ポリティカルな表現ということ2018/11/14 10:36

昨日、漫然と観始めたNetflixの番組が面白くて、とても印象深かったのでご紹介します。
社会を教えている友人にもLineで紹介。
下ネタもあるから、授業でそのままは使えない(^^)

いろいろ、多面的な意味で面白い。

『ジョン・レグィザモのサルでもわかる中南米史』という番組。
スタンドアップコメディなのだが、
もろポリティカル。
もう、どうしようもなくポリティカル。
それが、実に爽快なのだ。

本人がコロンビア出身で、アメリカ合衆国で差別を経験してきたことを、
コミカルなネタにして、会場で大受け。
オーディエンスは、同じ境遇の人たちなのだろう、拍手が沸き起こったり、どっと笑い声が起こるのも、
気持ちがわかる感じがして、感動すらする。
本人曰く、あまりにも会場で受けるので、
「同じジョークを、(白人だらけの)テキサス州の会場で言ったら、アウエーだった」とのこと。
これもまた大受け。

知らない人名が多々出て来るので、
わからないところもあるのだが、
政治史で登場する人名はある程度聞き知っている。
コルテスとかピサロとか。
詳しくは知らないのだけど、そこをとても概略的に、
比喩を沢山使って、シンボリックな話し方をする。
その背後に、差別への抵抗感が力強く流れている。

ラテン系の人たちは、日本人にはとても魅力的に見えるのだけど
(ん? 私だけ?)、
アメリカでは、黒人差別よりもさらに見えにくい差別がある、とのこと。

日本にも、わけのわからない「ヘイト」「差別」というものは、昔からある。
昨今は、人権擁護の風潮が強まり、かえって、それに反発する人も目立つ。
しかも、ええかげんにせぇと言いたくなるほどの若者世代のノンポリぶり。
昔はノンポリの中にノンセクトでラジカルな人もいたけど、
昨今の若者は、ほんとに、政治に疎いやつらが多い。
いや、若者だけではないようだけど、、、。
もちろん、ノンポリとは言えないけど、考えないで流される保守も嫌いだ。

日本でも、もちろん、ポリティカルな表現を続ける演技者はいる。
が、メジャーではない。
小ホールで、細々と続けている。
宣伝も行き渡らない。
友人の一人がずっと一人芝居などをやっていて、
ポリティカルな表現を続けているが、
先日の公演で「引退する」とのこと。
もっとやってよ、と友人たちで言っていたが、
「一区切りやねん」とのこと。
アカン、まだ、やってほしい。
声も出ている、判断もシャープ、貴重な存在なのだけど、、、。
続けてほしい。
また、説得してみようかな。
でも、マネージャーみたいなことを引き受ける気でないと、
無責任にけしかけるだけでもいかんし、、、。

しばらく前に、痛快な政治的ネタをやった漫才コンビのウーマンラッシュアワーも干されたのか。
これで干されるって、本当に、日本の芸能界って、狭量で小心者ばっかりの集団なのか。
まだ村八分の風習の残っている国なんだね。

個人的な出来事でももやもやすることが多く、
社会の風潮にももやもやが強まる。
もやもやしてても始まらん。
なんとか、行動に変えよう。

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