愛を乞う人2017/01/16 17:12

つい先日、テレビドラマで、
篠原涼子主演の「愛を乞う人」をやっていた。

全部観たわけではなく、
たまたまテレビをつけたら、それらしいシーンに遭遇して、
「おや、これは? 俳優は違うけど、「愛を乞う人」のようだ」と思い、
番組詳細を確認して、やっぱり、という感じだった。
1シーンを見てすぐにわかったのは、
かつて、原田美枝子主演のこの映画を何度観たかわからないくらい、観たからだ。
なぜ購入したのかも忘れたのだが、VHSを持っていて、
戦後の街の風景や、虐待のすさまじさや、すさんだ女性の描き方など、
強烈な印象に圧倒されていた。

授業でも何度か使ったことがあるのだが、
心理学系の授業でも観せていたらしく、
知っている学生も結構いた。

戦後という時代背景も心理的状況も、尽きない興味に誘われるのだが、
そして当然、下田治美さんの原作も読んだのだが、
(だいたい、映画化された作品は原作より劣るという印象を持っているが、これは、映画化されてもレベルが落ちていないと思った)
そもそも小説なので、私が求める解説には至っていない。
ますます、謎が深まり、強烈な印象を残し続けているのだった。

その下田治美さんについて、検索をかけたが、やっぱりよくわからない。
そして、もう亡くなっておられる。

エッセイをいくつも書いておられるようだが、
あの作品の背景につながりそうもないので、隔靴掻痒の感じである。

その関連で思い出すのは、
大杉栄と伊藤野枝の遺児、伊藤ルイさんの著作の中の数行である。
連想ゲームのように、この映画のことを考えると、必ず、つながって思い出す。
伊藤ルイさんには、生前、一度だけお目にかかったことがある。
仕事の関係で、すれ違った程度の出会い方だったが、
その流れでこの方の本を読んだ。
そこに書かれていたわずか数行が長く心に残っていた。
ルイさんを育ててくれた祖母の家には、他にも自分の「いとこたち」だったか二人の子どもが引き取られていたが、
幼い頃に亡くなったというのだ。
その頃、祖母が言っていたのは、
「こういう子は」(生まれながらに親の情を受けていない、と言うような意味)、
「よう、生きられん」というようなことを言っていた、というのがあって、
(だいぶん、記憶が薄れている。読み直してみればいいのだが、その本が今どこに置いてあるのか、探すのは大変そうだ)
それが忘れられなかったのだ。
生まれながらに幸薄く、生命力のようなものがひ弱いので、
長く生きられない、という意味だったと思う。

「愛を乞う人」を書いた下田治美さんの心象風景をもっと見てみたいと思うのだが、
亡くなられたと知って、それも息子さんのことで訴訟を起こした、と言うような事件が検索で出てきて、
人の生命力の強さや弱さが何に由来するのかは、一概に言えないにしても、
何か、そのはかなさを感じてしまうのだ。

もう私の周りの年の変わらない人たちが何人も鬼籍に入っている。
はかなさと切なさを味わいながら、
自分の残り時間を、ふと数えてしまうこの頃。

まぁ、意外と強靭であった、という総括になるのかもしれないけれど。

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