そこに行かなければ見えないこと2015/10/08 21:21

 若い時は、ずいぶん不遜であったと思います。いえ、私はそんなに自信に満ち溢れたタイプの若者ではなかったはずなのですが、それでも、今思えば、不遜であったと思います。

 自分の思考の範囲内で考えつくことが全てだと思えているので、他の人の考えを聞いても、その自分のレベルで裁定していたのでした。自分の思考に限界があると思い定めることもできず、、、。

 50歳代に入ってから、短期間ですが、ヘッドハンティングで就いた職は某組織の管理職でした。市長などとも懇談する立場です。組織のすべての出来事が、私の裁量範囲です。 (むろん、実質的にはそうはいきません。陰で暗躍する人たちがいて、一筋縄ではいきません。)ただ、建前上、組織は私が統率します。責任者は私です。部下がどんなミスをしようと、最終的には私の責任です。

 その時、思ったのは、ポジションによって、見える風景が違うのだということでした。職務上でつきあう相手が変わります。すべてが、他の組織の管理職です。(まぁ、私の場合、相手はおじさんばっかり、ということですが。)
 当時、30歳代の男性の部下がいました。とても有能な人です。私はこの人にずいぶん助けられました。で、その賢さに感服していて、ふと思い出しました。
 そう言えば、私も30歳過ぎの頃、とても賢かった、と。

 そうなんです。30歳代は、組織の中で賢くふるまえる場合があったのでした。なぜなら、立場は「部下」。責任は取れません。責任を取らないゆえの身軽さ、気の楽さ、自由さ。それが、私をのびのびさせていて、30歳代の頃、今思えば、とても良い仕事ができていました。
 上司といえばだいたい50歳代。上司に、
「あなたはほんとに賢い人だから、若いというのを忘れて、頼ってしまうわ」と言われるくらい賢くふるまえました。時には、上司が、同世代の同輩の愚痴を言うのにつきあい、時には「あなただけはわかってくれる」と、弱音を吐く上司の慰め役も。

 なぜ、そんなことができたのかと言えば、ただ、責任がなかったから。自分のやったことの責任は取りますが、それ以外に責任がなかったのです。

 でも管理職になったら、そうはいかなくなりました。自分のことにかまけている余裕はありません。常に、全体の動きを見ている立場になります。すべての上部団体や外部との交渉ごとの最終責任を取ります。私の後ろには、組織と、そこで働く人たちがいます。この人たちを守る責任があります。組織内のことも組織外のことも、すべての責任は、私にあります。

 自分さえ正しいことをしていれば、、、というようなそれまでの人生観がまったく通用しない世界に入ったのでした。しかし、自分とまったく違う価値観に魂を明け渡すわけにはいきません。自分の信じる道を、だけど、自分の後ろにいる人たちのために、身を賭してがんばるしかない立場です。しかも、その守ろうとする人たちの中には、後ろから私を攻撃してくる人もいる、というのが実情です。前を向いて闘いながら、後ろから石を投げられる悲しさは、筆舌に尽くせません。
 これは、同じような立場の人でなければ、わからない苦労でしょう。

 他の多くの女性同様、私も「部下」である時代が長かったので、そのような管理職の苦労を知りませんでした。責任のない場所で、言いたい放題。
 でも、今は自分の見てきた世界の苦悩はある程度わかるように思います。 そして、それを見ていない人がわからないのも、わかります。そのポジションに就いて、初めて見えることがあるのですね。

 「偉い人」には従うものだと思っている人が大半だった時代は、管理職はストレスの少ないポジションだったそうです。今は、昇格すればするほどストレスが増えると言います。

 そこに行かなければ見えないことはたくさんあって、そこに行っていない人が、そんなにイージーに裁断してはいけないなと、これは自戒もこめて思っていることです。

 そして、さらに思い出すのは、母の消してほしかったもの。寝たきりの母の場所からしか見えない「何か」があって、母はそれを消してほしかったのでしょうね。思い出すと、胸がぎゅっと痛むのは相変わらずです。

 努々、他の人を勝手に想像して裁定してはいけないと、改めて思うこの頃です。