中立ということ2019/01/06 18:44

中立が成り立つと思っていた頃もあった。

が、今は、それは難しいとわかる。
大人になったねぇ、、、。
そりゃぁ、そうだ、68歳だもんねぇ。

もうくたばりかけてる年に、やっと大人になってきた、のか。

最後まで少女のようだった母も、それなりにおばあさんだった。
その人なりに年を取る。
私も私なりに年を取った。

そして、中立でありたいと思っていた頃の幻想を苦々しく思い返す。
公正、中立、、、そんなものは概念であって、
成立不能なのだ。
そのことを生まれつきわかっているような人もいて、
そういう人は、初めから、中立も公正も志さない。
初めての集団に入ると、すぐに様子を見るそうだ。
そして、その集団の傾向や癖や力関係を見極めるそうだ。

でも、私から見ると、その人の行動基準が何なのかがわからない。
いつも、ころころ態度が変わるのであれば、信用さえできない。

中立、公正をめざして、やがて挫折して心ならずもどこかに寄ってしまう方が、まだましな気がする。

刀折れ、矢尽きた感じがしている。
いろいろあって、疲れた人生だ。
もともとの養育環境の影響が大きいのかもしれないが、
タフではない。
タフではないが、弱さを武器にする気ははなからない。
だから、余計、あたりがきついんだろうね。

時計をいくら巻き戻しても、同じようにしか生きられなかったと思うから、
残りの人生を、すごく孤独に、地味に、生きて行こうと思っている。

てか、これが、年頭所感とは、、、。