反省しない人2020/05/25 10:00

22歳の女性プロレスラーが、SNS上での激しい攻撃を受けて、
亡くなった(たぶん、自殺)ということが話題になっている。

こういう報道に接するたびに、深く切り裂かれた自分の心の傷が疼く。

もう、10年以上前の出来事であるのに、悲しいこと、辛いことがあるたびに、
自分にとって、人生を変えたその事件に舞い戻る。
まだ、SNSは発達していなくて、
集団内のMLに嘘八百を流され、そこからセレクトしたものを、
誰にでも公開のホームページにさらされた。
実名で、私が、金と名誉にしがみついて職を手放さないために、
不誠実なことをおこなった、と、何人かの人が書き立てた。
私はすでに退職願いを出して受理されていたのに、
その事実を知らない人たちが、憶測で誹謗中傷に明け暮れた。

私が、その人たちの思惑通りに動かなかった、という、
ただその一点を持って、私を敵と決めたのだ。
日頃の不満がたまっていたのか、何かぬぐえない不遇感をかかえていたのか、
とにかく、その人たちのうっぷん晴らしのターゲットになってしまった。

私を知らない人はその嘘の噂を信じたが、
昔から私を知っている人たちは、
その悪意の噂の方を信じないでいてくれた。
およそ、私らしくないから違うだろう、と思ってくれたのだ。

いろいろ、身の潔白を証明するために、私も動いたし、
私を信じて、何が正しいかを検証した人たちもいた。
中には、自分たちの暴走に気づいて、検証作業に入った人たちもいた。

が、どうしても、反省などしない人たちがいた。
ほんの数人だ。
一旦こうと決めたら、自分たちの過ちを認めない、
どのようにこちらが論証しようとも(論証は可能だった)、
絶対動かない人たちだ。
証拠を積み上げてシャープに理論武装してくれる人たちに、
ある日、疲れ果てた私は言った。
「何をどのように言っても、あの人たちは、理解しないのではないでしょうか。理解する力がないのではないでしょうか」と。

この時に言った「理解する力」というのは、自己を相対化する力だ。
自己を相対化する覚悟だ。

どこまでも自己正当化を貫こうとする人たちとは、
議論はできない。
自己を正当化して、自分の尊厳を保持することに命がかかっている人たちだ。
これを譲ったら、自己崩壊する、というような無意識の危機感を持っていて、
最初に思い込んで発信した自説を貫き通すしかないのだ。
間違っていたかも? と一瞬思ったかもしれないが、
その時は、こう主張する。
「あの当時のM吉氏は、公人なのだから、何を言われても仕方がなかった」と。
「自分が言った」というような構文ではなく、
いつの間にか、「言われても」と、主語は私になっている。

「私は、声を大にして言います」という構文だったのが、
「あの人は、何を言われても仕方がない」というように、
主語を変えることによって、自分の責任をはずす。
これも、無意識の行為だ。

こうした無意識の人と、意見の交換はできない。
はじめに自説ありき、だから、
金輪際、修正されない。

今回の若い人が自殺に追い込まれたSNSの発信者も、
同じような人が多いと思っている。
テレビ番組のあるコメンテーターが、
攻撃をした人のなかにも後ろめたいと思う人はコメントを削除していた、と言っていたが、
私は、もはやそんなお人好しな感想は持てない。
コメントを削除した人は、ヤバいと思ったので削除したと思っている。
自分に矛先が向くのをヤバいと思っただけだと。
コメントを削除しないようなタイプの人は、自分が正しいと思っているから、結果の如何に関わらず、初志を貫徹するのだ。

こういう人の辞書には、「反省」という言葉はない。
常に自分は正しいから、自分以外の何かが悪いという理屈を展開する。
こういう人は、命がけで自分の「正義」を守ろうとするのだと思う。
それは、どのように歪んでいても、どんな結末をもたらそうとも、
変わらないのだと思う。

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