お迎え神話2015/07/13 09:29

 母が死期が近づいてから、記憶が錯綜しているのかと思うようなことを時々言っていました。元気な時から、記憶の時系列が怪しくなっていたのですが、それがかなり進んだ状態。
 こちらが困るというほどではありません。ただ、「え?」と思うような発言をしていました。この言葉は、母のボキャブラリーにはないはずだ、と思うようなこともありましたし、胸が痛かったのは、寝たきりになって間もない頃、
「お父さん、怒ったはるわ」と言ったこと。
 文脈や母の今までの言葉の世界から推測するに、たぶん、それは、父が呆れているだろう、とか、困った奴だ、と母のことを思っているだろう、ということです。
 母はよく「怒ったはる」とか「怒られた」と言いますが、これは京都の年配の女性たちがよく使う表現で、「不興を買っている」という意味になります。父は、滅多なことで母を叱ったりしなかったし、ほんとうに「怒る」ということとは違うでしょう。

 で、入院してから、ますます現在の状況とはかけ離れたことを言い出していました。
「半分、ほかして」と言うので、(ほかすは、捨てる、という意味の方言です)
「何を半分、ほかすの?」と尋ねると、
「練炭」という返事。練炭を買っていたのは、私が小学生の頃までだと思います。それから、
「半分の10分の1にしといて」と言い直していました。10分の1という言い方が母らしいです。曖昧にしないで、明瞭に数値を言います。

 お医者さんにその話をしましたら、
「たいていの人は、死への不安を緩和するために、いろいろなことを言います。お迎え神話もそういう働きでしょう。亡くなった人が迎えにきた、とかお釈迦さんが来られた、というようなことをおっしゃいます」と、言われました。
「お迎え神話」ということばを初めて聞きましたが、「なるほど」と思いました。自分が迎える終末の不安と向き合うよりも、より良き状況を想定する方が不安や恐怖がやわらぐというのはわかる気がします。
心の防衛機制なのでしょう。
人は最後まで自分と闘わねばならない。
その孤独な闘いを、こうして乗り越えようとするなんて、最後まで精神的な存在なのだなと改めて思いました。

 無益な延命措置はしないと医師と合意していましたが、盛んな精神活動が見てとれる間の見切りは困難です。人の生の終わりをどこで見切るか、どこで区切りをつけるのか、この度、考えることがたくさん生じました。医療的観点からの判断ではなく、個人的なつながりのあった者が見切るむずかしさです。

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