結局、治らない2016/09/16 10:11

手術は、先送りした。

通常の水腎症の手術より、
リスクが高いそうだ。
9年前の大腸がんの手術の影響で起こった尿管狭窄なので、
周辺臓器にもトラブルがあるらしく、
単純にはいかないもののようだ。
しかも、手術をしても、再発の可能性も大きい、とのこと。
そのうえ、あの思い出すもおそろしい激痛の原因が解明されないまま。

で、今のままだと、水腎症は確実に進んでいるので、
腎臓は死んでいくのだが、
その間も、感染症などが起こる可能性も高い。

どうせえっちゅうねん! という感じ。
「あなたの腎臓だから、あなたが判断してください」と言われた。
どっちにころんでも良くないとき、
リスクが少しでも少ない方を選びたいけど、
それすら、医師も判断がつかないとか、、、。
ということは、医療的判断ではなく、
私の人生観、身体への直観、ライフスタイルで選ぶしかない。

ということで、今しばらく、このままでいくことにした。
つまり、治らない選択をしたわけ。

手術をしても、治るかどうかわからない、
リスクを呼び起こす可能性が高い、ということなら、
現状維持を選ぶしかない。
で、何かあれば、病院に駆け込むしか、、、。

痛み止めをいっぱいもらって、今しばらくそれで生きていく。

また、仕事のオファーが来た。
単発なので、受けることにした。面白そうだし。

一定期間集中して執筆にかからねばならない仕事は断ったが、
監修者としてかかわることになった。

痛み止めでやり過ごしながら、仕事はしよう。
私の活力の素だから。

それでも、ふと、泣きたくなる時がある。
からだもしゃんとしないし、孤独だし、
先行き不安だし、、、。
でも、泣いても仕方がないので、とりあえずがんばる!

最近、感じること2016/09/15 08:59

役所、病院、、、といった機関で説明をしてもらう機会がある。

気のせいと言われれば、そうかもしれない。

が、相手が壮年期の男性の場合、共通して感じるものがある。
それは、説明をはしょろうとする傾向。

先日は、健康保険料の支払い方法のわけのわからない変更があったので、役所に問い合わせの電話をした。
最初は、悪い感じの対応ではなかったのだが、
なんだか、テキトーな説明をするので、
「えっと、そこがわからないんですが、、、」と、さらに質問をすると、
だんだんめんどくさそうになってきて、
「何か、これで問題ありますぅ?」と聞き返してきた。
「少ない収入でやりくりして暮らしているのですから、保険料についても、ちゃんとわかっておきたいんです」と答えた。
「こちらでは、それ以上、わかりませんねぇ」と、話を終わらせようとするので、
「では、どちらにお尋ねしたら教えていただけますか?」ときいたら、
急に、「それ以上、わかりません」と言っていたデータを出してきた。
わかるんじゃないの!

結局、違う人になって、最終、結構ていねいに説明をしてくれた。
「最初のあの人は、邪魔くさそうだったからいやです」と、私も言ったんだけど。
おまけに、話がほぼ終わりになったとき、急に電話が切れた。
まぁ、ほとんど話は終わったからいいや、向こうも忙しいんだろうと思っていたら、すぐに電話が鳴って、
「すみません、子機のバッテリーがなくなって、切れてしまいました」と、今度は丁寧な謝りの電話。
うるさいばあさんだから、ちゃんと言わねばまたうるさい、と思ったのかな?
(笑)
説明さえ聞けば、別にそれくらいで文句言わないんだけど。

テキトーな説明で済ませようとする人にちょくちょく出会う感じがある。
それも、男性に多いように思う。
うがち過ぎた見方だと思う人もいるかもしれないが、
どうも、そこに女性(特に高齢者)を侮っている感じを抱いてしまう。
現職でもくやしい思いをしている女性は多いと思うけれども、
「おばあさん」ともなると、さらに適当にあしらう感じがあるように思う。
私の母の世代の女性は、適当にあしらわれることに慣れていて、
それに合わせたコミュニケーション術を心得ていた。
「難しいことは、息子に言ってください」なんて平気で言い、実は息子を操縦していたりするしたたかな「おばあさん」もたくさんいただろう。
私の母も
「難しいことはわかりませんねん」と言って、かわいいおばあちゃんになりきっていたが、
ちゃんと私を使って、うまく自分の思う通りに運んでいた。

が、今のおばあさんは、そうはいかない。
操縦する相手もいないし、そもそもかげで操縦するなんてスキルもない。
ダイレクトに自分の疑問を相手に提示するしかない。
きちんと説明してほしい。それだけ。

テキトーに説明を済ませようとする男性が多いと思うのは、
コミュニケーション能力が劣っている男性が多いせいか?
もちろん、あくまで傾向だから、個人によるのだろうけど。

それとも、男は高齢女性を侮っているのかな、やっぱり。
若い女性だと、張り切って説明するのだろうか。
そう言えば、若い頃、「そんなこと聞いてません」と思うようなことまで、
延々と教えたがるおじさんとかいたなぁ。
うーん、使えないおっさんが多すぎる。
(あ、どんどん口が悪くなってるわ。)

高齢女性に対する思い込み、というものはあるのかもしれない。
ちょっと前の世代のおばあさんのイメージが、まだ強いのかもしれない。
ちょっと前の世代のおばあさんが愚かだったのではなく、
上に書いたように、その時代の価値観に沿って、したたかだっただけなのだが。

パラリンピック開会式2016/09/08 10:13

 テレビでパラリンピック開会式をやっている。
以前、Eテレで「切断ヴィーナス」を紹介した番組を見て、魅せられてしまったので、オリンピックは全然観ないけど、こちらは観る。

 先ほど、両足義足の美女が軽やかに華麗にダンスをしていた。
テクノロジーと人の身体との美しい融合だ。
Eテレに登場した若い女性たちも、義足姿が美しく、魅了された。

 少し前、東京の森美術館で行われた会田誠展の、「犬」と題された四肢切断の少女を描いた作品は、「凌辱」としか感じられない悪趣味の作品だと思った。
痛めつけられて自由を奪われた少女のいかにもヴァルネラブルな姿だ。

 が、「切断ヴィーナス」は、女性たちが自己主張し、不可能を可能にし、自由を獲得していく、力あふれる美しさだ。
病気や事故などによって片脚や両脚の切断を余儀なくされた女性たちが、義肢によって新しい能力を獲得し、実に明るく、様々な可能性に挑戦していく姿は、人を魅了し、ため息すらつかせる。

↓ 義肢の女性たちの写真集

 この国の男性は(あれ? 偏見かな?)、意志の強い、自己主張する女性を苦手な人が多いようで、ヴァルネラブルな風情の女性を好む傾向があるように思う。
「守ってあげたくなる」ような女性を、つまり自分の支配下におさまる女性を好むのだろうと思う。
(そうでない男性もいると思います、もちろん! 多くはないように思うけど。)

 ブログで、男性に「モテる」ということを自慢している女性がいたけれども、もちろん、「モテる」ことが幸せにつながっているのなら、それはそれでいいのだけど、「モテない」ことに不幸を感じている女性がいたら、あんまり良いことではない。
この社会のジェンダー規範のお約束に乗っかると、モテるのは当たり前なのだから、自分の「魅力」をそれで測ったり、自己評価につなげるのは無意味だ。
ジェンダー規範をいかに相対化できるか、の話なのだけど。

 パラリンピックの開会式で、ブラジルのある選手が、子ども時代いじめにあっていたけれども、「絶対に幸せになってやる」と誓った、というエピソードが紹介されていた。
不覚にも涙が流れた。

自分に置き換えるなら、
丈夫な体にはなれないかもしれないけど、幸せにはなれる、ということだ。

再度、救急車2016/08/30 16:26

病院の窓から空を見ながら、
このまま死ぬんだろうか、と思ったら、
たまらなくなった。

夫は、家に帰りたがっていたが、
そして、外泊許可が出て、その日をとても楽しみにしていたのに、
当日の朝、迎えに行ったら、大量の吐血。
外泊の楽しみも奪われた。

もう治療法がないとわかったとき、
家で看たい、と医師に言ったら、OKされた。
それで、家で寝ている彼を看護できるように
プロの清掃の人に頼んで、寝室の片づけと掃除をしてもらった。
それから、在宅用の酸素吸入装置を探した。
が、それらを待たずに、夫は旅立った。
念願の帰宅は、もう目覚めなくなってから。

夫の気持ちを思うと、胸をかきむしりたくなる。

私もそういうことになるのか、と思った。
それなら、まだ、薬で症状を抑えられている今、
帰りたいと熱望して、
看護師さんにも医師にも訴えつづけた。
どうせ、だめなら、一度は、家に帰って、好きな物を食べて、好きなように暮らしておきたい。

そして、久しぶりの幸せな子どもたちとの時間。

友人が来てくれた日も、つかの間、まったりと過ごした。

で、退院二日目、友人が帰って行ってしばらくした後、
激痛に襲われ、
またもや救急車を呼んで、玄関に倒れてしまった私。

前回の痛みをMAX10とすれば、二回目は9.5くらい。
もらっていた頓服がきいてきて、
やがて理性を取り戻して、救急車の人にも、お礼を言えた。
前回よりもしっかりしている私がいた。

病院に着くと、ドクターの一人が、「帰って来た」と言っていた。

病院は満床で、落ち着いたら、「帰ってもいいです」と言われた。
症状が激痛なので、そして検査のデータは全部病院にあるので、
まぁ、激痛がとれたら、それはそうだろう。
で、点滴を終えて、痛みがなくなった時点で、タクシーを呼んでもらって帰った。
普段着のタンクトップにパジャマのズボンに黒い靴、
嘔吐をしたときのために抱えていた大きなバスタオルとcoachのショルダーバッグ。
珍妙ないでたちで、夜の10時過ぎ、帰宅した。

看護師さんが優しくないわけ2016/08/27 10:11

私は救命科の患者なので、主治医という人はいないそうです。
緊急搬送された夜は、比較的落ち着いていたのに、
入院の翌日から、それはそれは耐え難い腹痛に襲われました。
しかし、なかなか見立てが出ません。

もともとの腎臓の病気と、今回の激烈な腹痛とが結びついているのか否か、結果が出ないのです。
あらゆる検査でも、典型的な所見が見られない。
でも、腹痛がひどくて
とうとう自力では歩けなくなり、トイレに行くにも車いす、という状態になりました。

あまりの痛さの故かどうかわかりませんが、吐き気もひどく、
ガーグルベースとかいう容器を持ってきてもらいました。

水分も服薬以外は制限され、救急車で運ばれる直前に胃の中のものを全部嘔吐してしまった後、ずっと絶食。
嘔吐って、何を吐くのぉ~、と自分にツッコミを入れたくなる状況。
で、嘔吐。
水みたい。胃液か。
苦しさの中でナースコールをし、来てくれたこわい顔の看護師さんに
「吐いた」とだけ呻くように言ったら、
ガーグルベースを手荒く取り、私のベッドの近くにある洗面台にじゃっと手荒く捨て、つきつけるように私に戻すと、ものも言わず行ってしまいました。

私は、粗相をして、怒られているのか?

車いすでトイレから帰って来て、座っているのが痛くて、
すぐにベッドに倒れ込もうとした私に、
「まだ早い!」と子どもを叱るように言う看護師さん。
最初は優しかった人まで、怖い顔になっています。
皆、いらだっています。
「私、悪いことをしたの?」と、痛さと悲しさで、不幸感がマックスに。

この冷酷な扱いは、
苦痛がひどいほど増していて、
やっと痛み止めが処方されて、痛みが緩和されて、
こちらが人心地ついたら、態度も変わった気がします。
特定の人が、というわけではなく、全体にそういう感じがしました。

苦痛を訴えられても
自分の裁量でそれを緩和する処置を行う権限が与えられていない状況で、
看護師さんたちは困惑し、
拒否的な態度に出るのでしょうか。

痛み止めのおかげで症状が落ち着いて、
車いすも使用しないで済むようになると、一般病棟に移りました。
移る直前、私が一人で歩いているのを見て、
「あ、歩けてよかったですねぇ」とほほ笑んでくれた看護師さん、
えっと、この人も怒ってなかったっけ?

一般病棟ではまわりの景色も変わりますが、
看護師さんの対応が優しくて穏やか。

看護師さんは患者と医師の間で、時には板挟みになり、
でも、医師の指示なしには治療について一切言及できず、
自己裁量の権限の範囲は極めて小さそうです。
さぞかしもどかしい位置なのだろうと思われます。
もちろん、それは組織の責任体制とか法的なライセンスの問題とか、
小手先の改革ではどうにもならないものでしょう。
患者としては、
医療システムの問題に、自分の生命やQOLを脅かされないように、
自衛するしかないなと感じたことでした。

と言いましても、痛みで苦しんでいる私にできたことは、
とにかく、痛み止めを処方して、人心地つかせてちょうだい、と、
医師にも看護師にも懇願し続けることだけでしたが。

今も痛み止めで症状が安定しているだけですが、
でも、とにかく、激痛は可能なら止めた方がよいと思います。