悪い癖 ― 2018/10/02 16:08
私にも悪い癖はあるのだろうけど、
他人の癖はとても気になる。
硬派な映画を午前中に観て、
午後は、私は前からチケットを買っていたのでコンサートに。
友人は、ちょうど、読みたい物があるので、
その間喫茶店で読んで待っとく、とのこと。
じゃあ、合流して夕食を食べよう、と一旦別れた。
コンサートは、もう、、、すごい素敵だった。
ヴァイオリン協奏曲4曲。
ソリスト大谷康子さんが、全曲弾く。
だいたい、こういうコンサートでは、ソリストは一曲だけ演奏して帰ってしまうのに、
最後のアンコール曲まで、すごいサービス。
トークも入る。
いつもの定例演奏会なのに、ものすごく得した感じだ。
大谷康子さんは、年齢は伏せているが、
デビュー43年というから、もうベテランだ。
でもスリムで美しい。
しかもこういう女性は、だいたいどの業界の人でも、
ベテランの貫録みたいなものが備わって来て、なんとも魅力的だ。
しかも、この人は、エンターテイナーとしての心掛けがすごくて、
観客に大サービス。
テレビではよく見かける人だが、生はさらにすごくて、
舞台のすばらしさに酔いしれた。
幸せいっぱいの気分。
で、幸せなひとときが終わって、
終了時間も思ったよりのびて、友人に連絡を取って合流。
友人は違う時間を過ごしている。
ふだん、別種の仕事をしているので、論文などを読む時間がない。
で、久しぶりに読んだ論文に興奮していて、
会うなり、演説。
長広舌。
だんだん辟易してきて、
「それ、私に教えようとしてる?」と、ノッてる友人に聞く。
そのあたり、私の守備範囲だから、そんな演説されても、、、と、
ナイーブすぎる展開にもイライラ。
論理がおかしいよ、、、。
「ちゃんと○○さんの論文読んだ?」
「あ、今私が言ってるのとは、ちょっと違うテーマなんだけど、触発されて、いろいろ考えた」とのこと。
まぁ、学生のチャチな文章を読まされることには慣れているけど、
友人は、かつてしっかりした博論も書いている。
どうしたんや・・・
気を悪くしないように、どう反応しようかと暫く考える。
「それはだいぶん論理に飛躍があるね。
もっと多層構造になっていると思うよ」とおそるおそる言ったら、
「多層構造」でいきなり納得してくれた。
ここが学生と違うところ。
そうか、、、自分を取り戻してくれたか、、、とホッとする。
熱くなるんだろうな。
ほんとうはもっと耽溺したい世界なのに、ふだんは、そうではない仕事に追われる。
だからどんどん、学問の世界から置いていかれる。
私たちは食うために、時間をささげている。
やっと、自分の時間を取り戻したころには、若い頃の探求心や勉強を積み重ねる活力が衰えている。
私はマイペースなたちなので、論文なんてこりごり、と思うのだけど、
(そう言えば、友人もそう言っていた^^)
でも、自分の心惹かれる分野に身を置いていられたら、もっと納得できる人生だったのにと、友人は思っているようだ。
でも、その演説はかなんなぁ、、、。
友人は一つの問題をめぐって思考を持続させるタイプではない。
軸が定まらないと言うか、クライテリアがぐらつくと言うか、、、。
勉強好きなのに、惜しい。
実務に追われる仕事に、時々焦りが生まれるのだろう。
だが、今のその演説内容は、浅薄に過ぎるよ。
人生の終盤、私も私なりの最終ステージに希望はある。
ひっかかっているいくつかを文章にまとめておきたいと思う。
隠蔽されてきた事象の核心を書いておきたいと思っている。
友人はそうしたフォーカスするテーマがないので、考え詰める、ということができないのかなぁ。
定年退職したら、もう一つ、論文を書きなさいと勧めてみようかな。
語弊ありまくり、偏見ありまくりの表現をすると、
思考が一つのテーマに収斂しないのなら、
課題を設定して、他人の論考を咀嚼しながら、
論文を書くのがよいのだろうと思う。
友人はそういうのが合っている気がする。
他人の癖はとても気になる。
硬派な映画を午前中に観て、
午後は、私は前からチケットを買っていたのでコンサートに。
友人は、ちょうど、読みたい物があるので、
その間喫茶店で読んで待っとく、とのこと。
じゃあ、合流して夕食を食べよう、と一旦別れた。
コンサートは、もう、、、すごい素敵だった。
ヴァイオリン協奏曲4曲。
ソリスト大谷康子さんが、全曲弾く。
だいたい、こういうコンサートでは、ソリストは一曲だけ演奏して帰ってしまうのに、
最後のアンコール曲まで、すごいサービス。
トークも入る。
いつもの定例演奏会なのに、ものすごく得した感じだ。
大谷康子さんは、年齢は伏せているが、
デビュー43年というから、もうベテランだ。
でもスリムで美しい。
しかもこういう女性は、だいたいどの業界の人でも、
ベテランの貫録みたいなものが備わって来て、なんとも魅力的だ。
しかも、この人は、エンターテイナーとしての心掛けがすごくて、
観客に大サービス。
テレビではよく見かける人だが、生はさらにすごくて、
舞台のすばらしさに酔いしれた。
幸せいっぱいの気分。
で、幸せなひとときが終わって、
終了時間も思ったよりのびて、友人に連絡を取って合流。
友人は違う時間を過ごしている。
ふだん、別種の仕事をしているので、論文などを読む時間がない。
で、久しぶりに読んだ論文に興奮していて、
会うなり、演説。
長広舌。
だんだん辟易してきて、
「それ、私に教えようとしてる?」と、ノッてる友人に聞く。
そのあたり、私の守備範囲だから、そんな演説されても、、、と、
ナイーブすぎる展開にもイライラ。
論理がおかしいよ、、、。
「ちゃんと○○さんの論文読んだ?」
「あ、今私が言ってるのとは、ちょっと違うテーマなんだけど、触発されて、いろいろ考えた」とのこと。
まぁ、学生のチャチな文章を読まされることには慣れているけど、
友人は、かつてしっかりした博論も書いている。
どうしたんや・・・
気を悪くしないように、どう反応しようかと暫く考える。
「それはだいぶん論理に飛躍があるね。
もっと多層構造になっていると思うよ」とおそるおそる言ったら、
「多層構造」でいきなり納得してくれた。
ここが学生と違うところ。
そうか、、、自分を取り戻してくれたか、、、とホッとする。
熱くなるんだろうな。
ほんとうはもっと耽溺したい世界なのに、ふだんは、そうではない仕事に追われる。
だからどんどん、学問の世界から置いていかれる。
私たちは食うために、時間をささげている。
やっと、自分の時間を取り戻したころには、若い頃の探求心や勉強を積み重ねる活力が衰えている。
私はマイペースなたちなので、論文なんてこりごり、と思うのだけど、
(そう言えば、友人もそう言っていた^^)
でも、自分の心惹かれる分野に身を置いていられたら、もっと納得できる人生だったのにと、友人は思っているようだ。
でも、その演説はかなんなぁ、、、。
友人は一つの問題をめぐって思考を持続させるタイプではない。
軸が定まらないと言うか、クライテリアがぐらつくと言うか、、、。
勉強好きなのに、惜しい。
実務に追われる仕事に、時々焦りが生まれるのだろう。
だが、今のその演説内容は、浅薄に過ぎるよ。
人生の終盤、私も私なりの最終ステージに希望はある。
ひっかかっているいくつかを文章にまとめておきたいと思う。
隠蔽されてきた事象の核心を書いておきたいと思っている。
友人はそうしたフォーカスするテーマがないので、考え詰める、ということができないのかなぁ。
定年退職したら、もう一つ、論文を書きなさいと勧めてみようかな。
語弊ありまくり、偏見ありまくりの表現をすると、
思考が一つのテーマに収斂しないのなら、
課題を設定して、他人の論考を咀嚼しながら、
論文を書くのがよいのだろうと思う。
友人はそういうのが合っている気がする。
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