改めて思う。余裕がないところに、思いやりも想像力も働かない、という話である。私のように、その時、たまたま役職者が応援に入り、ヘルパーさんたちの指示に従いながらも顎でこき使われる立場ではなく、ちょっと余裕を持って見ることができる位置にいたからこそ、気づいたことだった。
母の介護はしたけれども、介護保険のお世話になって助けてもらったし、母の気性からいって、母が女王様だったし、お互いに距離を置いてきたので、私が母より上に立つことはなかった。困らされたことはたくさんあるが、母に腹を立てるということも皆無だった。
困らされたことは、数限りなくあるし、娘や友人に愚痴を聞いてもらってきたけれども。
先日、関わっている労働関係の団体でオンラインミーティングを行っていたとき、今、お母さんを介護中のメンバーが、「母を虐待してしまいそうになるから、老健施設に行ってくれている間、精神的に救われる」と言っていた。そうすると、他のメンバーも共感して、「穏やかなあなたでもそうなるのねえ。安心したわ」と言っていた。
私は複雑な気分だった。介護という事象では、介護する側の苦労だけがクローズアップされる。私も、このブログに書いていた頃、母に苦労させられている自分の側の立場から綴っていた。まあ、当然と言えば当然だが、苦労をねぎらわれるとホッとしていた。
もちろん、母の辛さを考えないわけではなかった。特に、外面が良いはずだった母が、入院中、看護師さんを一人ずつ指さして糾弾し、わがまま放題で暴れたらしく、「拘束」すらされていて、言葉を失ったことがあった。病院から、「娘さんが来てくれたら落ち着くから」と言われて、とんで行ったことがあったが、そこで見たのは、久しぶりに見る、わがままで思い通りにならないと怒り出す、なつかしくさえある母の姿だった。母は、私を見ると落ち着き、平静を取り戻したようだったが、それでも、自分が眠っている間に、私が帰ってしまうのではないかと不安がって、眠気と闘っていた。
思うようにならないと怒り出すのは、私の知っている母ではあるが、いよいよどうにもならないとなると、意気消沈してしまって、あらゆる活力を失ってしまう。
そうして、最終、生きるのを止めた母がいたのだと思う。
母の心情を知ろうとし、母の意向を確かめ、極力母の望みをかなえようとしたが、それでも、本人の気持ちには遠く及ばない。
介護される者の辛さを誰が語れるだろう。
もう、表現する術を失ってしまった人は、つらくても悲しくても、ほとんど表現できない。
昔、ほんの短期間、高齢者介護の現場に、応援に入ったことがある。ベテランの看護師や介護士は、テキパキと作業をこなす。が、忙しいのもあって、なかなか介護される人とゆっくり言葉を交わす、ということはなかっただろう。
短期間の間に、私は二人の人の、誰も知らないらしい声を聞いた。一人は、倒れるまで看護師長をしていた、とてもしっかり者の方だったらしい。私は、その方のトイレ介助をしたとき、何をどうして良いかわからない私に、その方は口頭で指導をしてくださった。
言われたとおりにして、とりあえず何とか、介助をやり終えたことがある。
「教えていただいて、ありがとうございました」とお礼を言ったら、その方は、昔は自分がやっていたのに、今は、「悔しゅうて、悔しゅうて、、、」と泣かれた。
そのデイサービスを離れる前日、その方がおられて、短期間手伝っただけの私のことを覚えておられるのかなと思っていたら、
「あんた、よその子になるの?」とおっしゃった。その「よその子」という言い方がおかしくて、皆笑っていたが、ああ、全部わかっていらっしゃるんだ、と思った。それでも、体が不自由になった人を、看護師も介護士も、小さい子供のように扱っていた。
もう一人、完全にぼけているおばあさんという扱いの人がおられた。おむつをつけて、ほどんど寝たきりの人であった。
最初、その人の入浴介助をする看護師さんの手伝いの形で、浴室に入った。お風呂用の椅子に座らせて看護師さんがからだを洗っているときに、その人は下剤を処方されているので、派手に下痢便が出た。まあ、そこは、ばたばたとその場を洗浄したりして、終わったと思うのだが、ふろ上がりに新しいおむつをして浴衣を着替えさせながら、そのベテランの看護師さんが風呂場での失禁をからかったのだ。かなり大仰なからかい方で、違和感を覚えるほどだったのだが、他のヘルパーさんたちが周りを囲んでいたから、受けを狙ったのもあるかもしれない。そして、本当に、ヘルパーさんたちには受けて、あら~、やっちゃったの!とどっと笑った。その時、そのご本人がとてもいやそうに顔を歪めたのが見えた。あれ? わかってるんじゃないかな、言われていやなんじゃないかなと私は思った。が、素人の悲しさ、何も言えなかった。そのデイサービス内では、最も重度の、しゃべれない、何もわからないおばあさん、ということになっていた人だ。
ある日、その人の食事介助をした。スプーンでお粥状の食べ物を口に入れていると、ヘルパーさんは「どんどん入れて」と言われるが、口を長くもぐもぐされているので、
「まだ、お口に入ってますよね。それを食べてからにしましょうね」とご本人に言って、スプーンの手を停めた。すると、その方は、ちゃんとうなずかれた。あれ、通じてる? と私は思った。
何度も言うが、私はド素人なので、相手の認知の程度をはかることなどできない。ただ、相手が誰であっても、こちらから働きかけるときは、とりあえず、意向を確認するようにしている。単に私の癖なので、偉いわけではない。自分自身が、他人に私の意向を無視されると、他の人以上に気を悪くするからかもしれない。
そして、ある日、夜遅く、デイサービスでそのおばあさんと二人きりになった。本来なら、介助のできない私に任されることはないのだが、たまたまヘルパーさんが他の人の居室に行くので、「もうすぐ、ご家族がお迎えに来られるから、それまで見ててください」と言い置いて、出て行かれたのだ。しかし、まもなく来られるはずの家族から、「仕事で遅くなります」と電話が入った。まあ、待っていれば、そのうちに、ベテランのヘルパーさんが戻って来るだろうと思っていた。
が、思いの外、手間取っているのか、ヘルパーさんはなかなか帰って来なかった。確か、時間の目安があって、寝たきりのそのおばあさんを車いすに座らせる必要がある時間になったのだと思う。それで、自分一人でできるかなあと不安になりつつ、おばあさんが寝ている所に行くと、すさまじい便臭だ。
おむつを取り替えないといけない。あわてて、新しいおむつを取り出して替えようと、帯を解いたら、浴衣も便だらけになっていた。下痢便だから仕方がないのだが、見てしまえばほっとくわけにいかない。急いで、新しい浴衣も出してきて、ヘルパーさんたちがやっておられた手順を思い出しながら、着せ替えを始めた。お返事はないが、いろいろ声はかけ続けていた。しんと静まり返った深夜、黙々とやる方が無理だったと思うが。
「浴衣も替えましょうね~」「慣れないので、ヘタなんですけど、ごめんなさいね。今、私しかいないんですよ」などと言っていた。下手に着替えさせられるその人の方が災難だろうと思いつつだった。
その人は、黙ってなすがままにしてくださっていた。が、袖を腕からはずそうとしたら、その方は、はっきりと、
「痛いがな!」と言われた。びっくりして、「すみません! 痛かったですか? 慣れてなくてすみません」と平謝りしながら、もたもたやっていたが、時間がかかるばかりでうまくいかず、介護される方の負担にもなると思い、ヘルパーさんに電話をした。
ヘルパーさんはすぐに戻って来て、手際よく着替えをさせて、車いすに座らせた。その手際の良さに感心していたら、「コツがあるのよ」と言っていた。
ベテランの方たちにつくづく頭が下がる経験だった。ただ、介護される本人の気持ちに気づくには、忙しすぎるんだろうなと思った。
そのヘルパーさんはベテランで且つ話しやすい人なので、「〇〇さん、お話されますよね」と言ってみた。すると、「話をされますよ」との返事だった。看護師さんも他のヘルパーさんも、「話せない」「何もわかっていない」と言っていたけど、ひょっとしたら、相手によって、声を出されるのかもしれなかった。あまりにも、テキパキと作業をこなすリーダータイプの人には、話しにくかったのかもしれないと、今になると思う。
そのデイサービスを管理運営している経営体の位置づけでは、私は役職者で、指示命令系統からいくと、パートのヘルパーさんたちに指示を出す立場だったのだが、彼女たちの熟練には尊敬しかなかった。この彼女たちの技術と労働力の上に乗っかって、高齢者介護の社会的課題をやり過ごそうとする制度づくりに怒りを覚えて、今も、細々と応援しているのだが、、、。
今振り返って改めて思う。余裕がないところに、思いやりも想像力も働かない、という話である。私のように、その時、たまたま役職者が応援に入り、ヘルパーさんたちの指示に従いながらも顎でこき使われる立場ではなく、ちょっと余裕を持って見ることができる位置にいたからこそ、気づいたことだった。
ふと思うことの一つ ― 2022/11/23 17:22
最近の公務職にある人とのやり取りで、思ったこと。
時々、このブログでも、公務員について、うんざりしていることを書いたことがある。
が、今回は、たぶん、公務員ではなく、嘱託の専門職ではないかと思われる人とのやり取り。
が、似たような感想。
で、腹を立てているが、もちろん、メールのやり取りだけなので、イライラは出さない。
が、このイライラのわけがわかった気がする。
要するに、知ったかぶりをするくせに、実はちゃんとわかっていない、ということにイラついていたのだ。
本当は、この専門職だけではなく、
関わっている団体の人にもちょっと、イラっとしている。
私にはとても協力的で、力になろうとしてくれる人なのだが、
知ったかぶりをする癖があるようだ。
とても物知りに見えて、情報通で、何でもわかっている人だと思っていたが、最近、「ん?」と思うことがちょくちょくある。
幅広く情報を吸収する優秀な人なのだろうと思うが、
それで、私が知らない分野のことは感心するばかりだったのだが、
私がよく知っている分野のことになると、
「ん?」と思うことが出て来た。
わけのわからないことを言い出したが、
本人は滔々と話すので、
何か、私の知らないことを言っているのか、と思ったが、
結局、とんでもないでたらめを言っているのだとわかったりする。
新しく仕入れたワードと、垣間聞いたフレーズを使ってしゃべるのだろう、結局、肝心のことがわかっていない、ということが露呈する。
いや、私に露呈しただけで、他のメンバーにはわからないだろう。
冒頭で言及した専門職もそうだ。
メールを読んで、
この人、よく知らないで言っているのだろうな、と思ったが、
失礼になってはいけないので、
ご承知だと思いますが、というニュアンスを込めて、訂正を申し入れた。
すると、しばらく沈黙があって、
「当然、わかっていますが、、、」と言わんばかりの返事で、訂正をよこした。
が、その返事でさえ、またもや、用語の使い方が誤っていて、
(その誤り方が、詳しくない人には結局、わからない誤りのようだ)
私には苦々しく、
これで、専門職なのか、、、とため息が出るような代物だ。
しかし、公務員はゼネラリストだから、非常勤の専門職をくそ丁寧に扱う。
公務員には専門知識がないので、この底の浅い専門職の知ったかぶりの物言いに煙に巻かれるのだ。
このアホが見抜けんか? と思うことがある。
見抜けないのだろう。
そんな例をいやと言うほど見て来た。
今回も、早々と馬脚を現したこの専門職。
しかし、誰も見抜けないんだろうなぁ、、、、。
時々、このブログでも、公務員について、うんざりしていることを書いたことがある。
が、今回は、たぶん、公務員ではなく、嘱託の専門職ではないかと思われる人とのやり取り。
が、似たような感想。
で、腹を立てているが、もちろん、メールのやり取りだけなので、イライラは出さない。
が、このイライラのわけがわかった気がする。
要するに、知ったかぶりをするくせに、実はちゃんとわかっていない、ということにイラついていたのだ。
本当は、この専門職だけではなく、
関わっている団体の人にもちょっと、イラっとしている。
私にはとても協力的で、力になろうとしてくれる人なのだが、
知ったかぶりをする癖があるようだ。
とても物知りに見えて、情報通で、何でもわかっている人だと思っていたが、最近、「ん?」と思うことがちょくちょくある。
幅広く情報を吸収する優秀な人なのだろうと思うが、
それで、私が知らない分野のことは感心するばかりだったのだが、
私がよく知っている分野のことになると、
「ん?」と思うことが出て来た。
わけのわからないことを言い出したが、
本人は滔々と話すので、
何か、私の知らないことを言っているのか、と思ったが、
結局、とんでもないでたらめを言っているのだとわかったりする。
新しく仕入れたワードと、垣間聞いたフレーズを使ってしゃべるのだろう、結局、肝心のことがわかっていない、ということが露呈する。
いや、私に露呈しただけで、他のメンバーにはわからないだろう。
冒頭で言及した専門職もそうだ。
メールを読んで、
この人、よく知らないで言っているのだろうな、と思ったが、
失礼になってはいけないので、
ご承知だと思いますが、というニュアンスを込めて、訂正を申し入れた。
すると、しばらく沈黙があって、
「当然、わかっていますが、、、」と言わんばかりの返事で、訂正をよこした。
が、その返事でさえ、またもや、用語の使い方が誤っていて、
(その誤り方が、詳しくない人には結局、わからない誤りのようだ)
私には苦々しく、
これで、専門職なのか、、、とため息が出るような代物だ。
しかし、公務員はゼネラリストだから、非常勤の専門職をくそ丁寧に扱う。
公務員には専門知識がないので、この底の浅い専門職の知ったかぶりの物言いに煙に巻かれるのだ。
このアホが見抜けんか? と思うことがある。
見抜けないのだろう。
そんな例をいやと言うほど見て来た。
今回も、早々と馬脚を現したこの専門職。
しかし、誰も見抜けないんだろうなぁ、、、、。
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