ブショネ2016/04/01 20:20

立て続けにブログを書いているのは、
書かなきゃいけない原稿のためにパソコンの前に座っているのに、
全然はかどらないから(^^;)

タイトルの「ブショネ」
最近、知りました。

私は赤ワインがとっても好きなので、
晩御飯の友は、たいてい赤ワインです。

先日、あるおしゃれな店で友人とイタリアンな食事をしました。
ワインとチーズが売りで、ちょっと通(つう)な感じの店。
固定ファンも多いようで、カウンターには一人で来ている若い女性や男性客。

で、ここのワイン、結構高めなのですが、
そして、すっごく楽しみだったのですが、
ワインが変な匂い。
何度匂いを嗅いでも、変。
友人にもみてもらうと、友人も眉をひそめます。
「上等なワインって、こんなもの? まさかね」
と、サーブをしてくれている店員さんを呼びます。
店員さん「ソムリエに言います」。
で、なんだかちょっとプライド高そうなソムリエ(?)が席まで来ました。
この人、以前、来た時と同じ人ですが、ちょっとプライド高そうで、あんまりサービス業に向いている感じはしない女性です。
彼女曰く
「テイスティングしましたけれども、同じものを飲んでもみましたけれども、問題はございません」とのこと。
「それなら、いいです」と、こちらの気のせいにして、
続けて飲んでみるけど、やっぱりダメ。

変な匂いって、どういうのかと言うと、
あるサイトにぴったりの表現が書いてありましたが、
「雑巾を陰干し」したような匂いです。

やっぱり飲めなくて、結局、安くないそのワインを残しました。

で、帰ってから調べましたら、
「ブショネ」というものだそうです。
それは、バクテリアに汚染されたワインなんだそうです。
ワイン生産量の3~7%の率で存在するのだそうです。
で、ソムリエでもわからない場合も多く、開けたばかりのワインだったりすると、わからないことがあるとか?

3~7%って、一生当たらない人もいそう。
こういうのだけは、当たるのね、私。

わからずに飲んでもからだに害はないらしいですが、
そのせいかどうかわかりませんが、その夜、トイレに通うこと5回くらい。
食べたものがよくなかった、としか思えない。
友人と二人、
あこがれだったその店ですが、
これからはやめとこう、という結論でした。

事件の真相2016/03/31 20:00

昨夜寝る前にちょっと、と思って開いた本がやめられなくて、結局、夜中まで読み通すことに。

嘗て、高校生のいじめによる自殺と報道された事件の真相を取材している本です。
なぜ、この本を読んだかというと、事件の真相がマスコミ報道とは真逆である、ということを証した本だと解説に書かれていたからです。



最近の学校にはいじめがある、体育会系のクラブにはしごきがある、いじめに悩んで自殺した生徒が何人もいる、学校は隠ぺい体質で事実を認めない、、、ほんとうにこうしたことが多発しているのでしょう。
だから、上記の本に取り上げられた事件でも、パターン化された思い込みのストーリーが世間を駆け巡ったようです。
でも、実際にかかわった人たち、ごく身近な人たちは、事実は違う、ということを知っています。
事件から遠い人ほど、パターン化された思い込みだけで裁定しがちです。
そして、パターン化されたストーリーに乗っかる「被害者」(この本では実際は加害者)もいます。

人々の思い込みに働きかけて信じさせるのが、一番イージーです。

最近の学校にはいじめが多い、学校は隠ぺい体質である、いじめを認めない教師たちは人権意識が欠落している、、、、

これは流通している思い込み。
このストーリーに乗っかった推理が人々を安心させます。
「そうでしょ、そうでしょ」と、それ以上、考えずに済みます。
新たな責任者を探したり、自分自身をも問い直さねばならないなんて、誰でも不安になり、落ち着きません。
だから、流通しているストーリーが一番、受け入れられやすい。

しかし、上記の本の事件は、「いじめで息子に自殺されたと学校を訴えた母親」の方に問題があることが明らかになっていきます。
身近な人たちには明白な事実なのですが、そこから遠い人ほどその事件の特異性がわかりません。
人々はどこまでも、わかりやすいパターン化されたストーリーにしがみつきます。

なぜ、私がこの本に興味を持ったかと言うと、やはり、流通しているパターン化されたストーリーが人々に難なく信じられ、真相がちゃんと認識されない事件に遭遇したからです。
ちゃんと見れば、わかるけれど、そんなに人々はちゃんと見ていません。
自分に興味のある部分をつまみ食いしているだけで、あとはイージーな既成のストーリーに身をゆだねて判断しています。
どんなに賢明な人でも、この過ちは犯しがちでした。

流通する噂というものも、信じやすいストーリーに沿っていると、人々は思い込みを強化します。

何度か類似の出来事を経験して、
どんなことがあっても、予断や思い込みで事にあたってはいけないと、
肝に銘じておこうと思うようになりました。


「憎たらしいおじさん」補足2016/01/16 08:41

 昨日は言葉が足りませんでした。

 「憎たらしいおじさん」というのは、おじさんが憎たらしい、という意味ではありません。
 世の中には、「憎たらしいおじさん」と、そうではないおじさんがいるように思います。
「憎たらしいおじさん」と私が思うのは、まず「女」をバカにしている人のことです。「女」と見ると、ナメテかかる。だから、「女」が対等にものを言っていると、むかついてくるらしく、余計に尊大な態度をとったり、攻撃的になったりします。

 昔、ある公共施設で市民の会合があったとき、私はたまたまその場のファシリティターのような役割だったのですが、終わってから、一人の年配の男性が私に言いました。
「ここでは、男が差別されている」と。
「???」
参加者は、女性が圧倒的に多かったと思います。でも、男性を差別するような発言もなかったし、はじめ、その男性が言っている意味がわかりませんでした。
で、継続してその人と接する機会があって、「あ」と気づきました。
その人は、「男」であることによって優遇されることが「当たり前」の状況で生きてきたので、その「当たり前」がない会合が、居心地が悪いのでした。
彼が現役だった時代は、女の人は、上座を「男」の彼に譲り、
「男性のご意見を、、、」と意見を聞きたがり、お茶を淹れてくれるものだったようです。それが「当たり前」だったのだと思われます。
そういう光景を、かつて私も見たことがあります。
「男の人は立てといたらよろしい」と、言っている「おばさん」もいました。

が、その会合は、そういうセンスの女性はいなかったので、彼は、その中の「一人」でした。それ以上でもそれ以下でもなく、まったく平等な一員でした。
しかし、それは、優遇されることに慣れている男性には、冷遇としか思えなかったようです。

昔は、「男の一番アホと女の一番賢いのとを比べても、男の方が賢い」というようなアホなことを平気で言うおじさんがいましたが、
近年の大学生は、
「女性の方が賢い」と真顔で言います。
もちろん、適性の多様さや個人差などがあるのですから、どっちの言い分も雑で不正確ですが、時代の流れを感じます。

「女」と見ると、ナメテかかるような人は減っています。全体的に、センスが良くなって、横にいる人をちゃんとリスペクトできる人が増えているように感じています。
でも、まだ、人をリスペクトするセンスを養っていない人にも遭遇します。それが露骨に表れている人が男性に多いように感じられ、そういう人を「憎たらしいおじさん」と表現しているわけで、
決して、男性全般を批判したのではない、という補足説明でした!

一人っ子2016/01/09 09:13

 私の年代で、一人っ子というのはとても少なかったようで、私が一人っ子であることはクラスの誰もが知っている、という感じでした。
小学校時代の友達と会ったとき、私の印象は、
「一人っ子で、いつもきれいな服を着ていて、大事にされている子」という感じだった、と言われました。

 その友人も弟と二人きょうだいなので、そんなに違うものでもないと思うのですが、、、。

 一人っ子でもいろいろあるので、一概には言えないのですが、他人に慣れていない、という共通点はあるかもしれないと、一人っ子の友人たちを見ていて思います。
 その現れ方は様々です。
 甘やかされて育った人は、あんまり他人の気持ちがわからない上に、慮るということもしません。他人が自分に合わせているのさえ、気づかない。もちろん、大人なので、気を使わないといけないとは思っているようですが、見事に的をはずしています。

 また別の友人は、言いたいことを言いたいだけ言います。たぶん、この人は、おしゃべりを遮られたことがないのかなと思います。
でも、大人なので、もちろん、他人のことも気遣います。が、気遣いよりもマイペースが先行して、たいてい、他人を気遣うより、他人に指図する傾向の方が目立ちます。

 私の場合、母も一人っ子なので、二代目です。これもなかなか、難儀です。
 学校に行くと、他の子どもの言っていることもおこなっていることも、わけがわからず、いつも、違う星に置き去りにされたような気分でした。で、それを家に帰って、その心地悪さを母に訴えるのですが、母自身が他の子どものことをわからないので、
「だから、私は友だちはいらんの」と、何の励ましにも助言にもならない返し方をしてくるのでした。
 
 なかなか辛い人生です。なぜなら、他の人にとって当たり前のことがわからない。若い時に、夫が言いました。
「よくそんなに少ない常識で生きてこれたね」と。

 母は、掃除が嫌いで(それは近年気づいたのですが)、私が子どもの頃、お風呂を洗っていなかったようです。
 で、時折、あまりの汚れ方に、私が一念発起して、徹底的に掃除をしたことが何回かありました。しかし、それは、母が掃除をしていないから、とは思っていませんでした。お風呂とは、そういうように汚れるものと思っていました。だから、徹底的に掃除をする日が必要で、それを母がしないので、代わりに私がするしかない、という受け止め方をしていました。
 最近(ほんとうに最近です)、友人宅では、入浴の後、必ず、お風呂を掃除している、と知りました。
「なぜ、毎回掃除するの? わからない」と言ったら、不興を買いました。私は実に素朴にわからないことをわからないと言い、質問をしたのですが、友だちには、その疑問自体が理解できなかったらしく、気を悪くされてしまいました。
 私は汚れが気になってきたら、お風呂を掃除します。そういう向き合い方しか知らなかったわけです。
不興を醸し出しながら、
「毎回掃除をする人もいるし、月に一回の人もいるだろうし、年に一回の人もいるだろうし、それぞれやんか」と友人が言いましたので、生まれて初めて、掃除という行為と風呂場とが結びついたのでした。
 つまり、私には、それらは概念上、結びついていなかったのです。

 この生活概念の形成の未熟さ、というものに私は大人になって、苦しんできた、というわけです。なぜなら、通常、他人がほとんどデフォルトで身につけていることが、欠落していたりするのですから。

 結婚して移り住んだ家を母が訪れて、ベランダをのぞいたとき、私が子どもの運動靴を洗って干していたのを見つけました。
「わたし、あんたの運動靴を洗ったげたことがないねぇ」と、母は言いました。
母がそう言ったので、考えてみると、洗ってもらった記憶がありません。靴とは、汚れてくると、新しい靴に買い替える類のものでした。
母は、運動靴を洗う、ということをこのとき、知ったのだと思います。
私は、ご近所の主婦の皆さんとそれなりに交流していましたから、そこでいろいろ見様見真似で家事をしていたのでした。

 誰もが当たり前のように身につけていることを、身につけていないというのはつらいものです。わからない、知らない、ということを理解してもらえない。
「そんなM吉がかわいいよ」とでも言ってくれる他人に出会えない限り、
(65歳で、それはないか、、、^0^)
この世は、ちょっと生き難い、です。
年をとっても、尾を引いています。

眠れる薬2015/11/09 20:13

 睡眠がおかしいことになってきました。あんまり、睡眠障害をかかえたことはないのですが。
あ、そうでもないか。以前、仕事のストレスで、朝までずっと目を閉じていても脳が覚醒していたことがありました。でも、あれは特殊な状況でした。

 久しぶりに、眠りの少ない状況になっています。
母の介護の頃からちゃんと寝られない状況が続いたので、その癖がついたのかもしれません。
そして、亡くなった日をはさんで前後の数日間は、ほんとうに寝ていなかったです。どうして、自分が生きていられるのかわからないくらい、眠れていませんでした。(意外とからだは持つものですね)

 それ以来の癖なのか、あるいは、最近、過剰にブルーライトを浴びているせいなのか、床に就いても脳が覚醒しています。
眠くて眠くてたまらないのに、床について、ちょっと何かごそごそしたら、脳がきっぱりと起きます。
そして、私には軽い絶望感が、、、。
脳が眠るのをやめたその瞬間がわかるので、「あぁ~、また~」という感じで、絶望的な気分になります。

今日初めて、いつも定期的に受診しているお医者さんに相談しました。
もう、ライフスタイルの改善のレベルではないと思ったので、眠るためのお薬を処方してもらいました。
睡眠薬の類は、初心者です。
「ベルソムラ」というお薬で、まだ新しいものだそうです。

以前、一度だけ、友人に「ものすごくさわやかに眠れて、起きられるから」と、強引なほどに勧められて飲んだお薬がありました。
友人はさわやかに起きられてすっきりしたそうですが、私は、翌日、グダグダになって、使い物にならなくなったことがあります。効きすぎた状態です。
お薬も人による、と思ったことでした。
今回のは、今度の休みの前日、つまり、土曜日の夜までとっておきます。
それまで、グダグダになっている暇はないので、、、。

さわやかにちゃんと寝て、起きたいな~。