高齢者が詐欺にひっかかる一つの理由2022/06/05 18:55

もちろん、ITに疎いとか、判断力が衰えている、とか、
そういうことも要素として大いにあるだろう。

が、大きな問題は、
高齢者が孤独であることなのだろうと思っている

母は、まだマンションに引っ越してくる前、
屋根を直すのに300万円かかったと言っていた。
母屋の屋根ではなく、離れの屋根でもなく、
その間をつないでいる廊下の屋根だけの修繕費用だ。
表通りからも見えにくいそこに業者が入ったらしい。
相場がわからないので、その時は、へえと思って聞いていただけだが、
後から、他の人の屋根の修理の費用を聞いて、
ぼったくられたんだなと思った。
もちろん、大邸宅なんかではない。
浴室とトイレ、簡単なキッチンが並んでいる部分の屋根のさらに一部らしい。
流石に母も、「高すぎる」と思っていたのだろう。
しかし、支払ったのだ。

業者は愛想よくやって来る。
一生懸命、相手になって話してくれるのは、
もはや業者だけだったりする。
子どもも孫も遠方で、近所の人たちも気を使いながらの付き合いだ。
母にすれば、懇意な人がいない中で、
愛想よく、腰低く、一生懸命相手をしてくれる人を、
一時の心のよりどころにしたのだと思う。

なぜ、そう想像するかと言えば、この私もそうだからだ。
誰も私に用はない。
用事はたまにあるから、人との交流がゼロではないが、
しかし、一生懸命、私の相手をしてくれる人はいない。
が、営業の人は、ビジネスが完了するまでは、一生懸命、相手をしてくれる。
ふっと、その相手に癒しを求めそうになることがある。
もし、使えるお金があれば、使うのかもしれない。
癒されるのなら、この孤独がつかの間、薄れるのなら、
そのためのお金は惜しくない、と思える瞬間があるのかもしれない。

お金を差し出すことで、愛想のよい営業パーソンは、さらに喜んでくれる。
喜ばれるなら、
お金など惜しくない、、、。

いやいや、出せるお金のある人は、の話だけれど。
この精神状態にある人は、出せる程度のお金なら、簡単にひっかかる。
ひっかかるのでさえ、ないと思う。
差し出しているのだ。
つかの間、孤独を忘れるために。

相手に喜んでもらいたいから、邪魔をされたら、怒るだろう。
それは「詐欺」で、相手は自分に一片の情もない、という事実に、
ハッと気づけば戻って来られるが、
騙されたとしても、喜んでもらえたなら、と自分に納得させるかもしれない。
「詐欺」かもしれないけれど、ひっかかりたいことだってあるような気がする。
関わってくれるのだもの、自分に。
誰もが見捨てた自分に目を向けてくれたのだもの。

そういう境涯にいない人にはわからない心境だろうが、
誰かが関わってくれるのを、高齢者は待っているのだ。

これは、家族がもっと関わってやれよ、という話ではない。
そこに解決策を持っていくのは、問題のすり替えだ。
大家族の時代から、核家族の時代へ、
そして独居の時代へ、
社会の風景は変わっていく。
現役を退いて、だが独居が可能な高齢者が孤独に陥らない交流の手段が必要になっている。
今の居住形態はドアを閉めれば完全に一人ぼっちの世界になる。

昔のように、縁側から近所の人が入ってくる時代ではない。
いや、それが煩わしいから、都会のマンションが好まれたのだ。
しかし、鉄の扉で外部から遮断される意味を、社会は考えてこなかった。
思いのほか、高齢者は長生きをするし、
問題は山積している。

まあ、私に知恵はないけどね。

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