母の入院 ― 2015/04/08 11:19
母が昨年入院していた病院に再入院しました。今度は、以前よりもよくない状況です。
もともと訪問看護師さんとケアマネージャーさん、ヘルパーさん、皆が心配していました。
看護師さんはやっぱりすごいなと思います。
最初、浮腫があまりにもひどい状態だから、病院を受診した方が良い、という看護師さんの助言を受けて、近所のかかりつけ医を受診、そこの紹介で昨年入院していた総合病院を受診しました。が、お医者さんはクレアチニンの数値(一週間前の検査結果)がそれほど高くないから、投薬で様子をみましょうということで帰宅しました。
が、看護師さんはまだ心配されていました。訪問日でない日にも、来てくれていました。
そして、受診の5日後、朝、訪問看護師さんから、「チャイムを押しても、返事がない」との連絡を受けて、駆け付けて、家に入りましたら、リビングで母が倒れていました。
「お母さん、お母さん!」と呼ぶと、「はい」という返事。でも、声音もおかしい。看護師さんが救急車を呼んで、病院へ搬送。
結局、その後、婦人科の主治医から受けた説明では、担ぎ込まれて来た時点で、クレアチニンの値が異常に高かったとのこと。
内科のお医者さんは数値で判断されましたが、看護師さんは、常に、母の顔色、話し方、浮腫の状態など、生身の母を見てくれています。
夫の時にも、主治医の若い医師が、夫自身と向き合わないで、PCのデータばかり見ていて、不満でした。「本人を見ろよ」と、思っていました。
今回も同じことを思いました。
看護師さんは偉大だと、つくづく思います。すでに、尋常な事態ではないと考えておられたのでした。
私はと言えば、これまでの母とのつきあいから判断してしまうので、ぼんやりしていると聞いても、小さなことでくよくよ思いつめてしまうタイプだからよくあることと思っていました。
でも、ぼんやりしていると、報告してくれたヘルパーさんの観察も当たっていました。
看護師さん、ヘルパーさんたちのきめ細かな支援に感謝、感謝です。
今、母はと言うと、入院直後は幻視があったりして不安でしたが、しばらくして状態は落ち着きました。
家に帰りたがっていますが、「ちょっとだけ辛抱してね」と言うと、仕方なく観念したように黙ります。
食事介助が必要になりました。一昨夜と昨夜の夕食を介助したのですが、ちゃんと食べ物を入れやすいように口を開けてくれますし、もぐもぐと一生懸命咀嚼して、嚥下も問題ありません。
なんか、妙にかわいいのです。昨夜は一度、そうめんをあげたら、さましたつもりだったのですが、まだ熱かったらしく、
「熱い」と吐き出しました。
なんか、その様子がおかしくて、笑えて仕方がありません。
そして、おつゆを含む食べ物の時は、おつゆをこぼさないように、ちょっと口をすぼめて食べます。その表情がまたかわいい。
このままずっと、かわいく食べてくれるのならいいのですが、そのうち、それも難しくなるのかなと思うと胸がふさぐ思いです。
あんまりかわいいので、頭をなでなで。今まで、距離のあった母ですが、愛しさの方が増しています。
「かわいいおばあさんになりたい」と言っていた母ですが、望み通りになっています。かわいい人は、可愛がられるので得をしているかもしれません。思えば、少女のような母、天性のかわいらしさがあるのでしょう。
それでも、この先、どうなるのかわからないので、不安だらけです。
今日は、仕事をある程度してから、病院に行く予定ですが、携帯が鳴るのが怖い感じです。
もともと訪問看護師さんとケアマネージャーさん、ヘルパーさん、皆が心配していました。
看護師さんはやっぱりすごいなと思います。
最初、浮腫があまりにもひどい状態だから、病院を受診した方が良い、という看護師さんの助言を受けて、近所のかかりつけ医を受診、そこの紹介で昨年入院していた総合病院を受診しました。が、お医者さんはクレアチニンの数値(一週間前の検査結果)がそれほど高くないから、投薬で様子をみましょうということで帰宅しました。
が、看護師さんはまだ心配されていました。訪問日でない日にも、来てくれていました。
そして、受診の5日後、朝、訪問看護師さんから、「チャイムを押しても、返事がない」との連絡を受けて、駆け付けて、家に入りましたら、リビングで母が倒れていました。
「お母さん、お母さん!」と呼ぶと、「はい」という返事。でも、声音もおかしい。看護師さんが救急車を呼んで、病院へ搬送。
結局、その後、婦人科の主治医から受けた説明では、担ぎ込まれて来た時点で、クレアチニンの値が異常に高かったとのこと。
内科のお医者さんは数値で判断されましたが、看護師さんは、常に、母の顔色、話し方、浮腫の状態など、生身の母を見てくれています。
夫の時にも、主治医の若い医師が、夫自身と向き合わないで、PCのデータばかり見ていて、不満でした。「本人を見ろよ」と、思っていました。
今回も同じことを思いました。
看護師さんは偉大だと、つくづく思います。すでに、尋常な事態ではないと考えておられたのでした。
私はと言えば、これまでの母とのつきあいから判断してしまうので、ぼんやりしていると聞いても、小さなことでくよくよ思いつめてしまうタイプだからよくあることと思っていました。
でも、ぼんやりしていると、報告してくれたヘルパーさんの観察も当たっていました。
看護師さん、ヘルパーさんたちのきめ細かな支援に感謝、感謝です。
今、母はと言うと、入院直後は幻視があったりして不安でしたが、しばらくして状態は落ち着きました。
家に帰りたがっていますが、「ちょっとだけ辛抱してね」と言うと、仕方なく観念したように黙ります。
食事介助が必要になりました。一昨夜と昨夜の夕食を介助したのですが、ちゃんと食べ物を入れやすいように口を開けてくれますし、もぐもぐと一生懸命咀嚼して、嚥下も問題ありません。
なんか、妙にかわいいのです。昨夜は一度、そうめんをあげたら、さましたつもりだったのですが、まだ熱かったらしく、
「熱い」と吐き出しました。
なんか、その様子がおかしくて、笑えて仕方がありません。
そして、おつゆを含む食べ物の時は、おつゆをこぼさないように、ちょっと口をすぼめて食べます。その表情がまたかわいい。
このままずっと、かわいく食べてくれるのならいいのですが、そのうち、それも難しくなるのかなと思うと胸がふさぐ思いです。
あんまりかわいいので、頭をなでなで。今まで、距離のあった母ですが、愛しさの方が増しています。
「かわいいおばあさんになりたい」と言っていた母ですが、望み通りになっています。かわいい人は、可愛がられるので得をしているかもしれません。思えば、少女のような母、天性のかわいらしさがあるのでしょう。
それでも、この先、どうなるのかわからないので、不安だらけです。
今日は、仕事をある程度してから、病院に行く予定ですが、携帯が鳴るのが怖い感じです。
病室で ― 2015/04/10 17:14
母の病状は落ち着いて来ました。ホッとしたので、ちょっと周りを見る余裕も出て来ました。
母の病室は4人で高齢者ばかりですが、隣のベッドの人は、しょっちゅう「◯◯ちゃん」と呼んで、「痛い」だの、「お茶ちょうだい」などと言っておられます。お孫さんでも呼んでおられるのだろうと思いました。でも、誰もいないので、しばらく呼んだ後、おとなしくなられます。で、ふと気付いたのですが、毎回名前が違うのです。
どんだけ、孫がいるねん!と笑えてきます。
斜め向いの方はしっかりしておられて、イヤホンでテレビを観ておられます。が、突然、歌を歌いだします。結構、大きな声で。
テレビの音はイヤホンだから聞こえないけど、歌声は響くよ。😊
どうも画面では歌が流れている様子。それに合わせて歌っておられるのです。もう、笑っちゃうシィ、、、
今日、お医者さんの許可が出たので、母にプリンをあげました。良かれと思って、低糖のプリンにしたら、一口食べて、
「プリンと違う」と。
お〜、ばれたか! じゃあ、と、普通のプリンにしたら、「おいしい」と、機嫌よく食べてくれました。看護師さんも、その様子を見て笑っておられました。
笑える状況が何よりと思います。
今日は母の家で、仏壇に飾られた祖父と父の写真に
「お母さんを守ってね。まだ連れて行かないでね、ね。」とお願い。
願いが通じたのかと思えた日でした。
母の病室は4人で高齢者ばかりですが、隣のベッドの人は、しょっちゅう「◯◯ちゃん」と呼んで、「痛い」だの、「お茶ちょうだい」などと言っておられます。お孫さんでも呼んでおられるのだろうと思いました。でも、誰もいないので、しばらく呼んだ後、おとなしくなられます。で、ふと気付いたのですが、毎回名前が違うのです。
どんだけ、孫がいるねん!と笑えてきます。
斜め向いの方はしっかりしておられて、イヤホンでテレビを観ておられます。が、突然、歌を歌いだします。結構、大きな声で。
テレビの音はイヤホンだから聞こえないけど、歌声は響くよ。😊
どうも画面では歌が流れている様子。それに合わせて歌っておられるのです。もう、笑っちゃうシィ、、、
今日、お医者さんの許可が出たので、母にプリンをあげました。良かれと思って、低糖のプリンにしたら、一口食べて、
「プリンと違う」と。
お〜、ばれたか! じゃあ、と、普通のプリンにしたら、「おいしい」と、機嫌よく食べてくれました。看護師さんも、その様子を見て笑っておられました。
笑える状況が何よりと思います。
今日は母の家で、仏壇に飾られた祖父と父の写真に
「お母さんを守ってね。まだ連れて行かないでね、ね。」とお願い。
願いが通じたのかと思えた日でした。
老母 ― 2015/04/25 08:54
母は、もう、「かわいいおばあちゃん」を通り越してしまいました。食事介助をしていると、寝てしまったかのようになります。
「ゼリー、食べる?」「りんごは?」と声をかけると、目を開けて、
「いらん」
と拒否したり、好きな物だったら、ものすごくかすかにうなずきます。今、うなずいたかな?と、わずかなサインを見逃さないようにします。
病状は安定しているので、不本意な入院生活のために気力が失せてしまった状態だろうと、医師も私も見方は一致しています。
ストライキかな、と思うほど、ものを言いません。ものを言えないほど衰弱しているのかと思うと、突然、結構しっかりした声で、「のどがからから」と言ったりして、飲み物を要求します。
以前、入院した時は、病院を呪って文句を言っていましたが、今は個室ではないので、それはきっと遠慮しているのでしょう。
手が動かせないのだと思っていたら、久しぶりの訪問看護師さんが病院に来られたとき、うれしそうな顔になって、帰られる時は手を振っていましたので、「あ、手は動くんだ」とびっくりしました。
訪問看護師さんとケアマネージャーさんが病室に来られた時、とてもうれしそうだったのは、「家に帰れる」と思ったらしいということがわかりました。
「お母さんが退院してから、暮らしをどうしていくか、相談するために来られた」と、いろいろ説明をするのですが、聞いているのかいないのか、無反応です。退院できるかどうか、だけが、母が興味を示すことなのです。
ああ、母は母の通りに老いてきたんだとしみじみ思います。人は、生きたように老いるのだと。
自分の快・不快以外に、興味がない。一貫してそうでした。
だから私が子どもの時、私が病気になると、母は不快だったのでしょう、とても冷たかったのでした。そこに優しい母はいないのでした。私が小刀を踏みぬく大怪我をして、結構な量の出血をした時も、手当をしてくれたのは父でした。そういう時、母は遠くから見ているだけ。以後も、一度も足の怪我には言及しませんでした。
私が癌で入院、手術をした時も、一度も病院には来ませんでした。結局、退院の日に、息子の車で元気にやって来ました。病気やけがをした他者の存在は、母にとって気持ちの負担になるのだろうと思います。
自分の親も夫の親も、そして自分の夫も、介護をしたことがない母です。私の父の母親が病気の時も寝たきりになってからも、そしてお葬式も、行かなかった母です。行くと、息子の嫁ということで、手伝わされるに違いないから行きたくない、と、病気と偽って出かけませんでした。
でも、自分が介護されることは考えていたようで、私が小学生の頃から、
「子どもは一人でいい。年を取った時、子どもが一人だったら、その子が看てくれる。子どもが何人もいると、押し付け合ってちゃんと看てもらえないかもしれない」と、言っていました。子どもだったので、ピンと来ていなかったのですが、今ようやく、母はすごいなと思います。私を自分の介護要員として、最初から、見据えていたのでした。息子ではなく娘、きょうだいがいるより一人っ子、であることが、自分の老後を看てもらうには一番良い、と小学生の時から私に繰り返し言っていた母には勝てません。
「年を取って誰も面倒をみてくれなかったらどうしよう」と嘆くたびに「絶対、ちゃんと世話するから」と約束したり、「お父さん(M吉の父)が死んだらM吉が半分も遺産を貰えるわけ?」と突然いきり立つので、「遺産なんか要らないから。全部、お母さんがもらったらいいから」と一生懸命説得して母のわけのわからない怒りをなだめようとしていましたが、それらは全部、今日のための布石だったのでした。
この日を見越したような母の言い分でした。お見事!としか言いようがありません。
若い時から、夫に依存してしか生きるすべを知らない人は、こういう考え方になるのでしょうか。自分の「弱さ」を恥じるどころか、自慢なのか、と思うほど、「弱さ」アピールがすごかったのですが、それらは自尊感情を損ねるだけではないのかと、複雑な思いで考えてしまいます。
サバイブするためには、人はいろいろなものを明け渡し、売り渡していくのだなと、しみじみ・・・。
さて、退院後の母の24時間を訪問看護師さんとヘルパーさんのサポートを借りながら、家族が支えることになります。昨日は、その話し合い。介護保険と医療保険の足りない部分は、すべて、家族の肩にかかっています。家族とは、すなわち、私。
「無理をしないように」「一人でかかえこまないように」といろんな方があたたかい言葉をかけてくださいますが、でも、具体的にどうしたら、無理をしないで済むのか、、、。一人でかかえこまないように、と言われたって、一人なんだもん、、、どうすりゃいいのさ。
あたたかい言葉が空しく響きます。いや、もちろん、言葉だけでも有難い。うれしいです。でも、すでに、介護ウツならぬ、介護前ウツ状態の私。
「道草日記」をあらためて、「愚痴日記」にしようかな。
「ゼリー、食べる?」「りんごは?」と声をかけると、目を開けて、
「いらん」
と拒否したり、好きな物だったら、ものすごくかすかにうなずきます。今、うなずいたかな?と、わずかなサインを見逃さないようにします。
病状は安定しているので、不本意な入院生活のために気力が失せてしまった状態だろうと、医師も私も見方は一致しています。
ストライキかな、と思うほど、ものを言いません。ものを言えないほど衰弱しているのかと思うと、突然、結構しっかりした声で、「のどがからから」と言ったりして、飲み物を要求します。
以前、入院した時は、病院を呪って文句を言っていましたが、今は個室ではないので、それはきっと遠慮しているのでしょう。
手が動かせないのだと思っていたら、久しぶりの訪問看護師さんが病院に来られたとき、うれしそうな顔になって、帰られる時は手を振っていましたので、「あ、手は動くんだ」とびっくりしました。
訪問看護師さんとケアマネージャーさんが病室に来られた時、とてもうれしそうだったのは、「家に帰れる」と思ったらしいということがわかりました。
「お母さんが退院してから、暮らしをどうしていくか、相談するために来られた」と、いろいろ説明をするのですが、聞いているのかいないのか、無反応です。退院できるかどうか、だけが、母が興味を示すことなのです。
ああ、母は母の通りに老いてきたんだとしみじみ思います。人は、生きたように老いるのだと。
自分の快・不快以外に、興味がない。一貫してそうでした。
だから私が子どもの時、私が病気になると、母は不快だったのでしょう、とても冷たかったのでした。そこに優しい母はいないのでした。私が小刀を踏みぬく大怪我をして、結構な量の出血をした時も、手当をしてくれたのは父でした。そういう時、母は遠くから見ているだけ。以後も、一度も足の怪我には言及しませんでした。
私が癌で入院、手術をした時も、一度も病院には来ませんでした。結局、退院の日に、息子の車で元気にやって来ました。病気やけがをした他者の存在は、母にとって気持ちの負担になるのだろうと思います。
自分の親も夫の親も、そして自分の夫も、介護をしたことがない母です。私の父の母親が病気の時も寝たきりになってからも、そしてお葬式も、行かなかった母です。行くと、息子の嫁ということで、手伝わされるに違いないから行きたくない、と、病気と偽って出かけませんでした。
でも、自分が介護されることは考えていたようで、私が小学生の頃から、
「子どもは一人でいい。年を取った時、子どもが一人だったら、その子が看てくれる。子どもが何人もいると、押し付け合ってちゃんと看てもらえないかもしれない」と、言っていました。子どもだったので、ピンと来ていなかったのですが、今ようやく、母はすごいなと思います。私を自分の介護要員として、最初から、見据えていたのでした。息子ではなく娘、きょうだいがいるより一人っ子、であることが、自分の老後を看てもらうには一番良い、と小学生の時から私に繰り返し言っていた母には勝てません。
「年を取って誰も面倒をみてくれなかったらどうしよう」と嘆くたびに「絶対、ちゃんと世話するから」と約束したり、「お父さん(M吉の父)が死んだらM吉が半分も遺産を貰えるわけ?」と突然いきり立つので、「遺産なんか要らないから。全部、お母さんがもらったらいいから」と一生懸命説得して母のわけのわからない怒りをなだめようとしていましたが、それらは全部、今日のための布石だったのでした。
この日を見越したような母の言い分でした。お見事!としか言いようがありません。
若い時から、夫に依存してしか生きるすべを知らない人は、こういう考え方になるのでしょうか。自分の「弱さ」を恥じるどころか、自慢なのか、と思うほど、「弱さ」アピールがすごかったのですが、それらは自尊感情を損ねるだけではないのかと、複雑な思いで考えてしまいます。
サバイブするためには、人はいろいろなものを明け渡し、売り渡していくのだなと、しみじみ・・・。
さて、退院後の母の24時間を訪問看護師さんとヘルパーさんのサポートを借りながら、家族が支えることになります。昨日は、その話し合い。介護保険と医療保険の足りない部分は、すべて、家族の肩にかかっています。家族とは、すなわち、私。
「無理をしないように」「一人でかかえこまないように」といろんな方があたたかい言葉をかけてくださいますが、でも、具体的にどうしたら、無理をしないで済むのか、、、。一人でかかえこまないように、と言われたって、一人なんだもん、、、どうすりゃいいのさ。
あたたかい言葉が空しく響きます。いや、もちろん、言葉だけでも有難い。うれしいです。でも、すでに、介護ウツならぬ、介護前ウツ状態の私。
「道草日記」をあらためて、「愚痴日記」にしようかな。
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