もう20年遅く生まれたかった、、、 ― 2018/02/26 09:48
先日、夫を亡くされて寂しい思いをしていると寒中見舞いをくださった、
88歳の尊敬する友達Yさんを訪ねた。
いっしょにランチを食べ、たくさんおしゃべりして、
Yさん宅を辞するときに、急に、
「もう20年、遅く生まれたかったわ」と言われた。
「そうしたら、大学に行って、もっと深く勉強できたのに」と。
「でも、そんなこと言っても仕方ないわね」と笑っておられたが、
痛く、胸に刺さるようなことばだった。
その人の生育環境から考えても、
時代が違えば、確実に大学に進学して、
優秀な実績を残しただろう人だ。
でも、彼女の時代には、女性が大学に進学することなど、
ほとんどなかった。
もちろん、一部の上流階級の娘たちは、
戦前も大学に相当する高等教育機関などで学んでいるが、
(中には留学する人などもいたが)
高等教育が一般化するのはもっと後だ。
今、大学進学率は50%を超えている。
今の若い人が大学に通いながら、
全然勉強をしないのを見て、
Yさんが複雑な思いをしているだろうことはよくわかる。
ある英語の先生が愚痴っていた。
「授業態度のものすごく悪い女子学生がいるんですが、
そんなに勉強が嫌なら来なければいいのに、
でも大学に来るのは楽しいらしいんですよ」と頭をかかえておられた。
「授業さえなければもっと楽しいのに、って思ってるんでしょうね」と、
反応したら、笑っておられた。
そのような今の状況もYさんには見えているだろうし、
勉強好きのYさんは、もっともっと深く学びたいことがあるのだろう。
好奇心や探求心が、ますます旺盛になっておられる感じがする。
人生の残り時間を考えると、口惜しいだろうなぁと想像する。
私の母も、年を取ってから、宿題をやっていない夢ばかり見る、と
ある時言っていたが、
残り少ない人生で、やり残したことをやる時間が残っていない、
というような何か焦りのようなものがわいてくるのだろうか。
もう思い残すことがない最期って、どんなだろうか?
母は、最後の方は、そのようなことをもう言わなくなっていた。
考えても詮無いことは考えないことにしたのだろう。
母は、いろいろなことを諦めて、心の平和を保っていたような気がする。
手に入らないものはいくら望んでも手に入らない。
だから、諦める、のだ。
Yさんは、私たちの業界やネットワークでは、十分に活躍してきた人だ。
市民活動のリーダーだった。
が、それでもローカルな話だ。
Yさんの文学への造詣の深さを思うと、
大学へ行って、体系的に学びたかった、
大学院に行って、研究に打ち込みたかった、と思われるのだろう。
単なる博識・博学の人でいるのではなく、
きっと極めたいことがあったのだろう。
Yさんが研究の道に進んでいれば、きっと貴重な成果を残されただろうと思う。
それが世の中に生み出されなかった、ということなのだ。
やり残したことはたくさんあるのに、
人生が残り少なくて、もうやれることはほとんどないと、
感じておられるようだ。
特に夫を亡くされて、自分の「死」というものをしみじみ感じておられる空気が伝わってくる。
お元気で活動的でずっと現役だったから、
88際の今、人生の冬の到来を味わっておられるようだ。
88歳の尊敬する友達Yさんを訪ねた。
いっしょにランチを食べ、たくさんおしゃべりして、
Yさん宅を辞するときに、急に、
「もう20年、遅く生まれたかったわ」と言われた。
「そうしたら、大学に行って、もっと深く勉強できたのに」と。
「でも、そんなこと言っても仕方ないわね」と笑っておられたが、
痛く、胸に刺さるようなことばだった。
その人の生育環境から考えても、
時代が違えば、確実に大学に進学して、
優秀な実績を残しただろう人だ。
でも、彼女の時代には、女性が大学に進学することなど、
ほとんどなかった。
もちろん、一部の上流階級の娘たちは、
戦前も大学に相当する高等教育機関などで学んでいるが、
(中には留学する人などもいたが)
高等教育が一般化するのはもっと後だ。
今、大学進学率は50%を超えている。
今の若い人が大学に通いながら、
全然勉強をしないのを見て、
Yさんが複雑な思いをしているだろうことはよくわかる。
ある英語の先生が愚痴っていた。
「授業態度のものすごく悪い女子学生がいるんですが、
そんなに勉強が嫌なら来なければいいのに、
でも大学に来るのは楽しいらしいんですよ」と頭をかかえておられた。
「授業さえなければもっと楽しいのに、って思ってるんでしょうね」と、
反応したら、笑っておられた。
そのような今の状況もYさんには見えているだろうし、
勉強好きのYさんは、もっともっと深く学びたいことがあるのだろう。
好奇心や探求心が、ますます旺盛になっておられる感じがする。
人生の残り時間を考えると、口惜しいだろうなぁと想像する。
私の母も、年を取ってから、宿題をやっていない夢ばかり見る、と
ある時言っていたが、
残り少ない人生で、やり残したことをやる時間が残っていない、
というような何か焦りのようなものがわいてくるのだろうか。
もう思い残すことがない最期って、どんなだろうか?
母は、最後の方は、そのようなことをもう言わなくなっていた。
考えても詮無いことは考えないことにしたのだろう。
母は、いろいろなことを諦めて、心の平和を保っていたような気がする。
手に入らないものはいくら望んでも手に入らない。
だから、諦める、のだ。
Yさんは、私たちの業界やネットワークでは、十分に活躍してきた人だ。
市民活動のリーダーだった。
が、それでもローカルな話だ。
Yさんの文学への造詣の深さを思うと、
大学へ行って、体系的に学びたかった、
大学院に行って、研究に打ち込みたかった、と思われるのだろう。
単なる博識・博学の人でいるのではなく、
きっと極めたいことがあったのだろう。
Yさんが研究の道に進んでいれば、きっと貴重な成果を残されただろうと思う。
それが世の中に生み出されなかった、ということなのだ。
やり残したことはたくさんあるのに、
人生が残り少なくて、もうやれることはほとんどないと、
感じておられるようだ。
特に夫を亡くされて、自分の「死」というものをしみじみ感じておられる空気が伝わってくる。
お元気で活動的でずっと現役だったから、
88際の今、人生の冬の到来を味わっておられるようだ。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。