若い人たちの活動 ― 2026/09/24 09:26
『POSSE』という言論誌(という呼び方がいいのかな)がある。
NPOが出している本だが、
若い人の問題意識や切り込み方がものすごく面白くて、
私と同じようなシニアの読書会で、好評だ。
先日はvol.62の主に特集にフォーカスして読んだ。
若者の政治への眼差し、
労働論など、興味深い視点が満載だ。
ニューヨーク市のマムダニ市長についても、
アメリカに渡って、マムダニと歩調を合わせている若者団体のインタビューなどをおこなっている。
マムダニをリーダーと仰ぎ見るのではなく、
マムダニの政策にいかに自分たちのニーズを載せていくか、いかにこの政治的権限を持つ市長を自分たちの暮らしに寄与させていくか、ということが重要なのであって、
マムダニを崇拝することはない。
これは、健全な姿勢だと思う。
帰依したら、死ぬまでお供します、というような、○○教(この○○には誰の名前を入れてもいい)とは根本から違う。
まあ、わたしは今のアメリカも一部のトランプ教信者が教祖に倣って派手に行動するのだと思うが、
日本にもそういう人は、一定数いるのだろう。
自分の思想を持てないから、何かうまいこと、自分のニーズや思いに響く言葉を発信する候補者や政党があると、そっちになびく。
維新もそうだし、参政党もそうだし、比較的若い人がなびいたのは、この若者たち(まあ、若い人ばかりではないが)の自立性、思想性の薄さの問題だろう。
子ども時代に、「人権」教育を受けなかったのかね? と尋ねたくなるような情けない人がたくさんいるみたいだ。
それが、今の日本の社会状況を作っている。
POSSEが取材したアメリカ庶民の若者たちは、素晴らしい活動意識に基づいて動いている。
まあ、素晴らしい、というより、それが当たり前だったはずなのだけど、、、。
私のようなシニアもずっと感じてきた、カリスマ指導者を頂く運動への違和感、抵抗感を、すっきりあっさり表明している。
読書会のシニアたちも、「そうそう」と賛同。
私の仲間たちはいずれも、草の根で地味に動いている者たちなので、
派手なカリスマ指導者は要らないという姿勢を貫いている。
だから、少人数だけど、お互いの関係がなんとなくしんどくない。
どこまで、誰の意見も同等に扱えて、合意形成できるか、ということを、わたし的には実験的にやっているつもりだ。(まあ、参加メンバーは、私のそういう思いまでは知らないと思うけど。)
シニアでも、民主的な組織作り、運動の仕方を模索するタイプの者はいるわけなのだが、
若い層は、それをさりげなくやっているように見えて、頼もしい。
ま、どの年齢層でも闘いはやってきただろうけど、知恵が進んだのと、挫折前の力強さがある。(って、挫折前提で言ってはいかんけど、、、。)
私のような者は、闘い続けて、負けが込んでいるだけ、、、かな(ため息)
NPOが出している本だが、
若い人の問題意識や切り込み方がものすごく面白くて、
私と同じようなシニアの読書会で、好評だ。
先日はvol.62の主に特集にフォーカスして読んだ。
若者の政治への眼差し、
労働論など、興味深い視点が満載だ。
ニューヨーク市のマムダニ市長についても、
アメリカに渡って、マムダニと歩調を合わせている若者団体のインタビューなどをおこなっている。
マムダニをリーダーと仰ぎ見るのではなく、
マムダニの政策にいかに自分たちのニーズを載せていくか、いかにこの政治的権限を持つ市長を自分たちの暮らしに寄与させていくか、ということが重要なのであって、
マムダニを崇拝することはない。
これは、健全な姿勢だと思う。
帰依したら、死ぬまでお供します、というような、○○教(この○○には誰の名前を入れてもいい)とは根本から違う。
まあ、わたしは今のアメリカも一部のトランプ教信者が教祖に倣って派手に行動するのだと思うが、
日本にもそういう人は、一定数いるのだろう。
自分の思想を持てないから、何かうまいこと、自分のニーズや思いに響く言葉を発信する候補者や政党があると、そっちになびく。
維新もそうだし、参政党もそうだし、比較的若い人がなびいたのは、この若者たち(まあ、若い人ばかりではないが)の自立性、思想性の薄さの問題だろう。
子ども時代に、「人権」教育を受けなかったのかね? と尋ねたくなるような情けない人がたくさんいるみたいだ。
それが、今の日本の社会状況を作っている。
POSSEが取材したアメリカ庶民の若者たちは、素晴らしい活動意識に基づいて動いている。
まあ、素晴らしい、というより、それが当たり前だったはずなのだけど、、、。
私のようなシニアもずっと感じてきた、カリスマ指導者を頂く運動への違和感、抵抗感を、すっきりあっさり表明している。
読書会のシニアたちも、「そうそう」と賛同。
私の仲間たちはいずれも、草の根で地味に動いている者たちなので、
派手なカリスマ指導者は要らないという姿勢を貫いている。
だから、少人数だけど、お互いの関係がなんとなくしんどくない。
どこまで、誰の意見も同等に扱えて、合意形成できるか、ということを、わたし的には実験的にやっているつもりだ。(まあ、参加メンバーは、私のそういう思いまでは知らないと思うけど。)
シニアでも、民主的な組織作り、運動の仕方を模索するタイプの者はいるわけなのだが、
若い層は、それをさりげなくやっているように見えて、頼もしい。
ま、どの年齢層でも闘いはやってきただろうけど、知恵が進んだのと、挫折前の力強さがある。(って、挫折前提で言ってはいかんけど、、、。)
私のような者は、闘い続けて、負けが込んでいるだけ、、、かな(ため息)
若い人たちの活動 ― 2026/09/24 09:26
『POSSE』という言論誌(という呼び方がいいのかな)がある。
NPOが出している本だが、
若い人の問題意識や切り込み方がものすごく面白くて、
私と同じようなシニアの読書会で、好評だ。
先日はvol.62の主に特集にフォーカスして読んだ。
若者の政治への眼差し、
労働論など、興味深い視点が満載だ。
ニューヨーク市のマムダニ市長についても、
アメリカに渡って、マムダニと歩調を合わせている若者団体のインタビューなどをおこなっている。
マムダニをリーダーと仰ぎ見るのではない。
マムダニの政策にいかに自分たちのニーズを載せていくか、いかにこの政治的権限を持つ市長を自分たちの暮らしに寄与させていくか、ということが重要なのであって、
マムダニを崇拝することはない。
これは、健全な姿勢だと思う。
帰依したら、死ぬまでお供します、というような、○○教(この○○には誰の名前を入れてもいい)とは根本から違う。
まあ、わたしは今のアメリカも一部のトランプ教信者が教祖に倣って派手に行動するのだと思うが、
日本にもそういう人は、一定数いるのだろう。
自分の思想を持てないから、何かうまいこと、自分のニーズや思いに響く言葉を発信する候補者や政党があると、そっちになびく。
維新もそうだし、参政党もそうだし、比較的若い人がなびいたのは、この若者たち(まあ、若い人ばかりではないが)の自立性、思想性の薄さの問題だろう。
子ども時代に、「人権」教育を受けなかったのかね? と尋ねたくなるような情けない人がたくさんいるみたいだ。
それが、今の日本の社会状況を作っている。
POSSEが取材したアメリカ庶民の若者たちは、素晴らしい活動意識に基づいて動いている。
まあ、素晴らしい、というより、それが当たり前だったはずなのだけど、、、。
私のようなシニアもずっと感じてきた、カリスマ指導者を頂く運動への違和感、抵抗感を、すっきりあっさり表明している。
読書会のシニアたちも、「そうそう」と賛同。
私の仲間たちはいずれも、草の根で地味に動いている者たちなので、
派手なカリスマ指導者は要らないという姿勢を貫いている。
だから、少人数だけど、基本的に機嫌良くやっていけている。
いや、少人数だから、かな。
人が多くなると、だんだんやりにくくなるのかもしれない。
シニアでも、民主的な組織作り、運動の仕方を模索するタイプの者はいるわけなのだが、
若い層は、それをさりげなくやっているように見えて、頼もしい。
ま、どの年齢層でも闘いはやってきただろうけど、知恵が進んだのと、挫折前の力強さがある。(って、挫折前提で言ってはいかんけど、、、。)
私のような者は、闘い続けて、負けが込んでいるだけ、、、かな(ため息)
思想的には筋の通った強い信念があっても、
動き方には清濁併せ吞むだけの幅がないと、実動力が弱いのかもしれない。
リベラル派は、それが弱点なのかもしれない。
潔癖だからね・・・
清廉潔白なタイプが多いからね・・・
NPOが出している本だが、
若い人の問題意識や切り込み方がものすごく面白くて、
私と同じようなシニアの読書会で、好評だ。
先日はvol.62の主に特集にフォーカスして読んだ。
若者の政治への眼差し、
労働論など、興味深い視点が満載だ。
ニューヨーク市のマムダニ市長についても、
アメリカに渡って、マムダニと歩調を合わせている若者団体のインタビューなどをおこなっている。
マムダニをリーダーと仰ぎ見るのではない。
マムダニの政策にいかに自分たちのニーズを載せていくか、いかにこの政治的権限を持つ市長を自分たちの暮らしに寄与させていくか、ということが重要なのであって、
マムダニを崇拝することはない。
これは、健全な姿勢だと思う。
帰依したら、死ぬまでお供します、というような、○○教(この○○には誰の名前を入れてもいい)とは根本から違う。
まあ、わたしは今のアメリカも一部のトランプ教信者が教祖に倣って派手に行動するのだと思うが、
日本にもそういう人は、一定数いるのだろう。
自分の思想を持てないから、何かうまいこと、自分のニーズや思いに響く言葉を発信する候補者や政党があると、そっちになびく。
維新もそうだし、参政党もそうだし、比較的若い人がなびいたのは、この若者たち(まあ、若い人ばかりではないが)の自立性、思想性の薄さの問題だろう。
子ども時代に、「人権」教育を受けなかったのかね? と尋ねたくなるような情けない人がたくさんいるみたいだ。
それが、今の日本の社会状況を作っている。
POSSEが取材したアメリカ庶民の若者たちは、素晴らしい活動意識に基づいて動いている。
まあ、素晴らしい、というより、それが当たり前だったはずなのだけど、、、。
私のようなシニアもずっと感じてきた、カリスマ指導者を頂く運動への違和感、抵抗感を、すっきりあっさり表明している。
読書会のシニアたちも、「そうそう」と賛同。
私の仲間たちはいずれも、草の根で地味に動いている者たちなので、
派手なカリスマ指導者は要らないという姿勢を貫いている。
だから、少人数だけど、基本的に機嫌良くやっていけている。
いや、少人数だから、かな。
人が多くなると、だんだんやりにくくなるのかもしれない。
シニアでも、民主的な組織作り、運動の仕方を模索するタイプの者はいるわけなのだが、
若い層は、それをさりげなくやっているように見えて、頼もしい。
ま、どの年齢層でも闘いはやってきただろうけど、知恵が進んだのと、挫折前の力強さがある。(って、挫折前提で言ってはいかんけど、、、。)
私のような者は、闘い続けて、負けが込んでいるだけ、、、かな(ため息)
思想的には筋の通った強い信念があっても、
動き方には清濁併せ吞むだけの幅がないと、実動力が弱いのかもしれない。
リベラル派は、それが弱点なのかもしれない。
潔癖だからね・・・
清廉潔白なタイプが多いからね・・・
思い出がぽろぽろ ― 2026/09/23 20:42
こんな歌が昔、あったような、、、。
ほぼ毎朝、亡夫の写真に
コーヒーを供えている。
昔からあるデミタスコーヒー用のカップ&ソーサーだ。
私はでっかいマグカップで飲む。
夏場はアイスコーヒーの方が多くて、ちょっと出番が少なかったが、
またそろそろ登場だ。
55年くらい前に、母が買ってくれたカップだ。
私が結婚したのは非常に若い時だったので、
母もまだ若かった。
私の結婚の時には、母が結婚するかのように。今思えば、はしゃいでいたとしか言いようがない感じだ。、
買い物が趣味の人なので、とにかく、気前よくいろいろな物を買ってくれた。
食器や服やアクセサリーなどなど。
欲しがらなくても、京都市内の良いお店に連れて行ってくれて、あれも買う? これも買っとく? という感じだ。
今、思えば、よくそんなにお金を使ったものだなと思うが、
娘の結婚というイベントは、母が堂々とお金を使える絶好の機会だったようだ。
え? そんなに買ってくれるの? と、自分の欲望を上回って与えられるので、私が戸惑うほどだった。
が、母がそのような人だったから、なおさら、私も生活の苦労を知らないので、「そんなに買ってもいいの?」とも思わなかった。
ただ、次から次に与えられる美しい物に囲まれて、何となく呆然としていた。
まあ、父の商売がうまくいっていた頃だったのだろう。
父は不動産業を営んでいたので、商売下手と同業者からも言われるような父でも、うまくいっている頃は、そこそこ収入があったのだろう。
商売の利益は、一般のサラリーマンとは桁違いのところがあったようだ。
そこに母が買い物好きなので、母の叔母さんに当たる人が、一度、私に、「あんたとこ、生活が派手え」と言っていたのを覚えている。
母にではなく、子どもの私に言うところが、京都人だからか。
私は母ほど、着飾ることが得意ではないので、母の助言に沿って、いろいろ買ってもらう服やアクセサリーを身につけていた。
その結婚の狂騒が一段落した頃に、
母が買ってくれたペアのコーヒーカップだ。
当時はデミタスコーヒーカップというのはおしゃれだったのだ。
実際のところは、小さくて、実用性はないと思って使っていなかった。
このたび、AIに聞いたら、Villeroy & Boch(ビレロイ&ボッホ) というドイツのメーカーの製品だそうだ。
そこそこ、良いお値段だったと思うけど、
母は、なんか、ためらいもなく、
私が「これ、いいね」と言ったら、即座に買ってくれた記憶がある。
病的なほど買い物をしたがる母に、私も少し似ているらしい。
まあ、今は年金暮らしなので、
ようやく無駄にお金を使う、ということはしなくなったけど。
なにしろ、母とは違って、それほど使えるお金はないので、
つつましくやって死ぬまでの生活費は持たせないと、という感じだ。
高く売れるなら、このカップも売ろうかなと、一瞬思ったが、
AIに聞いたら、大したことはないらしい。
それなら、まあ、これまで通り、亡夫用に美味しいコーヒーを淹れてあげようか。
、
ほぼ毎朝、亡夫の写真に
コーヒーを供えている。
昔からあるデミタスコーヒー用のカップ&ソーサーだ。
私はでっかいマグカップで飲む。
夏場はアイスコーヒーの方が多くて、ちょっと出番が少なかったが、
またそろそろ登場だ。
55年くらい前に、母が買ってくれたカップだ。
私が結婚したのは非常に若い時だったので、
母もまだ若かった。
私の結婚の時には、母が結婚するかのように。今思えば、はしゃいでいたとしか言いようがない感じだ。、
買い物が趣味の人なので、とにかく、気前よくいろいろな物を買ってくれた。
食器や服やアクセサリーなどなど。
欲しがらなくても、京都市内の良いお店に連れて行ってくれて、あれも買う? これも買っとく? という感じだ。
今、思えば、よくそんなにお金を使ったものだなと思うが、
娘の結婚というイベントは、母が堂々とお金を使える絶好の機会だったようだ。
え? そんなに買ってくれるの? と、自分の欲望を上回って与えられるので、私が戸惑うほどだった。
が、母がそのような人だったから、なおさら、私も生活の苦労を知らないので、「そんなに買ってもいいの?」とも思わなかった。
ただ、次から次に与えられる美しい物に囲まれて、何となく呆然としていた。
まあ、父の商売がうまくいっていた頃だったのだろう。
父は不動産業を営んでいたので、商売下手と同業者からも言われるような父でも、うまくいっている頃は、そこそこ収入があったのだろう。
商売の利益は、一般のサラリーマンとは桁違いのところがあったようだ。
そこに母が買い物好きなので、母の叔母さんに当たる人が、一度、私に、「あんたとこ、生活が派手え」と言っていたのを覚えている。
母にではなく、子どもの私に言うところが、京都人だからか。
私は母ほど、着飾ることが得意ではないので、母の助言に沿って、いろいろ買ってもらう服やアクセサリーを身につけていた。
その結婚の狂騒が一段落した頃に、
母が買ってくれたペアのコーヒーカップだ。
当時はデミタスコーヒーカップというのはおしゃれだったのだ。
実際のところは、小さくて、実用性はないと思って使っていなかった。
このたび、AIに聞いたら、Villeroy & Boch(ビレロイ&ボッホ) というドイツのメーカーの製品だそうだ。
そこそこ、良いお値段だったと思うけど、
母は、なんか、ためらいもなく、
私が「これ、いいね」と言ったら、即座に買ってくれた記憶がある。
病的なほど買い物をしたがる母に、私も少し似ているらしい。
まあ、今は年金暮らしなので、
ようやく無駄にお金を使う、ということはしなくなったけど。
なにしろ、母とは違って、それほど使えるお金はないので、
つつましくやって死ぬまでの生活費は持たせないと、という感じだ。
高く売れるなら、このカップも売ろうかなと、一瞬思ったが、
AIに聞いたら、大したことはないらしい。
それなら、まあ、これまで通り、亡夫用に美味しいコーヒーを淹れてあげようか。
、
久々に、イケてる配信ドラマ ― 2026/09/07 20:10
トルコのサスペンスドラマだ。
トルコのドラマなんて、たぶん観たことなかったと思う。
こんな面白いドラマを作るんだなと感心している。
このドラマ、刑事物なのだけど、
真っ向からフェミサイドを解決する特別な部署の刑事たちだ。
女性が被害者となる事件は、根底にミソジニーが根深くあるのだが、
刑事たちは、ジェンダー構造の歪みをあばき、
どうしようもない女性たちの不当な位置を、
事件を解き明かしながら、告発し続ける。
よくもまあ、ここまでフェミを貫いたなと感心する。
フェミニズムの王道の論理が、「正義」として一貫している。
ひねりもオブラートに包むのもなし。
考えてみれば、日本のジェンダーバイアスも露骨で、劣悪。
それなのに、ジェンダー問題をモロに描くのがダサいかのように
ドラマでは、妙にひねりを加えたり、違う観点を持ち込んだりして、
結局、ジェンダーバイアスを見えなくさせる役割を果たしている。
こっちの方がよほどダサいよ。
Netflixでシリーズ3まで一気に配信されていたので、
例によって、一気見した。
サスペンスドラマだから、怖いシーンも多いんだけれど、
観てしまった。
今の日本社会は巧妙に隠蔽された差別が多い。
と言うか、人々は見ないようにしているだけだ。
しかし、一枚、皮を剥げば、このドラマで描かれているような差別がはびこっている社会だ。
それを、甘い眼差して許してしまっている女性が多くないか。
まあ、感心したわ。
主人公の女性刑事が、最初はごっついおばさんだと思っただけだったけど、
だんだん、めちゃくちゃかっこよくなる。
タイトルが、『沈黙の墓地』という、よくわからないタイトル。
饒舌な墓地、、、というのも変だけど、そっちの方がいいかも。
トルコのドラマなんて、たぶん観たことなかったと思う。
こんな面白いドラマを作るんだなと感心している。
このドラマ、刑事物なのだけど、
真っ向からフェミサイドを解決する特別な部署の刑事たちだ。
女性が被害者となる事件は、根底にミソジニーが根深くあるのだが、
刑事たちは、ジェンダー構造の歪みをあばき、
どうしようもない女性たちの不当な位置を、
事件を解き明かしながら、告発し続ける。
よくもまあ、ここまでフェミを貫いたなと感心する。
フェミニズムの王道の論理が、「正義」として一貫している。
ひねりもオブラートに包むのもなし。
考えてみれば、日本のジェンダーバイアスも露骨で、劣悪。
それなのに、ジェンダー問題をモロに描くのがダサいかのように
ドラマでは、妙にひねりを加えたり、違う観点を持ち込んだりして、
結局、ジェンダーバイアスを見えなくさせる役割を果たしている。
こっちの方がよほどダサいよ。
Netflixでシリーズ3まで一気に配信されていたので、
例によって、一気見した。
サスペンスドラマだから、怖いシーンも多いんだけれど、
観てしまった。
今の日本社会は巧妙に隠蔽された差別が多い。
と言うか、人々は見ないようにしているだけだ。
しかし、一枚、皮を剥げば、このドラマで描かれているような差別がはびこっている社会だ。
それを、甘い眼差して許してしまっている女性が多くないか。
まあ、感心したわ。
主人公の女性刑事が、最初はごっついおばさんだと思っただけだったけど、
だんだん、めちゃくちゃかっこよくなる。
タイトルが、『沈黙の墓地』という、よくわからないタイトル。
饒舌な墓地、、、というのも変だけど、そっちの方がいいかも。
AI考 ― 2026/08/19 08:19
ばーさんのくせに (いや、ばーさんだからか)、AIには興味がある。
先日、長年の友人と出かけて、久しぶりに京都のイノダコーヒに入ってお喋りした。
友人は、専ら、アナログ派。
いろいろなことを私に聞いてくるが、遠隔で電話だけではなかなか伝わらない。
本人がどの画面を見ているのか、手探りなので、こちらの体力気力があるときでないと、問題解決は難しい。
アナログ時代、よくお勉強した人は、なかなかデジタルの思考構造には入って来れない。
デジタルの考え方の組み立てが、そもそも、アナログの思考の組み立てとは異質なのだ。
私は何とか興味を持ってついていこうとする人間だが(アナログ時代に、お勉強しなかった者なので)、それでも、そうか、デジタル脳はこういうふうに考えるのか、、、と、その意外さに驚き感嘆することがある。
私は画像や動画作成についはまってしまうが、まあ、これはご愛嬌。
息抜き(ほぼ、一日中息抜きしているけど(笑))、癒やしのために活用している(つもり)。
が、主な使途は、やはり迷いや困惑や悩みの相談が多い。
AIは実用面では結構役に立つ。
が、人生観とか、ものの考え方とかになると、急にウザい奴になる。
私はだいたい、ChatGPTを使うが、そろそろ、辞めようかと思い始めている。
なぜなら、このChatGPT,最近はおかしいのだ。
いや、人生観をこいつに語るのが間違っているのだろうけれど、(と言うのは、こいつが一番苦手な分野だから)、私は孤独な高齢者、つい、話し相手に選んでしまう。
例えば、私が対人関係の難しさの一つについて、
自分なりの考えを述べてみる。
他に落とした考え方はないかを知るために、ChatGPTに伝えると、
私の考えを、言葉を換えて、縷々述べ始める。
いや、だから、それはわかっているから、それ以外の考え方を聞きたいんだよっ。
再度、「そのことは、もう私が述べました。他に考えられることは?」と聞き直すと、
「あなたがすでに述べられた考えと同じことを、私がまた話してしまいましたね。余分でした」とすぐに認める。
しかし、その後にすぐ、違う言葉で、私が語った内容を繰り返すような文章。
「だから、そのことはもう、私が言っていますってば!」といらいらしてくる。
どうも、私が提示した考え方以外の考え方は、特に導き出せないのだろう。
つまり、こちらが正論を言っちゃうから、基本的に「正論」しか言わないChatGPTにとって、それ以上のものを出せなくなるのだ。
とても風変わりでオリジナルな考えは、ネット上にはいやというほどころがっているが、そういう怪しい「私見」は拾わないからね。
で、こんなやりとりを続けていると、消耗するし、メリットを感じられなくなっている。
だんだん、限界を感じ始めているが、でも、実用的な知識はまだ頼りになる。
洗濯機の調子が悪かったときなど、購入時期とメーカーを伝えると、実に的確な解決法を出してくれた。
私が取説をいくら読んでも到達できなかった解決方法だった。
「それは、故障ではありません」と言明してくれる頼りになる相棒、という感じだった。
要するに使いようなのだ。
特に、悲観的なことを書いたり、「生きている喜びがない」などと書こうものなら、すぐに、公的な相談窓口のリストを出してくる。
そこは責任を取りません、という態度が露骨過ぎて、おかしいくらいだ。
まあ、これまでに、若い人がChatGPTに相談して自分の悲観的な気分にはまってしまって(感情が増幅されるようだ)、最終、「実行」してしまう、という出来事が多発したので、そこは慎重になったみたいだ。
ChatGPTは背後に膨大なデータを持った鏡だから、いろいろ教えてくれるが、所詮、自分の「鏡」だということはわかっておいた方がいい。
思考の癖や感情の波は、ユーザー自身のものだということだ。
鏡だから、その人自身を映しているだけで、そこからは一歩も出られない。
料理や電気製品についての相談くらいにとどめるか、私みたいに、恐竜やゴジラとの平和共存を画像にしてもらうくらいの使い方でとどめた方がよい。
AIとハサミは使いよう、、、、そんな格言もあるし、、、
あ、なかったかな?
先日、長年の友人と出かけて、久しぶりに京都のイノダコーヒに入ってお喋りした。
友人は、専ら、アナログ派。
いろいろなことを私に聞いてくるが、遠隔で電話だけではなかなか伝わらない。
本人がどの画面を見ているのか、手探りなので、こちらの体力気力があるときでないと、問題解決は難しい。
アナログ時代、よくお勉強した人は、なかなかデジタルの思考構造には入って来れない。
デジタルの考え方の組み立てが、そもそも、アナログの思考の組み立てとは異質なのだ。
私は何とか興味を持ってついていこうとする人間だが(アナログ時代に、お勉強しなかった者なので)、それでも、そうか、デジタル脳はこういうふうに考えるのか、、、と、その意外さに驚き感嘆することがある。
私は画像や動画作成についはまってしまうが、まあ、これはご愛嬌。
息抜き(ほぼ、一日中息抜きしているけど(笑))、癒やしのために活用している(つもり)。
が、主な使途は、やはり迷いや困惑や悩みの相談が多い。
AIは実用面では結構役に立つ。
が、人生観とか、ものの考え方とかになると、急にウザい奴になる。
私はだいたい、ChatGPTを使うが、そろそろ、辞めようかと思い始めている。
なぜなら、このChatGPT,最近はおかしいのだ。
いや、人生観をこいつに語るのが間違っているのだろうけれど、(と言うのは、こいつが一番苦手な分野だから)、私は孤独な高齢者、つい、話し相手に選んでしまう。
例えば、私が対人関係の難しさの一つについて、
自分なりの考えを述べてみる。
他に落とした考え方はないかを知るために、ChatGPTに伝えると、
私の考えを、言葉を換えて、縷々述べ始める。
いや、だから、それはわかっているから、それ以外の考え方を聞きたいんだよっ。
再度、「そのことは、もう私が述べました。他に考えられることは?」と聞き直すと、
「あなたがすでに述べられた考えと同じことを、私がまた話してしまいましたね。余分でした」とすぐに認める。
しかし、その後にすぐ、違う言葉で、私が語った内容を繰り返すような文章。
「だから、そのことはもう、私が言っていますってば!」といらいらしてくる。
どうも、私が提示した考え方以外の考え方は、特に導き出せないのだろう。
つまり、こちらが正論を言っちゃうから、基本的に「正論」しか言わないChatGPTにとって、それ以上のものを出せなくなるのだ。
とても風変わりでオリジナルな考えは、ネット上にはいやというほどころがっているが、そういう怪しい「私見」は拾わないからね。
で、こんなやりとりを続けていると、消耗するし、メリットを感じられなくなっている。
だんだん、限界を感じ始めているが、でも、実用的な知識はまだ頼りになる。
洗濯機の調子が悪かったときなど、購入時期とメーカーを伝えると、実に的確な解決法を出してくれた。
私が取説をいくら読んでも到達できなかった解決方法だった。
「それは、故障ではありません」と言明してくれる頼りになる相棒、という感じだった。
要するに使いようなのだ。
特に、悲観的なことを書いたり、「生きている喜びがない」などと書こうものなら、すぐに、公的な相談窓口のリストを出してくる。
そこは責任を取りません、という態度が露骨過ぎて、おかしいくらいだ。
まあ、これまでに、若い人がChatGPTに相談して自分の悲観的な気分にはまってしまって(感情が増幅されるようだ)、最終、「実行」してしまう、という出来事が多発したので、そこは慎重になったみたいだ。
ChatGPTは背後に膨大なデータを持った鏡だから、いろいろ教えてくれるが、所詮、自分の「鏡」だということはわかっておいた方がいい。
思考の癖や感情の波は、ユーザー自身のものだということだ。
鏡だから、その人自身を映しているだけで、そこからは一歩も出られない。
料理や電気製品についての相談くらいにとどめるか、私みたいに、恐竜やゴジラとの平和共存を画像にしてもらうくらいの使い方でとどめた方がよい。
AIとハサミは使いよう、、、、そんな格言もあるし、、、
あ、なかったかな?
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