弱い個体2022/01/05 12:49

新しい年が明け、6回目の干支だ。
思えば、遠くへ来たものだ。
年賀状を止めた人も結構いるし、私の年賀状も、今回も遅い投函なので、早くは着いていないだろう。

人とのつながりも、細くなっている。
仕事も終わる。
だんだん、人生の風景が物悲しいものになる。

で、ふと、来し方を振り返り、人生を見通すと、
今、生存できているということが不思議なほど、自分というものが、
脆弱な個体であったことをしみじみ思うのだ。

友人とのちょっとした違いにも、生命力の違いを感じる。
エネルギッシュな義姉などを見ていると、「丈夫やなぁ」と舌を巻きたくなる。

心身共に、丈夫ではない。
それでも、ここまで生き延びた。
もっと早くにさっさとこの世に見切りをつけた友人たちもたくさんいる。
思いのほか、私はしぶとかった。

が、それは、ドッジボールで下手くそ過ぎて、全く狙われなかったから、最後まで生き延びた鈍くさい昔の自分の姿と重なるものでもある。

心身共に脆弱と書いたが、
一方で、怒りや闘志がないわけではない。
いつも負けているばかりではない。
怒りに燃えて闘ったこともある。
が、その分、傷も負っている。一生傷もある。

まあ、そう思うと、いつもいつも負け戦だったわけでもないか、
やられっぱなしだったわけでもないか、と思い直せる。
「あなたは強いよ」と、言う友人もいるから、まぁ、弱いだけではないと言えるのだろう。

弱すぎると、子どもたちがかわいそう、と思って頑張った時期もある。
負けてばかりでは、この子たちを守れない、と結構、健気に気持ちを奮い立たせた時期もあった。

今、ここで自分が頑張らなければ、
自分で自分を見捨てるようなものだと、立ち上がっていた時期もある。

気が強いわけでも、厚かましいわけでも、
世の中を舐めているわけでもない、
ただ、気がついたら、荒波に漂っていて、
頼れる船が通りかからない孤独の中で、
しかし、救命胴着を着ていたらしく、何とか生き延びたのだ。
遠くに灯台の明かりも見え、頼れる船も航行しているのが見える、地獄ではない、と思えたことが私を支えたのかもしれない。
そして、漂着した陸地は、思いのほか温暖で、私を生かした。

生き延びた。
どうせ、生きるなら、励みになるものを近くに感じて生き延びようと思っている。

雪中で、犬と一緒に、孤独なキャンプをする人の動画などに、
吸い寄せられるように見入る。
この沈黙の中で、逞しくサバイブする人の動画を観て、
なんだか、絶望しないで済む自分を感じる。
一人っきりで(犬はいるけど)、誰とも話さず、過酷な自然の中で、キャンプをする人の黙々とした動きを見ると、それだけで、生きていることが辛くなくなる。

強くはないが、まだ、希望を捨てていない孤独な個体だ。
弱い個体だが、私程度の弱さだと、ある程度、生き延びられる時代状況であった。
時代や地域が違えば、とうに終わっていただろうささやかな個体だ。

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