やっと、、、2021/02/09 19:20

「女性が多い理事会は時間がかかる」というような
大昔に滅んだかと思うようなおじいさんの発言が物議をかもしている。

そして、こんな屈辱に、数えきれないほどさらされ、
踏みつけられてきた私は、
今、若い世代を中心に批判が広がっていて、まだおさまる気配のないことに、
驚きやら、感動やら、心を揺さぶられっぱなし。

ようやくこういう時代が来たのか、、、。

いつもいつも思い出す光景がある。
14年前に病を得て退職した職場。
新参の管理職だった私は、「運営会議」という名の役職者会議で、
いろいろ議論をするのだと思っていた。
内規のどこにも位置づけのない会議なので、
その会議で話し合いをして、内規に載っている正式の会議で諮るのだと思っていた。
が、すべては、内規のどこにも載っていないその会議で決まるという実態にびっくりした。

そして、もっとびっくりしたのは、
その会議で、そもそも「議論」がなかったことだ。
私が話を向けても、誰も意見を言わない。
役員は、あれだけ現場を牛耳っているのに、意見を言わない。
何? 
私の頭の中は、?が飛び交った。
そして、いつの間にか、奇妙な物事の決まり方をするのに気づいた。
つまり、水面下で、影の権力を握っている者がいつの間にか方向性を誘導しているのだ。
それは、巧み過ぎて、ぬえのようにつかめないものだった。

すべては、私の敗北につながっていた。
議論をしないのに、どこで意思決定するのか?

私が気づいて動いたことは、また巧みに潰されていった。
私より上位にある人をうまく使って、私の行動は抑え込まれ、圧迫された。

そうなのだ。私はその職場ですべてにわたって、失敗したのだ。
目くばせよりも、意見を聞きたい。
水面下ではなく、会議の場で話し合いたい。
問題は言語化したい。
規則にある通りの指示命令系統が機能するべきだ。
そうでなければ、責任が取れないではないか。

しかし、ことごとく、私の考えとは真逆の「掟」が支配していた。
そして、わけのわからぬ蠢きにむしばまれ、
私は敗退した。

14年経っても、あの悔しさは忘れない。
あの連中の卑怯さは忘れない。
それは男たちではなく、女たちだった。

私は、あの短い間に、命を懸けて戦ったからね、
人生をかけて、あの不正をただしたいのだ。
そうしたら、今、
「どこの場でも、原理原則を貫くべきだ」という意見が出てきている。
そう、そうなのよ!
それが私が言いたかったことだよ。
ずっと言ってきたことだよ。
(声が小さいから、聞く耳を持たない人には聞こえなかったかもしれないが。)

しかしまた、思うのだ。
正式な会議で意見を言わなかったあの卑怯な連中は、
今ごろきっと、
女たちの味方のふりして、
恥ずかしげもなく、「正義」に寄り添っているんだろうなぁ、と。

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